その345 『噂の真実』
だが、嘘ではないだろう。この少年を信用していいかどうかといわれると、正直まだわからない。ここまでされても信じきれない自分がいる。しかし、そろそろ答えを聞かせてやってもいいかもしれない。
「お前は……、ブライトの目的が知りたいと言っていたな」
レパードはそう確認をする。ワイズの返事も聞かないままに、続けて口を開いた。
「あいつは、あいつにそっくりの式神が欲しいと言っていた。リュイスは恐らくただの、交換条件だ。リュイスを、カルタータを欲していたのは残りの二人だった」
ワイズの瞳がくるりとレパードを見た。
「どういうつもりです?」
レパードは自分の発言が示す意味を改めて振り返る。わざわざ手札を切ってしまった。イユに聞いていた、ワイズが知りたいといったブライトの目的が、カルタータとは関係ないものだと教えてしまった。それなら、ワイズがレパードたちを助ける必要などもうない。ブライトの目的が式神を作り出すことだと伝えたから、ワイズは目的を達成したことになる。
「別に。ただちょっと思い出しただけだ」
それでも、いいと思えたのだ。ここまで意気地になって教えない必要は、もうないと。
ワイズはレパードの言葉に何も答えず、ただギルドへの道を歩き続けた。道案内は最後までしてくれるつもりのようだ。
「ウルリカの花については、聞きましたか」
唐突な質問に、ワイズの意図は読めない。
「あぁ。人狩りに合わなくなる幸福を呼ぶ花だってな。あり得ないだろう、現に襲われたばかりじゃ信ぴょう性がない」
ワイズはそれから暫く黙っていた。曲がり角を曲がると、ちょうどそこにウルリカの花が咲いている。目線の位置にあるおかげで、その花をまじまじと観察できた。この花は、橙色をしている。花弁の先端が濃い橙色で、内側に向かって白くなっていた。色鮮やかなその色彩は、多くの人々に愛されたに違いない。ましてや、外は砂漠だ。花のないこの地域で、地下に咲く大輪があったとなっては、紛れもなく注目を浴びただろう。
そんな花を見て今思いついたとばかりに、ワイズが口を開いた。
「浄化の力があるのですよ」
「浄化?」
「えぇ、この一帯は元々、魔法石の採掘のための土地でした。しかし、山を掘り進めたとき、急に大勢の者が病に伏したと言われています。人々はそれを、山の呪いだと」
「山の呪いか」
世の中にはそういう呪いの類が存在する。雲の中に紛れ込むと、何故か上下左右が分からなくなったり、上空に上がりすぎると息ができなくなったり、そういった言葉では説明のできない超現象が存在する。この話もその一つだろう。
「それをこの花が救ったのだそうです」
美しいばかりか、人の命を救う花。しかも、呪いを払ったのだから、神に愛されし魔除けの花だ。
「だから、幸福を呼ぶ花か」
ワイズの説明に納得した。そういう由来を聞けば、レパードでも理解ができる。
「人狩りはこの花とは無縁の話ですが、あながち嘘ではないわけです」
つまり、ワイズはこう言いたいのだろう。
「噂には、必ず理由があると」
ワイズはそれに何も答えなかった。
だが、レパードはそれでよいと判断する。ワイズが伝えたかったことは何だろう。噂に理由があるとは、言い換えれば火のないところに煙は立たないということだ。
「僕の知っている噂の一つに」
ぽつりと、ワイズが呟いた。横顔からは表情が見えない。
「十二年前に雪道で家族を失った、ある『魔術師』の噂があります」
雪道。それはきっと、雪国イクシウスの出来事だ。
「賊に襲われたのだそうです。そこで、最愛の妻と当時四歳だった娘を失ったと」
その娘というのが、誰のことかを察して、レパードは口を開いた。同時に気が付く。ワイズは、きっとイユのことをよく知ったうえで、レパードたちに近づいた。下調べはしてあったのだろうと。
「だが、生きていた?」
ところが、そこでワイズは肩を竦める。
「どうでしょう?」
少なくとも僕は『生きていた』という噂を知らないと、その横顔がそう言っている。
