その351 『拾いに』
いてもたってもいられず、ベッドから飛び出た。そのまま扉を開けようとしたところで、リーサの顔が浮かんだ。リーサは女の子らしかったから、身繕いはいつでも完璧だった。あそこまでなるつもりはなかったが、せめて、顔色の悪さぐらいは隠すべきだろう。
すぐに手で髪をとかし、身だしなみを整える。近くに鞄が置きっぱなしになっていることに気付いて、背負った。中に、お財布とロープが入っている。空の水筒も入っていたはずだが、今はなかった。元々ワイズのものだ。回収されたのだろう。
(ない……)
そして、今になって、イユはお守りがないことに気がついた。鞄の中に入れていたはずなのだが、それがない。だが首についた痕に、首にぶら下げていた記憶もあった。それが、いつの間にかなくなっている。いつ首に掛けて、いつ首から落ちたのか、覚えていないのが悔しい。あのお守りは、宝物だった。リーサにジェイクもいない今、なくしてはいけないものだったのだ。けれど、こうもたやすく、なくしてしまった。
「おやおや、どうしたんだい」
老婆の声に、戻ってきたことを知った。イユが立っているとは思わなかったのだろう。もう少し寝ていなさいという表情を向けてくる。
「お守りを知らない?」
ダメ元で聞いてみる。特徴を伝えたが、老婆は首を横に振った。
「鞄から取り出したのは、水筒だけだよ。お守りは見てないねぇ」
大事なものだったのかと聞かれて、頷く。
「それは、残念だったねぇ。見つかると良いのだけれど」
なくしたとすれば、それはシェイレスタの都からここまでのどこかでだ。その殆どの道中が砂漠だったから、絶望的だろう。
暗い気持ちを抱えながらも、イユは鞄の蓋を閉めた。そうして歩きだそうとしたところで、老婆がとおせんぼをするように、正面に立っているのに気づく。
「まさか、お守りをさがしに行くつもりかい?」
老婆の問いに、イユは首を横に振った。
「それなら、お連れの方を追いかけるのかい?」
再び首を横に振る。
「お連れの方からは、謝っておいてくれと言われているよ」
その言葉に首をかしげた。
「謝る?」
「勝手に出ていってすまないとさ」
謝るぐらいなら、出ていかなければいいのに。そう思ったが、口にはしなかった。
「そう」
「怒っているのかい?」
イユは、怒っているように見えたのだろうか。自分でも、よくわからなかった。
「さぁ。ただ、私の用件はそのどちらでもないの」
冷静に考えて、レパードがこのまま帰ってこないとは思えなかった。そう考えられるほどには、余裕が持てたのだ。レパードにはまた会える。それが分かった今、イユがやりたいことはレパードに会うことではない。それをするのは、これからやることを成し遂げた後だ。
「それなら、どこに行こうとしているんだい?」
イユは自分なりの答えを告げた。
「セーレの元へ」
老婆の口が、ぽかんと開いた。「どうして」と、かろうじてその口が形を作る。その反応から、老婆がある程度の事情を把握していると推測できた。
イユは、そんな老婆を見つめる。
「改めて、セーレの様子を確認したくて」
それはきっと、耳を疑う内容だ。ついこないだセーレが燃え上がる姿を見てきたばかりなのに、イユは再びあの土地に戻ろうと考えているのである。彼らがそこにいないことを知っているはずなのに、向かうつもりなのだ。それも、死にかけた砂漠を今度は一人で越えようとしている。
リュイスのことは、レパードが情報を集めているはずだ。レパードは、リュイスのことになると、誰よりも懸命になる。それこそ、イユを追いかけてアズリアの船に入ったリュイスを一人で追いかけるほどにだ。だから、出ていった。そうなると、そちらはレパードに頼ってもよいと判断した。そうすると、残りはセーレだ。何故燃やされなければならなかったのか、少しでも手掛かりがほしかった。
それに、レパードは、もう燃えてしまったセーレの最期をしっかりと見てきた。しかし、イユは違う。意識を失ってしまって、気が付いたら、セーレと離れてしまった。正直なところ、まだ心の整理がつかないのが本音なのだ。けれど、皆を失ったことへの自責の念はある。だから、セーレの皆に、謝りにいかなければならない。彼らの魂にはっきりと別れを告げ、見送るのだ。イユは神を信じてはいないが、祈る行為を知っている。彼らの魂を救い、イユも前に進みたい。現実を受け止めるためには、必要な行為だ。
それを無駄足だと断ずるのは容易い。心の問題だとわかるがために、行ってどうにかなるものでないこともまた、知っている。けれど、イユの心はセーレを求めた。今一度はっきりとあの姿を目に留め、別れを告げたかったのだ。
「事情を大体聞いているなら、馬鹿だと思うわよね?セーレに戻るためには、もう一度砂漠にいかないといけないのだもの」
老婆はゆっくりと首を横に振った。
「私にはまるで理解はできないがねぇ、ワイズ坊っちゃんはあんたたちのことを止めろとは言わなかったよ」
それは、ワイズの承諾を得ていると解釈しても良いのだろうか。いくらワイズでも、イユがこんなことを言い出すとは思わないのではないだろうか。思ったが、口には出さなかった。
「せめて、飛行船を使いなさい。きっと、ギルドに行けば誰かが手配しているはずさね」
ヴァレッタの忠告に大人しく頷く。確かにそれが無難な手段だ。
「ギルドはどこにあるの?」
場所を聞いてから、ワイズの水筒も準備してもらい、イユは外へと出た。
(こんな景色だったかしら……)
建物を出た途端、岩壁が周囲を阻んでいる。その景色は、先ほどの岩壁と大して変わらない。だからこそ、イユは首を捻った。この景色に、見覚えがない。意識が朦朧としていたせいだろう。
賑やかな人の声が、イユの耳に聞こえてくる。それを頼りに、緩やかな上り坂を上がる。そこに、分岐があった。
「あ!」
声のする方を振り向いた、イユの足が止まった。左側の道に、見覚えのあるクリーム色の髪の少女が突っ立っている。くりっとしたはしばみ色の瞳。桃色の可愛らしい衣装。おっとりとした顔立ち。背後にある『居酒屋』と書かれた看板が、その記憶を刺激した。
(この人、確かシェイレスタの都にいた……)
イユがその名を口にしようとする前に、少女がにっこりと笑みを浮かべた。
「あなた、シリエね!」
シェイレスタの都の酒場で出会った少女だ。アンナという少女の仲間で、魔物狩りギルドに所属していたと言っていたはずだ。




