その352 『再会』
「良かった、無事だったんですね!」
第一声が安堵の声で、少し面食らう。そのイユの表情に気が付いたように、シリエが補足した。
「あの……、酒場で兵士たちがやってくると聞いたとき、お互い別行動を取ったから、心配していたんです」
イユは記憶を引っ張り起こす。シェイレスタの都の酒場でザドに案内された地下にイユとリュイスが、酒場の扉を出て外にシリエとアンナが向かった。あのときの話だろう。イユたちはあのまま地下水路を歩いて、外に出た先で兵士たちの出迎えにあった。あの出来事が、遥か昔のことのような気がする。
「そう、私たちのことを心配してくれたのね」
目の前までやってきたシリエが、こくんと頷いた。
「あの、お連れの方は?それに、顔色があんまりよくないようですけれど……」
これは困った。イユの隠せたつもりになっていた表情は、あまり隠れていなかったらしい。鏡を見てくるべきだったと後悔しながらも、努めて冷静な声で返事をする。
「今は別行動なの。顔色は、少し歩きどおしだっただけだから……」
まさか、リュイスは『魔術師』に攫われたなどとは言えまい。ましてや、シリエとの別れは、兵士に追われたタイミングなのだ。つまり、イユたちは地下に逃げた先で兵士に捕まった『異能者』や『龍族』であると、語るようなものである。そんな愚は犯せまい。
「そうなんですね。……えっと、お探しの方とは会えましたか?」
レパードと刹那になら会えた。そう答えようとして、はたと止まる。折角だ。ギルドまで行かなくても、彼女なら何か知っているかもしれない。
「そのことだけど、実は、飛行船を探しているの。砂漠の、ある場所まで、送ってほしいのよ。あなた、こういうときどうしたらよいか知っているかしら?」
イユの唐突な質問に、シリエは一瞬困った顔を見せた。何かまずいことを言っただろうか。訝しむイユに、彼女が答える。
「ギルドに行けば、あるにはあるけれど、いつになるか分からないの。ただ、船なら『スナメリ』で所有しているものが……」
『スナメリ』は、確か彼女が所属しているギルドの名前ではなかったか?イユは目を輝かせた。わざわざ口にするのだ。乗せてくれるつもりがあるかもしれない。
「それ、本当?!」
「あっ、でもごめんね?乗せていいかどうかはちょっと……」
その態度に、イユは気が付く。セーレで、イユが第三者の頼みを聞いてレパードに急な進路変更を頼むようなものだ。シリエの立場ならば、簡単に頷けないのかもしれない。考えてくれただけ、シリエは親切だ。
「そうよね。ごめんなさい。無理を言ったわ」
ところが、シリエはそこで、話を終わりにしなかった。考えるように、たどたどしく口にする。
「ううん、私の方こそ、気が咎めていたし……」
「?」
シリエが独り言でぼそぼそと呟く。普通の人なら聞こえない大きさだが、イユの耳はばっちり捉えていた。曰く、『でも、お詫び代にしたら高いかな……』。
イユは更に首を捻ることになった。お詫び代とは何のことだろう。ただ、飛行船に乗るにはお金が必要らしいことは察する。
「お金ならここにあるけれど」
とりあえずと、財布の中身を全て見せると困った顔をされた。
「えっと、まさかそれ全財産じゃないよね?大丈夫?」
何故だかとても心配されている。それに、いつの間にか、敬語がすっかり私語に変わっていた。なんとなく、下にみられた気がするが、ここは我慢だ。
「大丈夫よ、きっと」
イユの有り金はこれがすべてだ。しかし、シリエからみるとこの金額は不安にさせるものらしい。根拠のない大丈夫発言をしてから、自分でも心持ち不安になった。
「……足りないなら、働くけれど」
お金がないならギルドで依頼を受けてこればいいというのは、インセートで得た知識だ。その発想で口を開くと、シリエが首を横に振った。
「それには及ばないよ、大丈夫。掛け合ってみるから」
シリエはそう言って、振り返る。彼女の背中の向こう側には『居酒屋』という看板がある。仲間がそこにいるらしい。
居酒屋の扉が開かれると、チャリンチャリンと音が鳴った。お先にどうぞと言わんばかりに、シリエが扉を支えている。一段暗くなった洞穴の中へと進んだ。
「段差に気を付けてね」
まさかこんなところに段差があるとは思わない。シリエの忠告に頷きを返しつつ、段差を一段下りる。続けて下りたところで、視界の先にぼんやりと浮かぶ照明を確認した。
黒い支柱に支えられて、真下に光を当てている。これが飛行船の中なら、間違いなくぐらぐらと揺れていただろう。支柱は細く、長かった。だから、そこから溢れた明かりが、部分的にぽつんと明るくなる。
光に当てられた先には、木製のカウンターがあった。カウンターの手前、イユが今いる側に、黒くて丸い椅子がある。座るとくるくる回りそうだった。
一方、カウンターの奥には棚が並んでいる。そこに見慣れないボトルやグラスが置かれていた。上から下まで順に見下ろしていく途中で、赤銅色のシルクハットに目が止まる。
そこで、始めて気がついた。髪をもじゃもじゃにした男が座っている。帽子と同じ赤銅色のシャツに身を包んでいた。その左手には、グラスが握られている。赤色の液体を三分の一ほど入れて、揺すっていた。
下りてきたイユに気がついたらしく、男の視線がグラスから離れ、上を向く。丸渕の分厚い眼鏡が、照明の光を浴びてきらりと光った。
「悪いな、お客さん。昼間はやってないぜ」
イユは気にせず、次の段を下りた。イユの後に続いたシリエが口を開く。
「大丈夫です。この子は私のお客さんですから」
男が再びグラスを揺すった。視線はイユから離していないが、赤色の液体は溢れることなくグラスの上部でくるりと身を翻す。
「なんだ、シリエちゃんのか。なら、関係ないな」
それだけ言うと視線を落として、グラスを何度も揺すり始める。
「アンナちゃんは」
くいくいっと、空いてる方の手で、男が指した。イユは、その手をみてぎょっとする。袖から先が、なかったのだ。ひらひらと揺れる袖の先で、カウンターの奥の扉を示している。
「ありがとうございます」
律儀に礼をいうところは、リュイスを連想させられる。イユなら見慣れていても、ついつい、『ない右手』が気になって視線をやってしまう。そんなことを思っていると、シリエがイユを追い越してそそくさと奥へ進んでいる。
イユは、先程の男がまだ変わらず左手でグラスの液体を揺らしているのを確認してから、慌てて追いかけた。




