その354 『交渉後半』
「あくまで、『異能者』関係者でも対等に扱うってだけ。相手が相場の額を出せなきゃ追い返すわ」
はっきりとしたアンナの物言いに、一瞬戸惑ったような空気が流れた。
「あー。それは……」
困った様子のシリエの声を置いて、カツカツと石畳が鳴る。
暫くして、赤毛がイユの視界にある棚から覗いた。強気な声が、イユにかかる。
「待たせたわね」
イユは僅かに首を横に振った。
「気にしてないわ」
アンナは、それに軽く頷く。お願いする側なのだから待って当然だと、そう言わんばかりの表情である。
「正式な自己紹介がまだだったわね?私はアンナ。シリエと同じ『スナメリ』の一員よ」
「私はイユよ」
相手がギルドを名乗ったのだから、ギルド名として、セーレの名前を出すべきか悩んだが、ここは伏せておいた。セーレは襲われたのだ。下手なことを口走って、痛い目は見ないに限る。
「そう。それで、依頼は飛行船に乗せることだったかしら?」
アンナは、息をつく間も開けず、話を切り出した。
イユはそれに頷く。話が早いのは、イユとしても嫌いではない。
「出せる金額はこれだけよ」
鞄のなかから、財布を取り出してみせる。中身をざっと広げて見せた。手作りの財布を作っておいて良かったと意識する。ただでさえ少ないらしいのだ。そのまま抜き身のお金を見せたら、きっとシリエにはもっと同情されることだろう。アンナには呆れられるかもしれない。そうなるのは、この場では得策ではない。ここは少しでも自分を誇張してみせるところだ。
とはいえ、本当のところ、アンナは知っているはずだ。シリエから、お金を殆ど持っていないとは既に聞いている。
「話にならないわね」
だからイユも、その回答は予測していた。
「こんなに安く船を動かせはしないの。払えるものがないなら、帰ってちょうだい」
イユは静かに首を横に振った。
「何もお金だけで払うなんて言ってないわ」
労働力を想定しているのだろうか、アンナが挑戦的な目を向けている。その顔は、労働力程度では私の心は動かないと、はっきりと書いてあった。
イユは、口を開いた。
「私が払うのは、情報よ」
一瞬にして、目の前のアンナの顔が怪訝そうになった。ここが、機会だ。そう思ったからこそ、すぐにイユは切り出す。
「大蠍の情報を提供するわ」
「えっ」と、声を挙げたのはシリエだ。アンナは眉間に皺を寄せている。
「少し前に、大蠍に襲われたの。時間は経っているから、今はいないかもしれないけれど、しらみつぶしに砂漠を回るよりはずっと良いと思うわ」
「大蠍に、襲われた?信じられないわね」
アンナは疑っているようだ。シリエも心配そうな顔をしている。それでも、話に食いついてきたのだから、彼女らが大蠍を探しているのは事実のようだ。
「何を言えば信じてくれるのかしら?」
その言葉に、少し考えるようにしてから、アンナが質問をぶつける。
「外見的特徴は?」
「黒かったわ」
即答すると、アンナの眉間の皺が深くなった。
「赤ではなくて?」
その反応にイユの方が、怪訝になる。
「黒よ。赤なんて知らないわ」
まさか、赤色の蠍もいるのだろうか。あれの色違いがいると思うと、ぞっとした。
「ただし、針の色だけは金色だったわ」
イユの発言に、シリエとアンナの視線が一瞬合った。アンナが代表するように口を開く。
「針の色も見たわけ?」
イユは首肯する。金色の針が山肌に突き刺さったあの光景は、忘れられそうにない。まさに命の瀬戸際にいた心地にさせられた。
「えぇ、あいつは歩く私を狙って、何度も針を飛ばして攻撃してきたもの。色ははっきりと確認したわ」
シリエが目を丸くさせた。アンナが呆れたように肩を竦める。何か不味いことをいっただろうかと思った矢先に、アンナの感想が返った。
「よく生きていたわね」
なるほど。彼女たちの態度に納得がいった。普通、あんな大きな魔物に襲われて、生きていられるほうがおかしい。イユも当時を思い出して、自身の幸運に改めて感心する。
「何度も死を覚悟したわよ」
レパードとワイズを抱えて必死に走った出来事は、出来ることならばもう二度と経験したくない。次あの状況で会ったら、生きてはいられないだろう。
重々しいイユの口調に嘘はないと悟ったのか、アンナが頷いた。
「いいわ、嘘は言ってないみたいね。あなたの情報を買うわ」
その言葉に、思わず息をつく。そんなイユの前で、目を輝かせて喜色を浮かべるシリエがいた。本人以上の反応に、思わず苦笑する。
それを一緒に見ていたアンナの顔も、つられて綻んでいた。イユは、アンナのその様子を見て、思う。はじめこそ厳しく思えたが、シリエには甘いだけあって、意外と打ち解けやすい人物かもしれないと。
「交渉成立ね」
手を伸ばしたイユの前で、よく分からないのかアンナが首をかしげる。
「何やってるの?」
挙句の果てに、聞かれてしまった。
「よろしくって意味だと聞いたのだけど……、ローカルルールみたいね」
恐らく、カルタータにのみ伝わる仕草だったのだろう。イユは、すぐに手を引っ込めた。




