その346 『優しい止め』
告げられてレパードは、一瞬言葉を失う。よくよく考えてしまったのだ。ハインベルタ家という存在の大きさを、イユはどう思っているのだろう。いきなり五大貴族の娘だと言われて、ぴんとくるのだろうか。今まで、『魔術師』としての恩恵を欠片も受けていない少女が、むしろ『魔術師』としての闇ばかりを受けて育ったというのに、良い感情など抱けるだろうか。それはむしろ、本人には自分の親は殺人鬼だと言われて育つのと同じ苦行ではないか。
「だが、俺が知るイユは、『異能者』としてのイユだ。あいつの過去がどうだろうと関係ない」
言い聞かせるように、レパードはそう言い放つ。
ところが、そこに同情のまなざしすら向けられて、息が詰まった。
「それが関係するんです。彼女の身の上を知ることで、彼女の状態が分かりますからね」
ワイズの言わんとすることが理解できない。
「というと?」
促すと、「彼女の異能はどういうものですか」と聞かれた。
「僕の見立てでは、イユさんの異能は、『力を調整する』というものです」
それは、本人もそう認めている。
「人は常に百パーセントの力を出せるようにはできていません。例えばここに、一軒の家があります」
ワイズの指差した先には、白い壁の民家がある。
「この家の壁を破るなんてことは、普通できませんよね?」
言わんとすることを察して、レパードは先回りした。
「普通はできない。だが、イユなら蹴りをいれることでヒビぐらい入れられるだろうな」
それは、異能を使うことで、蹴力を人並み以上に引き上げるからできる芸当だ。火事場の馬鹿力なんて言葉がある。普段はあり得ない力を、ここぞというピンチのときに発揮する。その力で助かった人たちの話は、レパードも聞いたことがある。イユの力はそんな火事場の馬鹿力を好きなときに出せる異能。そういう認識でいると、分かりやすい。
ワイズもそれに頷いた。
「そうです。本来ならば全力を出せないつくりになっている人の体を、イユさんならば出すことができます。それもほんの少し意識するだけで」
「何が言いたいんだ?」
要領を得ず、たまりかねたレパードが声を上げると、冷たい目で見上げられた。
「何故、人が常に百パーセントの力を出せないか考えたことはありますか」
何故か。常に全力を出せるなら、出せた方が当然良いはずだ。特に旅生活が当たり前のレパードにとって、全力を出せることの意味は大きい。仮眠の殆どとれない生活で、いきなり魔物に襲われたときに、誰が全力で走って逃げられようか。大抵の人間は、疲労がたまって全力で走ることができない。途中で、魔物に掴まって食われるだろう。しかし、イユならば、逃げ切れるわけだ。つまり、その力は常に出せたほうが有利ということになる。
答えのでないレパードに、呆れたように溜息すらついて、ワイズが代わりに答えを示した。
「壊れるからですよ」
壊れる。まるで機械に使うような言い方だ。
「百パーセントの力を出し続けるには、人の体は、負担がかかりすぎるんです。だから、できないようになっています」
段々言いたいことが見えてきた。
「つまり、イユは本来出せるようになってはいけない力を出していると?」
ワイズが、こくりと頷く。
「そして、恐らくは壊れた傍から治癒力を引き上げて治していっている。それが間に合えばいいですが、次から次へといろいろな部位で力を引き出している様子です」
どれだけ疲れていても、本当に過労死するその寸前まで、動き続けることができる。常に最大の力でもって、走り続けることができる。そうして、限界が来ても、片っ端から治していく。その結果、無理に無理を重ね続ける。それでは、確かに、体中がおかしなことになっていく。それでも、きっとイユはそれに気づかないふりをして、また無理をさせて動くだろう。
いつか近いうちに本当の限界がくる。それが手に取るように分かった。
参考までに。と、ワイズが語る。
「僕が目覚めたときには、イユさんの両足の筋繊維が切れていました。それを何度も修復しながら歩き続けたのでしょうが、治りきっていない状態で歩いては何回も切れたでしょうね。痛覚も制御しているでしょうから、その異常に本人も気付いていないとは思いますが」
あまりな内容に、唖然とする。
「それは……」
具体的に聞けば、ワイズの言いたいことが分かった。確かに、これは異常だ。限界が近いうちに来るとかそういう次元ではない。そんな無茶を続けて、現在五体満足に生きていることが奇跡だ。
驚いたレパードに、ようやくわかったかという視線を、ワイズが向けてきた。
「いくら異能があるとはいえ、あんな体の使い方をして、人間が平気でいられるはずがない」
ワイズは足を止めて、今一度レパードをくるりと見上げた。その瞳は、真剣そのものだ。だからこそ、この少年は、本気でレパードやイユを心配しているのだと気づかされる。返礼だけではない、そこにはワイズの意思があった。
「死にますよ、近いうちに」
だからこそ、その宣言は、まるで死神の鎌に首を刈り取られたかのようだった。一切の猶予もなく、淡々と、事実だけを口にされる。
本物の親切心で言われているからこそ、余計に堪えた。目を逸らしていた事実に、気づかされた気さえした。
