その344 『親身の裏側』
「さて」
振り返ったレパードは、まだ突っ立ったままのワイズへと振り向いた。ワイズは立ち位置を全く変えていない。下手に逃げ回られた方が邪魔だったから、その判断は間違ってはいない。だが、目の前で起きたどうでもよい劇場を仕方なく観戦したように見えるその顔に、一言いってやりたくなる。
ところが口を開いたのは、ワイズの方が早かった。あくまでさらりと、口にする。
「隠れていなくていいんですか。僕をつけていたんでしょう?」
どうもレパードの尾行には気づいていたようだ。それならば、あの男たちの尾行も気づいていたとみるべきだ。わざと人気のない場所に移動したのだろう。
呆れ果てたレパードは、ワイズに言葉をぶつけた。
「お前な、俺が助けにいかないと死んでいたんだぞ!」
レパードがみたところ、ワイズは本当に何の手も持っていなかった。手に法陣を描き足した様子もなければ、杖を構えもしなかったのだ。ただ、視線を一瞬外して、レパードを見た、それだけだ。
ワイズが頼りにしていたのは、レパードだけということになる。だが、レパードはワイズを見捨てていたかもしれない。或いは助けに入る必要がないと判断していたとしても、何もおかしくはない。ワイズ自身は、ヴァレッタに言っていたはずだ。レパードが何かしてきたら抵抗をするなと。つまり、それだけレパードのことは信用していなかったのだ。それなのに、何故レパードに縋ったのか。
「そうでしょうね」
あっさりとワイズは認めた。
「けれど、あなたがきましたから」
分かっていたから大丈夫だと言わんばかりの言い草だが、レパードは騙されない。
「なんでこんなわざわざ襲ってくださいと言わんばかりの場所に下りたんだ。それは俺の存在に気付く前のはずだろう」
レパードが見つけたのは、ワイズが人通りの少なくなるこの空間に入る寸前なのだ。それまではつけていないので、レパードがいることなど万が一にもわかるはずがない。
レパードの詰問にも、ワイズはあくまでさっぱりしている。
「街の人たちを巻き込まない場所がいいと思いまして」
そこにはあくまで真意を隠そうとする、壁があった。子供が懸命に積み上げたその壁を、レパードは突いてみることにする。
「お前は死にたいのか」
はじめて、ワイズの表情が崩れた。眉間の皺が更に寄る、それだけの変化だったが。
「……それは生きたくはないのかという質問でしょうか」
不思議な質問の返し方だった。考えながらも頷くしかないレパードに、ワイズは少し視線を逸らした。
「僕は、中途半端が嫌いなだけです」
「それは、どういう……」
ワイズは質問に答えなかった。会話の途中だというのに、歩き始めたのだ。
それについていくと、ワイズがちらりとレパードを振り返った。
「ところで、あなたはこれからどうするつもりなのですか?」
来たばかりの道を、再び登り始める。どんどん薄暗くなる道は、一度通ったはずなのに先行きを不安にさせる。仕方なく、ワイズのあからさまな話の反らし方に、乗ることにした。
「攫われたリュイスを、取り戻す」
イユは、どうにか助かった。それならば、次に助けるべきはリュイスだ。
「そのためにギルドで情報を集めたかったのだが、この街のギルドは新しいんだな?」
レパードの確認に、ワイズは頷いた。
「耳聡い者は隠していても見つけますから。来てしまったら、こちらに拒む理由はありません。それで、とうとう居座られてしまいました」
まるでギルドがマゾンダに来るのを嫌がっているかのような口ぶりだった。そう感じてから、それもそうかと思い返す。今しがた、まさにギルドの者に襲われたばかりだ。
「ギルドにはいろいろな連中がいるからな。街にも影響があるわけか」
「全くもってその通りです。妙な活気のせいで、静かな街の雰囲気が台無しですね」
レパードから見ると、活気があるのは良いことだと思うのだが、ワイズにとっては違うらしい。だが、ワイズの言いたいことも分かる。ギルドは所詮余所者だ。柄の悪い男たちが街に入ってきて好き放題する可能性も、仲間通しでもめ事を起こし街に迷惑をかける場合もある。最も貴重な薬を渡り歩いたり、世間では重宝される品物を届けたりすることもあるから、悪いことだらけではない。魔物の退治も請け負えば、孤児院に積極的に寄付もする。
しかし、この街で見た、無邪気な子供たちの様子を思い返す。ウルリカがあるから悪いことはされない。その言葉を信じているとしたら、あまりにも無防備だ。少なくとも実際にワイズは、ここで襲われたわけなのだから。
ワイズが扉を押し、それに続く。再び広々とした街へと戻ってきた。活気が二人から僅かに重い空気を取り除く。
ワイズが杖で、一軒の建物を示す。他の家と大差ない大きさだが、建物の上に掲げられた看板に、確かに大きく『ギルド』と書かれている。紋章旗も見えた。配達員の男が示したのはここだったかと気が付いた。
「あそこですね。さて、僕は行ったばかりなのですが……、保護者が必要でしょうからね」
逆だろうという突っ込みは、軽く流された。
「行ったばかりっていうと、収穫はあったのか?」
歩きながら、確認すると、ワイズは首を横に振った。
「正直厄介な奴らに目をつけられてしまったのが分かったので、早々に立ち去りました」
厄介な奴らとは、先ほどワイズを襲ったギルドの者たちだろう。レパードは想像する。ギルドには当然他にもギルド員たちが存在する。ワイズが出ていった後を追いかけていった男たちのことも目撃していることだろう。それが戻ってくるのが屈強な男たちならいざ知らず、子供のワイズだけが別のお供を連れて颯爽と戻ってくるのだ。妙な噂が立ちそうだなと内心思う。
「ただ、目撃者はいないようでしたよ」
ワイズの言葉に、「そうか」と返答する。ワイズが調べてくれたのは、セーレの方だ。砂漠に佇む船を奇襲したのだ。やはり、早々目撃者はいるものではないだろう。
「……お前は、なんでそんなに親身なんだ」
何もレパードたちの事情に片足を突っ込む必要はないはずだ。襲われても抵抗する仕草を見せないことといい、この少年はどこか危なっかしい。まるで、自分のことに対して一切の自我がないようだった。
「言ったところで、『魔術師』のことなど信用できないのでしょう?」
言い切られてしまうと、そうだとしか答えられない。現に、ワイズに対してレパードは何度も信用できないと言ってしまっている。
どもるレパードに、ワイズは見透かした目を向けた。
「ただの、罪滅ぼしですよ」
「罪?」
問いかけたレパードに、ワイズはこのとき既に背を向けている。
「えぇ、生きてしまったことへの、ね」
それがどういう意味なのかは、答えてはくれなかった。




