その357 『準備の手伝い』
シリエの指示に従い船内に入ると、シリエが別の機器の前で立っていた。
「羽も知らないよね?教えておくね」
準備の手伝いのはずが、いつの間にか勉強会になっている。そう思いながらも、好奇心に負けてすぐに機器の前に立った。
「ここを押し込むと、羽が広がるから」
シリエが指差したのは、レバーだ。
「今から押すから、羽がうまく広がるか確認して来てほしいの」
「任されたわ」
ようやく手伝いができる。自信満々に答えたイユの傍らで早くも、シリエがレバーを引いた。
「じゃあ、行こっか」
確認してきてというのだから、てっきり別行動だと思ったのだが、違うらしい。釈然としないものを感じつつも、ともに甲板に出る。そこで、驚くべき光景に出会った。
マストだと思っていた、妙な位置にある支柱が、ひとりでに動き出したのだ。あれよこれよという間に、根本から折れるように曲がっていき、それに合わせて支柱に巻き付いた帆が徐々に広がっていく。動くたびにがしゃんがしゃんと音が鳴るので、支柱が折れやしないかと不安になった。それでも見守っているうちに、気がつかされた。一対の羽だ。折り畳まれたそれが、どういうからくりか、レバー一つで羽の形をとったのだ。まるで、鳥が羽を広げる動作を船に写し取らせたかのようだった。
広がった羽は、セーレが羽を延ばしたときの妖精を思わせるそれと違い、がっしりしていて鋭かった。大きさもセーレのものより一回りは大きい。何より骨格は木材でそれ以外は帆になっている。この鳥のような船で空を駆けるのだ。速そうだなと想像する。
「あとは、魔物避けだね」
「魔物避け?」
今までの技術の話だろうと思って尋ねれば、別の方向から返事があった。
「うん。今回は用意しておかないと、魔物狩りが目的じゃないから」
イユが聞きたいのはやり方だったのだが、いまいち伝わらないものだ。
「それはどうやるの?」
聞き直したところで、「えっ」と驚いた顔をされた。
「まさか、魔物避けも使ったことないの?」
頷けば、不安そうな顔を向けられる。
「今までどうしてたの?商船だって必ず使うはずなのに」
そんなことを言われても、使った覚えがないのだから仕方がない。イユが知らないだけでセーレでもやっていたかと考えるが、それならアマモドキをはじめとする魔物に襲われた事実と矛盾する。
「都度戦っていたわよ」
素直に白状したのに、疑いの眼差しを向けられた。
「本当?」
「いいから教えてもらえる?」
苛立ちすら込めて返す。
伝わったのか、シリエが「うん」と大人しく頷いたきり、言及してこなくなった。
「こっちだよ」
再び船内に戻れば、くくりつけられた棚を漁って、シリエが何やら壺のようなものを取り出した。
「ちょうど二つあるから、一つ持ってもらってもいいかな?」
大人しく受けとると、意外に両手にどっさりとした重みが伝わる。これが、魔物避けなのだろうか。
「この中に魔物が嫌がる香油がついているの。それをなるべく甲板の局所に塗って、魔物避けにするんだよ」
シリエの説明に、ほぉっと感心する。
「嵐のなかじゃ使えそうにないわね」
吹き抜ける風とバケツをひっくり返したような雨を潜り抜けた身としては、こんな香油が役に立つとは思えなかった。
「それでもつけた方がないよりは良いかな」
確かにそれで『空の大蛇』に遭わずにすむなら、間違いなくつけた方がよい。イユは同意して、シリエと一緒に香油を撒きに走った。
「あとは機器のテストかな」
一通り終わったところで、シリエが機器のテストに入る。照明の確認に、カメラの位置のチェック、各計器のチェックを一緒に行う。ここまでいくと、セーレでもやっているであろう部分がようやくでてくる。とはいえ、見張りばっかりやっていたイユには真新しいことばかりだ。セーレにいて、手伝いをこなしているつもりだったが、意外と知らないことが多いのだと思い知らされた。
「うん、これでよしだね」
「飛行石の確認はいいの?」
シリエが最後の機器の確認をすまして満足そうにするので、思わず聞いてしまった。まさか忘れていることは無いだろうと思うが、そのまさかを確認しないでおいて痛い目を見ることがあると、以前リュイスに窘められたことがある。
「それもそうだけど、念のため大砲も出しておこうか」
「大砲?!」
物騒な言葉に、飛び上がりかけた。その様子に、シリエが笑う。
「普通のギルドだと馴染みがないよね。魔物狩りだと必要になるから」
シリエの説明に、顔色に気を付けつつ頷く。大砲は撃たれる側で馴染みがあったが、そんなことを口にするほど愚かではないので、頭の中だけで答えておいた。
「こっちだよ」
船室の一画に、布で覆われた場所があった。シリエがその布をせいやっと引っ張ると、その姿が露わになる。正方形の木版に、黒塗りの砲身。砲身自体は、イユが入れるのではないかと思うほどの大きめのものだ。これだったかと、イユは記憶を辿る。如何せん、撃たれる側の人間が戦艦から覗いた記憶だ。同じものかといわれると自信がなかった。
「これを外に出したいから、頑張って二人で押しましょう」
これぐらいなら一人で大丈夫。という言葉を呑み込む。バケツに、非常食にと、散々怒られたのだから、さすがに学習している。二人で押すというからには、大人しく押すふりが必要だ。
ところが、これがとんでもなく難しかった。異能を使わないように自分の力だけで押すと、どうしても手に力が入らない。かといって力をこめようとすると、力が入りすぎてしまう。力を抜くときは一気に、入れるときも一気にが、イユの今までのやり方だ。怪しまれない程度の力というのが難しい。大砲の左側をイユ、右側をシリエで押したものだから、イユが力を入れすぎるたびに大砲が時計回りをしかけて慌てて自制する羽目になった。
「よし、何とか出せたね」
シリエの言葉に、ばれていないかとひやひやしつつ、イユは額の汗を拭う。余計なことに神経を使ってしまった心地である。
「あとは飛行石と食糧だけど、そろそろアンナちゃんが来る頃かな」
休んでいていいよと言われて、近くの手すりに腰かけた。シリエも疲れたのだろう。同じようにして、座る。




