その360 『砂嵐はなく』
離陸は速やかだった。アダルタが飛行石の確認に行き、ヴェインが舵を握っている。シリエとアンナはイユと一緒に甲板で見張りだ。
「いい?ここは出にくいから、念のため目視でしっかり見張っているのよ」
通信機器を通して、アンナから声が聞こえてくる。
「了解です」
「分かったわ」
シリエの返事に、イユも続いた。イユがいるのは船首で、右舷と左舷に、アンナ、シリエがいる。左舷のほんの少し先の距離には、他の飛行船がある。下手な操舵士ならぶつける可能性もあった。
そんな中、操舵士たるヴェインの声が聞こえてくる。
「しかし、久しぶりに自分で舵を握ったな!」
「はぁ?!」
思わず声を挙げてしまった。通信はすぐに切ったので、同じ甲板にいるアンナとシリエにしか聞こえていない。シリエがそれをみて笑っている。余裕があることだ。
「大丈夫なわけ?」
声を張り上げて聞けば、シリエが頷く。
「そう言いつつ、ヴェインさんはちゃんとやってくれるから!」
恐縮していた割には、よく知る人のように語るのだなと、思った。あとで、二人の教官だと聞いたときには驚いたものだ。
そんな会話をしているうちに、ふわっと体が浮く心地がした。飛行石の力が開放されたのだ。
イユは近くの手すりを握った。それで、ふらついた体を支える手すりが、いつもより細いことに気がつく。セーレの手すりは、握るとイユの手では余るのだ。それが、ここではもう少しで親指と中指が届きそうなほどに近い。彼方の方が好きだった。がっしりしている分、支えてくれる安心感がある。
飛行船がゆっくりと旋回していく。すれすれのところで、右舷を傾け、そこにあった他の飛行船を避けていく。そうして今度はゆっくりと左向きに傾ける。イユの前でつららのように垂れ下がった鍾乳石が見えた。それを左舷を傾けることで避け、続けて右に傾ける。高度がどんどん落ちていく。視界の先に眩しい光が待っていた。
たまらず、目を細めたイユを襲ったのは、蒸せかえるほどの熱風だ。金色が視界を焼く。
「暑いから、中に入りましょう」
アンナの言葉に、すぐにイユは同意した。街が早くも恋しい。よりによって、太陽が真上にいる時間に砂漠に飛び込んでしまった。慌てて船内に入ったイユは、ヴェインの面白そうな表情に出迎えられた。
一々癪に障る顔だ。そんなことを思った途端、ヴェインが大きく舵を切った。遅れてイユの体にGがかかり、耐えられずに体が地面にぶつかる。同じようにシリエも倒れ、アンナだけが壁を抑えて持ちこたえている。
窓に映る景色が黄金の砂色から、青い空に変わる。大きく弧を描くように上昇していく飛行船の動きを肌に感じる。暫く経って、ようやく船体が安定すると、イユも動けるようになった。尻餅をついた状態から、ゆっくりと起き上がる。シリエも同じようにしていた。
「さぁて。目的地は目と鼻の先だが?」
大蠍が出た地点は、やはり飛行船だと一瞬だ。イユはモニター越しに外の景色を睨みつけた。そこには、広大な砂漠が広がっている。あそこを歩いたと思うと、気が遠くなりそうだった。
「いないみたいね」
アンナの言葉に、落胆の色はない。むしろ、こんな近くにいるなら見つけていると言わんばかりの、分かり切った口調である。
「砂嵐が出ていないわね」
揺らぐ景色に、あるべきはずの姿を想像して言えば、「そりゃないでしょ」とアンナの声が返る。
「砂嵐が出てきたら、ヴェインさんたちが帰ってくるわけないもの」
言い方で、気が付く。アンナは帰ってきたヴェインとアダルタと合流して、その足でイユたちの元へやってきたらしい。だからこその、確信なのだろう。逆に言えば、ここに大蠍がいないことは当然知ってのことなのだ。それでも、わざわざ離陸したのは、約束は約束だからというところか。骨折り損だと分かっていて、ここまでするアンナに、ついてきたヴェインとアダルタに、少しだけ申し訳なくなった。だからこそ、提供できる情報に思い当たる。
「風が強すぎて、街に入れないってこと?」
空が晴れていても、操縦には気を遣った。そこに、砂嵐の強風があったら、飛べるものも飛べないだろう。そう想像して確認するイユに、アンナが告げる。
「そもそも、砂嵐のなかの航空は危険よ。飛ばさないわ」
それではきっと、会えるものにも会えない。確信した。彼らが大蠍を探していて、未だに見つけていない理由は、砂嵐を避けるからだ。
「私は、砂嵐の中を進む大蠍に出会ったの。まるであいつが引き起こしているんじゃないかってぐらい、ものともせずに歩いていたわ」
イユの言葉に、一同が顔を合わせた。
「なるほどな。その関係性には気を向けていなかったが」
ヴェインの言葉に、シリエが頷く。
「探してみる価値はありますね。確かに、こないだの砂嵐では引きこもっていましたし」
アンナが、右手で左ひじを包んだ。何か考えているようで、顎に左手を当てている。
「時間帯に縛りはあるのかしら?砂嵐に関係なく現れるときは現れるでしょう?」
その言い方だと、つまり、砂嵐がでないときの大蠍の目撃情報を入手しているということだ。
「私が遭ったのは昼間よ」
イユは、ひとまず遭遇した時間帯を答える。暑すぎた記憶しかないので、昼か夜かぐらいしか分からなかったから、正直あまり役に立った気はしない。むしろ、街にいたシリエたちの方が、ずっと詳しい。
「あのとき砂嵐の警報が出たのは、ちょうど今頃の時間帯だったと思う」
シリエの発言に、
「やっぱり大体決まった時間帯みたいね」
とアンナが呟く。文脈に繋がりがないから、恐らくこれまでに『スナメリ』自身が集めた情報から、推測しているようだ。
「夜行性ではないということですね」
シリエがそれに納得したように頷く。
アンナが続けた。
「砂嵐を縄張りのように利用する習性があるのかもしれないわね。今までの目撃情報から、大体の移動経路は割り出せそうよ」
ヴェインが、口笛を吹いた。アンナのことを彼なりに称賛しているようだ。
確かに、得られた情報から、魔物の行動予測や習性が分かれば、魔物への対処はしやすくなる。魔物に遭遇したくない人々に伝えるだけでも、価値は出てきそうだ。
そのことを指摘すると、全員に面白くなさそうな顔をされた。
「魔物を狩らなきゃ、意味がないわよ」
代表するアンナの言葉に、そうなのかと頷くよりない。
イユからすれば、彼らが何故そうまでして大蠍を狙うのかが分からない。どこかから依頼があったのだろうか。それとも魔物狩りを行うという『スナメリ』は、常に大物を狙うのが好きなのだろうか。聞いてみようかなとも思ったが、ヴェインに勧誘された後となっては下手に気がある振りもしたくなく、言及はやめておいた。ギルドなのだから、依頼を受けて動いていると考えるのが順当だろう。
「場所はここで間違いないわ。私は、あそこから逃げたから」
地上からみる光景と、船内から見下ろす景色は、同じ場所でも違ってみえる。それでも、位置から判断するに、間違いないだろう。
イユが指を指した地点に、一同はもう納得がいった様子である。
「ここまで来たら、無理に降り立つ必要もないわね。いいわ。場所には思うところもあるけど、有益な情報もあったし、約束は約束よ」
次の目的地に向かいましょう、とアンナが告げた。




