その353 『交渉前半』
次の扉の先は、貯蔵庫になっていた。部屋の至るところに、天井に届きそうなほど高い木組みの棚がある。それが扉を開けてすぐの、左右に壁のように並んでいた。更に、木組みの隙間からかろうじて同じような棚があるのを視認できる。要するに、棚で通路を作っているのだろう。それを理解して、この部屋が見かけよりも広いことを意識する。
木組みの棚には、二段、三段と棚板があり、そのどこにも余すことなく樽が敷き詰められている。その全てに酒が入っていると思うと、圧巻の光景だった。
地面が石畳になっていることも、イユの気を引いた。鼠色や白色の磨かれた石が互いに身を寄せあっているように見えたのだ。
「アンナちゃん、いいかな?」
シリエがイユより一歩前に出ながら声をかける。少しして、カツカツと、石畳を歩く足音が響いた。暫く経った後、通路の先から見知った女が現れる。イユの記憶と同じ赤色の髪を逆立てるようにして、女はきっとシリエを睨んだ。
「ちょっと、なんで部外者をいれたの」
会った瞬間から機嫌が悪そうだ。シリエがそれを受けてたじろぐのが、彼女の背中を見て分かった。
「部外者じゃないの。この子は依頼人。船で移動したいって」
シリエの発言を聞いたアンナの額に、皺が寄っている。全く歓迎されていないようだ。
「あんたって子は、本当に」
文句を言いたい様子で、アンナはずかずかとシリエの目の前まで近付く。
「えっ、アンナちゃん?どうしたの?」
驚くシリエの腕をつかむと、有無を言わさず強引に引っ張り上げる。
「えっ、えっ?」とシリエは動揺の声を挙げるばかりで抵抗できずに、運ばれていく。
呆然とするイユを振り返ったアンナは、「少し借りるから」と声をかけた。
そうして通路の反対側に移動したアンナが、ひそひそとシリエを責め始める。その声が、イユには丸聞こえだった。
「ちょっと、どういうつもりよ!なんであの子を入れたの」
「どういうって?」
「あの子は『異能者』かもしれないんでしょ!危ないわよ」
アンナの会話に、体がびくっと反応しかける。アンナには、ばれているのだ。それが分かって、ごくりと息を呑んだ。ひょっとすると、選択を間違えたかもしれない。
シリエにねだらなくても、ギルドに行けば船は手配できたはずだ。この際待たされても我慢すべきだった。見知った人を見かけたというだけで、イユは危険を冒す行為をしてしまったのかもしれない。
「でも、あの子殆どお金持ってないし、一人になっちゃったみたいだし」
シリエもアンナの『異能者』発言にたじろがないところをみるに、前から聞かされていたのだろう。それでもここまでイユを連れてきたということは、同情の方が勝ったというところだろうか。
「それって、私たちのせいかもしれないよ?」
シリエのこの一言で、イユの頭に疑問符が浮かんだ。それでも、警戒感は沸く。つい、先程まで入ってきた扉を振り返った。まだ僅かに開いているから、鍵をかけられることはない。その気になれば逃げ出せる範囲だ。
「別に私たちは関係ないわよ。私はむしろ、兵士が来たことを教えてあげたじゃない。逃げ遅れたんなら、本人が悪いのよ」
アンナの回答に、イユはそっと視線を戻した。シリエは、リュイスと同類の毛があるらしい。酒場で別れたときイユたちに何もしなかったことを後悔しているようだ。場合によっては彼女たちこそが地下水路の出口をわざと教え、イユたちを兵士のいる方へ誘導した可能性もあった。だから、そうでなくて良かったと、心底ほっとした。
「でも、私が地下の話をしたから、逆に待ち伏せを受けちゃったと思うし」
「そんなの、今ここにいる時点でどうにかなったんでしょ。大体、本当に『異能者』なら、被害が出ないように地下に誘導させることはあっても、助けるのはどうかと思うわ」
シリエは押され気味だ。イユはこの会話に分け入るかどうか悩んだ。加勢したいが、話の内容が『異能者』である以上、入りづらい。それに、イユの立場では、今この会話は聞こえていないことになっているはずだ。意見を言うのは逆に警戒されるかもしれない。
「そうかもだけど、害があるようには見えなくて」
「それは、そういう存在だからでしょ。暴発は、本人の意図に関係なく起きるんだから」
爆弾を背負った人間のようなものだと、アンナが言い捨てる。
「可哀想だけど、それが本人の運命よ」
イユは背筋が寒くなった。セーレが特殊だったから、今まで人々が、『異能者』をどのように認識しているか、知らなかった。『魔術師』が人々をどのように言いくるめたのだろうかといろいろ想像はしていたが、憐れまれているとは予想していなかった。恐怖の対象なだけだと思っていた。厄介者だと、厭われているだけだと考えていた。
違ったのだ。『異能者』は、運命という悪戯で、爆弾を無理につけられた被害者だった。だから、先々で蜘蛛の子を散らすように、皆逃げていった。兵士以外は刃向かってはこなかった。
しかし、『魔術師』たちは本当に狡猾で悪どい。『異能者』を被害者に仕立てあげている傍ら、施設に入れて玩具のように使い捨てているのだ。やっていることと言っていることが、全く噛み合っていない。
「うん、そうだよね」
シリエのまさかの肯定に、意識が引き戻される。
「でももし、もう一人の子が『異能者』で捕まっちゃったのなら、友達と離れ離れにさせたかも……」
「どっちにせよ、『異能者』と関わるがある。そうでしょう?」
その言葉はイユの癇に障った。
(関わったら危ないって言うの?)
たまりかねたイユの足元で、カツカツと石畳が鳴る。関係者と関わるのが危ないという理屈でいくと、アンナはセーレの皆とも関わらないということになる。なんて冷たい考えなのだろう。文句を言ってやりたくなる。
一方で、分かっていた。イユは今まで自分のことばかり優先してきた。だから、同じ立場になったら、きっと、イユも同じことを言うのだろうと。そう思えば、その場で地団駄を踏むことしかできなかった。
「いい?シリエ。私たちには大蠍を探す目的があるの。こんなところで、油を売っている暇なんてないのよ」
石畳の音が止まる。思わず考えてしまった。ここにきて、まさかの情報が転がり込んできたのだ。
「大蠍の当ては今はないじゃない。あの子が行きたいのも砂漠らしいから、一石二鳥だよ。それに、仮にも『スナメリ』が『異能者』関係者に怯えるなんて、どうかと思う」
その言葉に、アンナが唸った。
「あんたも言うようになったわね」
「えっ、そうかな?大型魔物に比べたら、平気そうだと思ったんだけど」
あくまで魔物と比較なんだなと、心の中で嗤った。それでも、シリエの説得にアンナが揺らぐなら、黙っているべきだと冷静になる。
「まぁ、いいわ。シリエのいつもの悪い癖だということで、納得はしてあげる」
なんだかんだで、アンナの承諾を取り付けたようだ。アンナは怒っているように見えたが、ああ見えてシリエに甘いところがあるのかもしれない。
「ありがとう!アンナちゃん!」
「ちょっとやめなさいよ!くっつかないの!」
はしゃいで抱きついたのだろうか、そんなやり取りが聞こえてくる。