「当時噂になったのは、残された『魔術師』の男の変わりようです」
「変わりよう?」
意外なところに、焦点が当たった。
「はい。あれほど『異能者』の弾圧に反対していた彼が、急に『異能者』を嫌悪しはじめ、あろうことか異能者施設に入った」
それは、どういうことだろう。事実の一端を、娘が『異能者』だということを知っているレパードには、いろいろな推測ができてしまう。
「五大貴族の一つでしたから、『ハインベルタ家の急変』なんて、冗談めかして言う人もいます」
ハインベルタ家にとっての大惨事。大事な跡取りと妻を失った事件。けれど、それを男の変わりようになぞらえて、そう呼んだ。
「賊に『異能者』がいたから、サロウ・ハインベルタは当時の国王に逆らってまで、方針を変えた。それが、噂です」
火のないところに煙は立たない。ワイズはそう言っていた。ウルリカの花は、幸福を呼ぶ花だ。だが、人狩りを行う大人の悪意までを吸い取るものではないだろう。あくまで、山の呪いを払う花だ。この事実になぞらえると、急変した『魔術師』の噂は嘘だ。実際、事実として、娘は生きている。そして、彼女は、イユは、『異能者』だ。けれど、一般的には亡くなったことになっている。否、したのだろう。そうでなければ――、
「お前は、その噂の真意をどう読んでいるんだ」
レパードの問いかけに、ワイズは淡々と答えた。
「サロウ・ハインベルタはハインベルタ家の栄光のため、自身の家系に『異能者』がいることを否定しなければならなかった。そういうことでしょう」
なんてしっくりくる『魔術師』らしい感情だろう。彼らは口にして言うのだろう。皆に虐げられる『異能者』が、優秀な『魔術師』の家系から出るはずがないと。その希望も何もない事実に基づくと、イユは施設から逃げ出したから、サロウに殺されかけたということになる。サロウにとって、イユは人生の汚点なのだ。なんて醜く、冷たい家族であることだろう。
レパードはそこで、サロウが話していたことを思い出した。
サロウは言っていたはずだ。「施設長になってから散々探したのだが、その時にはもう掃き溜めにいたのか、見つからなかった」と。つまり、イユは施設にいる間、サロウの庇護下にいなかった。だから、逃げ出してしまった。或いは施設に残っていて、サロウと会えていたら、さすがに娘だ。殺されることはなかったかもしれない。
そうとも言い切れず、レパードはサロウという男の姿を思い浮かべる。あの男の冷酷さが、自身の保身からきているなら、施設で会っていてもイユは助からなかった、その可能性はあった。
「やりきれないな」
反吐が出る。なんでそんな生き方しかできないのかと、あいつらに言ってやりたい。同じ『魔術師』同士ですら蹴り落として、何をしたいのだと。
そう考えてから、ゆっくりと首を横に振った。ワイズは、何故この話を口にしたのだろう。その話が、どう彼の意図につながるのか、レパードはまだ読み解けていない。
「噂の背景に何があったのか、このように大体察しはつきます。その状況を推測するからこそ、むしろよく生きていたなと感心するくらいですよ」
イユのことを指しているのは分かった。レパードが切り札をみせた、それに対するワイズの返礼は、これらしいと。
「お前は、イユのことを調べていたのか」
まさか。とにこやかに笑って、ワイズが語る。その笑い方は、姉そっくりなのでやめてほしい。
「『魔術師』のなかでは有名な噂です。ご存知ないでしょうが、もえぎ色の瞳に琥珀色の髪は、ハインベルタ家の当主が先祖代々受け継ぐ特徴なのですよ」
それが事実なら、ブライトも早い段階から気が付いていたのではないか。
「だから、見てすぐにぴんと来ました。あなたがイユと呼ぶあの人の本名は、オリニティア・ハインベルタ。十二年前、雪道で賊に襲われ殺されたことにされた、現イクシウス異能者施設長の娘、『ハインベルタ家の急変』の当事者とね」




