その355 『歩いて』
「それで、船はどこにあるの?」
すぐに尋ねたイユに、アンナは「焦らない」と諭した。
「まずは残りのメンバーに連絡してくるから、シリエはイユと一緒に船の準備」
シリエが、頭の方へ手を持っていき、ぴしっとポーズを取る。
「了解です」
敬語になったあたり、仲は良さそうだが上下関係はあるのかもしれない。
「イユ、お金は全てが片付いたらでいいわ。情報は船に乗っている間にいただくから」
「分かったわ」
全て前払いと言われたら反論するところだが、そこは気を利かせてきた。船に乗れば実際に大蠍と遭遇した場所に出られるので、それもイユにとっては説明の手間が省けて楽だ。何より大蠍とは、この街のある山の目の前で出会っているのだ。アンナはそれを知らないようだから、イユの答えを聞いたら、悔しがることだろう。シリエに至っては、別段気にしなさそうだ。
アンナが先にイユが入ってきた扉へと向かい、出ていく。それに続こうとしたところで、シリエが「よかったね!」と声を掛けてきた。
「シリエのお陰よ」
とりあえず、礼を告げておく。シリエがいなければ、『異能者』扱いでとうにお払い箱だった。
「ううん、そんなことないよ。ちゃんとアンナちゃんに交渉したのは、イユちゃんだもの」
シリエは本当にそう思っているように、イユに感心の眼差しを向けている。
アンナが扉の先に消えたこの機会だ。聞いてみることにした。
「アンナがあなたたちのギルドの船長なの?」
不意打ちだったらしく、シリエが驚きの表情を向けた。
「ごめん、そうか話してなかったね。『スナメリ』は、船を何隻も所有しているの。アンナちゃんは、そのうちの小型飛行船のチームリーダー」
今度はイユが驚く番だった。
「えっ、一つのギルドが何隻も?」
知らなかった。イユは、てっきり、一つのギルドに一つの飛行船なのかと勝手に思い込んでいた。だが、それはセーレが偶然そうだっただけで、決まりはないのだ。
「そうだよ。驚いたでしょう?でも、話の続きは、外でしよっか」
シリエに促されて頷く。確かに、いつまでも貯蔵室に籠っているわけにはいかない。
扉を開けると、そこには既にアンナの姿はなかった。行きと同じ、カウンターの前にいる男が、これまた行きと同じようにグラスを揺すっている。
「マスター、行ってきます」
「はいよ」
シリエの挨拶に、視線も上げずにグラスばかりを見つめて、返事だけはしていた。
イユは、よくよくグラスの中身を見て気がついた。心なしか、行きよりも液体の色に赤みが強く出ている。酒の種類が違うのかもしれない。空の袖については、グラスに合わせて、ゆらゆらと揺れていた。カウンターの位置でちょうど右手が隠れているので、そうと知らなければ右手の違和感には気付けない。
シリエがそのまま居酒屋を出るので、慌てて追いかけた。
「アンナは気にしなくていいの?」
扉の外に出た先で、シリエに尋ねる。連絡を取りに行くとは言っていたが、どこにいったのだろう。彼女の姿は居酒屋のカウンターにはなかったから、分からない。
「うん。アンナちゃんはアンナちゃんでやることあるから」
特に話すつもりはないのか、シリエはそう話すのみだ。詳細は聞けなかった。
「それより、『スナメリ』の話だったよね?」
シリエは、自身の所属するギルドについて話すのを楽しみにしていたようだ。特に催促していないのに、語りだす。
「『スナメリ』の船長のことは、頭目って呼ぶんだけど、すっごく強い人なの」
「強い?」
「うん。魔物と戦ってる姿を見たんだけど、あっという間に周囲にいた魔物を自分一人で倒しちゃったから」
刹那がそれをやっていたなと思ったが、黙って聞くことにした。刹那を一般的な基準に当て嵌めてはいけない。
「それとね……」
そう話している間にも、街の景色が変わる。
洞窟だったそこが、一気に開けた。思わず周囲の景色に目を見張るイユに、シリエが不思議そうな視線を向ける。
「ひょっとして、この街ははじめて?」
これだけ驚いたあとで嘘はつけまい。大人しく頷くと、シリエが此方だよと指を指す。右手の奥の方に、家と家の間に囲まれた小道があった。険しい上り坂になっている。
「綺麗な街だけど、飛行船までは裏の小道ばっかり通るから、落ち着いたときに後で観てみるといいよ」
再び頷いて、先に小道を進むシリエの後に続く。家の陰だからか、小道には苔が目立った。青々とした苔道は、踏む度に、感触が伝わる。まるで、絨毯の上を歩いているかのようだ。
それでも、暫く歩くと、息が上がった。体力が回復しきっていないのをひしひしと感じる。
「大丈夫?」