「だから、休ませてあげるべきです。あなたは、仲間を探すのでしょう?それはきっと、危険な旅になるでしょうから、彼女まで巻き込むべきじゃありません。彼女を大切に思うなら、できれば、一生、無理をさせることのないように、計らってあげてください」
だが、そうするには、レパードは手放さないといけない。そのための道筋をワイズの優しさが作り上げていく。
「お望みなら、僕の方で彼女の生活を保証することもできます。これでも『魔術師』の端くれですから、僕には『手』がいます。ヴァレッタに頼めば、子供たちと一緒に面倒をみてくれるでしょう。ヴァレッタはもとい、エッタたちもああ見えてしっかりしてますから、心配はいりませんよ」
だが、あいつは俺と。
そんな言葉が、声にならなかった。ただのレパードの我儘だ。それを知っていたから。
そして、まるでレパードの意思をくみ取るように、ワイズが言の葉を重ねてくる。
「僕は医者ではないですが、治癒する者として発言します。これ以上の無理は、彼女にはさせられない。今までは、施設にいたから仕方なくあんな生き方しかできなかったのでしょう。そうしなければ、生きていけなかったのだとしたら、それは仕方のないことだと思います。けれど、これからは、折角自由になれたのですから、安静にすべきです」
そうしなければ、イユは死んでしまうと、そういうのだ。
「だが、イユは『異能者』だ。普通の街では生きていけない」
なんだか過去に誰かがこんな言い訳を口にしていたなと、話しながら思った。どこで聞いたのだったか。暫く考えて思い出した。イユがイニシアで言っていた。イニシアに置いて行こうとした時、警戒が必要だというからここには残りたくないとそう言ったのだ。それをほかならぬレパードが否定した。
案の定、ワイズが親切心で言葉を塗り固めていく。
「この街の者は皆、親切です。『異能者』だということさえ口にしなければ生きていけます。それができないほど愚かでもないでしょう」
レパードは、中々頷けなかった。それを見たワイズが、首をかしげる。
「心配ですか?イユさんは、あなたが思うほど、愚かでもないし周りと上手くやっていけない人でもないと思いますが」
そうだろう。イユは施設にいたことを隠していた。その言葉を口にしていたら、レパードは船に乗せなかった。ワイズの言うように、愚かではないのだ。それに、なんだかんだで、セーレでイユは打ち解けていた。警戒心を向けられても、それを崩す努力ができる人間なのだ。
「だから、イユさんのためにも、あなたが決めてあげてください」
俺が?
言葉に出したつもりはなかったのに、ワイズは頷いた。
「彼女は、はじめての外で手に入れた環境を進んで手放そうとはしないでしょう。当たり前です。それが、今までの人生で一番の幸せだったんですから」
ワイズの言葉に、レパードはそっと目を閉じた。イユは、どう思うだろう。
セーレを追い出そうとした当初、イニシアでのイユの言葉を思い返す。
「セーレの皆には、初めて人らしい生活をさせてもらったから」
本当に愛おしいものを見つけたとばかりに、プレゼントされた宝石に触れていたのだ。だから嘘ではないと思った。
「それが嬉しくて、離れたくないと願うの」
だがその言葉は、本人が言うように、偶然出会ったのがセーレだったからというだけの話だ。今までが、異能者施設のような狂った場所にいたのだから、嬉しいに決まっている。もし、これがワイズの提供する環境であっても、イユは人らしい生活をさせてもらうことができる。レパードでなくてもよいのだ。セーレでなくても、イユは幸せになれる。
止めとばかりに、ワイズが発言した。
「だから、本当に彼女のためを思うなら、あなたから告げてあげてください」
彼女にとっては残酷な、けれど大切に思うがゆえに必要な言葉を。
ギルドの建物の扉を開けると、一気に喧噪が鳴り響く。これは確かに煩いなと感じながら、周囲を見回す。橙色の魔法石の塊が、建物の中央にそびえている。その周囲をまばらに石の椅子が点在しており、そこで何人もの人々が話し合っていた。
彼らの様子に、レパードは「おや?」と訝しむ。言うなれば、ギルド特有の喧騒がここになかった。同じ喧騒でも何かが違う。いつもなら、どのギルドであっても共通して感じられる活気、仕事のやり取りや報酬の分け前などの前向きな話し声――、があるはずだが、それではない。話し声といえば、ひそひそ声で、どの人々の顔も、どこか暗い。違和感を感じずにいられない。
ワイズの様子を確認して、同じ事を感じている顔だと察した。そうなると、この雰囲気は、ワイズが訪れたときにはなかったということになる。
くるりと迂回すれば、受付が見えてくる。どこのギルドも一緒だなと感じるのは、ここでもきっちりとした恰好の男女がいることだった。金髪の髪を結いあげた女が、レパードを確認して神妙に頭を下げる。
「よう、少しいいか?」
近づくレパードに律儀に挨拶を返す。その表情もどこか強張ってみえた。
「何があった?」
押し殺して聞くレパードに、受付嬢がちらっと視線を寄こす。ワイズが『魔術師』だと気づいているのだろう、ワイズを一瞥したのだ。
構わないという意味で、レパードは頷いた。
「実は……」
次の受付嬢の言葉に、息を呑むことしかできなかった。
「マドンナの訃報が届いたのです」




