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カルタータ  作者: 希矢
間章 『そして、底から』
338/992

その338 『鼠と蛇』

 蛇から距離をとったイユは、左に首を向ける。そこに、梯子があった。梯子がある位置まで下がり切ったのだ。

 そこでまた、思案する。昇降機は蛇が陣取っているから、使うのはほぼ無理だろう。そうなるとやはり、この梯子を使うしかない。梯子を登っている間、二人も背負って本当に大丈夫だろうか。今まではなんだかんだ、レパードの足が地面にかすっていた。イユ自身が前かがみになっていたから、背負えていたのもある。しかし梯子は直立だ。二人分の重みを抱えて、梯子が後ろに倒れていきやしないだろうか。

 賢いやり方をしようとするならば、一人ずつ登るのだ。足に力を入れてひとっ飛びできれば一番良い。しかし体力的に厳しいのであれば、自力で一人ずつ梯子を登る手がある。

 けれど、梯子を登っている間に、蛇がやってきたらどうすればよいだろう。

 その答えをイユは、持っていない。かといって、こんなことに延々と悩み続けるのも無駄だ。早く判断すべきである。

 考えた末に、梯子を掴んだ。ゆっくりと梯子に力を入れていく。梯子は思った以上に、頑丈らしい。イユが力を込めても、今のところはびくりともしない。これならいけるかもしれない。そう判断した末、背中のロープを更にきつく縛りなおした。

 意を決して、二人を抱えたまま、梯子を登り始める。

 一段、一段、手を動かし足を上げる。いつもなら、セーレの見張り台に登るために何の苦も無く上がっていた梯子だ。それが、今は辛い。最もセーレでも二人を抱えながら登るような芸当はしたくはない。

 重心にだけは細心の注意を払い、息をつきながら登っていく。

 階下では、蛇の這う音が聞こえた。何をしているのだろう。気になったが、重心を大きく変える動きはできない。頼むから、動いているイユたちに興味を抱いて、飛びかかろうとしていないことを祈りたい。

 更に一段進んだところで、耳がチューチューという音を拾った。

 聞き覚えのある音に、イユはそっと顔を上げる。そこに、黒色の何かが見える。目を凝らさなくても分かる。あるのは、動物の毛だ。ここから見る限りでも、イユの拳ぐらいの大きさだろうことは察せられる。しかし、どちらだろう。

 これが魔物ならば、イユという肉がやってくるのを手招いて待っているところだ。これがただの鼠ならば、人の姿が珍しくて覗き込んでいるだけだろう。

 後者であることを祈りながら、イユは再び、次の段へと手を伸ばした。

 鼠の姿が視界に入ってくる。赤いつぶらな瞳がじっとイユを見ていた。その背後に、広々とした道が見える。

(鼠に遭うのも久しぶりね)

 そんな感想が浮かんでくる自身に、笑いがこみ上げる。

 こんな状態で、そんなありきたりな感想しか浮かんでこないのだ。とうとう自分の頭もやられてきているとそんな風に感想を抱いた。

 それと同時に気が付いた。黒い毛並みの鼠の毛が逆立っている。その逆立ちようといったら、毛そのものが剣のように固い素材でできているかのようだった。そう考えたイユの顔が、そこに映っている。小さなイユの顔が、並んでいる。一人目、二人目、三人目。琥珀色の髪がくすみ、もえぎ色の二つの瞳がイユを見つめ返している。

 すぐに気が付いた。その毛は、本当に剣のような素材でできている。或いは鏡かもしれない。だから、イユの顔が反射しているのだ。そうしてこのように異常な毛を持っている以上、ただの鼠ではあり得ない。

 魔物だ。

 はっきりとした危機感が、イユの中にようやく芽生える。毛に映ったイユの顔が、一斉に怯えた。

 そのとき、もう一つの違和感に気が付いた。鼠の毛に映っているのは、イユだけではないことにだ。黄色い何かがちらちらと瞬いている。その無数の黄色に覚えがあった。

 あっと声を上げる暇はなかった。どちらにせよ、悲鳴を上げられる声は出なかった。

 だが、鼠は別だった。キキっという金切り声を上げると、脱兎のごとく横に反れた。

 それに合わせて、イユと鼠を覆っていた影が移動する。それで気が付いた。先ほどまで、ぼんやりとイユと鼠の背後を影が覆っていたのだ。梯子に登るのに一所懸命で、そのことに気づきもしていなかった。

 鼠の後を追いかけるように動いた影が、次の瞬間鼠を呑み込んだ。鼠の断末魔の声が響く。

 イユの視界の端で、砂色の蛇の鱗が、映っていた。黄色の瞳が周囲を探っているのも見える。先ほど咥えたばかりの獲物が、喉の方に膨らんで、首へと伝っていった。

 他でもない、あの昇降機にいた蛇だ。イユの背後にまで体を伸ばし、たった今、鼠の魔物を喰らった。

 その事実に、体が震えた。

 理解を超越した生物たちが、今イユを置き去りにして壮絶な物語を演じている。その中で、イユは傍観者だ。この先もずっと、傍観者で居続けたかった。

 次の蛇の獲物がイユになるのは、絶対にごめんだ。

 蛇の瞳が、ぎょろっとイユを見た気がした。恐怖で体が強張る。梯子の上では満足に身動きができない。蛇は知っていたのかもしれない。下手に人間に抵抗されるより、身動きのしにくい梯子に登らせた方が、ずっと楽に獲物を食べられることを。鼠を先に捕まえたのは、あちらは逃げてしまうからだ。先に逃げられる方から食べようとして、鼠を喰らった。次はイユの番だ。

 ごくりと呑み込んだのは、自身の唾だった。

 イユの心の声が通じたのか、獲物を呑み込んだ蛇がその場でとぐろを巻きだす。再び昇降機へとその体が戻っていった。

 がちがちに固まったイユの体は、蛇が大人しく昇降機へと戻っても全く動かなかった。何分そうしていたのだろう。息をしていないことに気付いて、はっとする。

 今起きた出来事は夢だったのだろうか。そんな錯覚にも囚われた。

 何とか無理を言わせて上がりきると、イユは、すぐに階下を確認した。砂色の蛇が変わらずにそこにいた。眠っているように目を閉じている。鼠を食べて満足したのだろうか。

 イユはそっと立ち上がった。音を立てて刺激することは絶対にしたくなかった。

 すぐにでも立ち去ろうと、足早に動き出す。

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