遅れぎみなイユを心配して振り返るシリエは、特に鍛えてなさそうなのに息一つ上がっていない。イユが足に無理を言わせる前に、シリエが気を遣ってペースを遅らせる。ここまでされると、なんだか悔しかった。
「平気よ」
そう言うイユの声が聞こえなかったのか、シリエが話をしだす。
「ここにある花はね、ウルリカって言って、幸福を呼ぶものらしいの」
ちょうどシリエの前を、赤色の大輪が咲いていた。それを横に避けながら、これだと言わんばかりに指を指し示していく。
「大きい花ね」
イユの簡易な感想に、シリエが頷いた。
「そうだよね」
イユは、オリニティウスぐらいしかまともに花の名前を知らない。それに比べたら、遥かに大きい花である。それに、艶やかで美しくもある。眩しいぐらいだ。そんな感想を抱いたことで、ふと自分の名前を思い出す。オリニティアという名前は、まさにオリニティウスの花から取ったのだ。それなら、イユはもっと前から自分の名前を思い出せても良かったはずだ。しかし、オリニティウスの花は知識として頭に残っていたのに、どういうわけだかこれっぽっちも繋がらなかった。記憶が戻った今でも、正直オリニティアの名前がしっくりこない。自分に花は仰々しすぎるのだ。もっと女らしく、華やかな人でないと、きっと似合わない。
「そうそう、『スナメリ』の話だっけ」
話の話題がないからだろう。沈黙を嫌って、シリエが口を開ける。イユとしても、セーレ以外のギルドのことは気になっている。セーレ以外でイユの知るギルドとは、創設者のマドンナを除けば、ラヴェンナしか出てこない。
(そういえば、ギルドというからにはラヴェンナは一人ではないのよね?)
勝手なイメージだが、飛行船を所有していて複数人集まればギルドになると思っていた。そうなると、気にしていなかったが、ラヴェンナには仲間がいたかもしれない。だが、それにしてはランド・アルティシアで、ラヴェンナは人を探していた。イユが知らないだけで、一人でもギルドは名乗ることのできるものなのだろうか。
「頭目のことは話したよね。その頭目の下にいる各飛行船のリーダーが」
「アンナね?」
言葉を予測して先回りすると、驚いたことにシリエが横に振った。
「ううん、アンナちゃんはその下の下」
意味を掴みかねる。飛行船の船長の下なら、ただの船員ではないか。そう思ったが、違っていた。
「うーん、主船の下に中型ぐらいの飛行船が四隻あって、その飛行船の下に小型の飛行船が一隻ずつ配備されるの。その小型飛行船のリーダーがアンナちゃん」
「はぁ?!」
ギルドの規模が、イユの想像から更に跳ね上がった。そんなに大規模なら、もう国家と変わらないのではないかといいたくなり、よくよく考えたところで、イクシウスが飛行船を何隻所有しているか知らないことに気が付いた。大きいギルドでこれなのだ。イクシウスは、ひょっとしてもっと所有しているのかもしれない。あの国が本気を出したらイユたちなどあっという間に捕まった可能性もある。
「『スナメリ』って何人いるわけ……」
半ば呆然と独り言のように呟いたが、シリエはそれを耳聡く聞き取り、人差し指を顎に当てて考える仕草をする。
「今は何人かな?増減が激しいからちょっと……」
大規模な分、人の出入りが激しいようだ。組織への帰属意識は希薄なのかもしれない。そう思っていたのだが、次のシリエの言葉に察した。
「魔物退治がメインだから、どうしてもね」
少し悲しそうな呟きだ。イユのような『異能者』ならいざ知らず、シリエは普通の人間だ。彼ら、彼女らが魔物を相手にするのだ。相当な危険を伴うに違いない。当然、犠牲は付きまとう。その事実を知って、何とも言えない気持ちになった。ひょっとすると、セーレの規模のギルドが全滅することなど、この世界では日常の光景の一つに過ぎないのかもしれないと、悟ったからだ。
「あなたは、『スナメリ』は長いの?」
話を変えるべく振る。シリエがどれほどの経験者なのか知りたいという好奇心もあった。
そんなイユの考えに対して、シリエが真面目に数えだす。
「私?そうだね。十六のときに入ったから……」
ひぃ、ふぅ、みぃ、と口ずさんでいるところが、『らしい』。
「四年になるかな」
彼女が答えた、四年という数字が果たして長いのか、短いのか、イユには判断がつかなかった。だからなんて答えればいいか分からず、ただ「そうなのね」と相槌を打つに留める。
それにしても、この少女、見た目はイユぐらいかと思ったが、リュイスより二歳も年上なのだ。それは、イユに対して言葉遣いも変えてくるわけだ。
「あっ、見えた。そろそろだよ」
シリエの声に顔を上げれば、細い道の終わりが見えた。広い空間が徐々に姿を見せる。そこに立ち並ぶ、数々の飛行船を見て、思わず足を止めた。




