その337 『洞窟を歩く』
洞窟の中は、外の暑さなど全く感じさせない冷気に満ちていた。首が痛くなるほど高い天井に、青色の魔法石だろうか、微かな粒が煌めいている。そのおかげで、明かりがなくとも洞窟内の様子がぼんやりと分かった。異能を使わなくてもすむ。
左右の岩壁は手を伸ばせば触れるほどに近く、背中の重みに耐えかねたイユはたまらず手を伸ばした。冷たい岩の感触を頼りに、一歩一歩進んでいく。幸い、足元はなだらかになっている。砂漠と違い、足をとられることもない。
(これなら、いけるわ)
そう考えたのは、早計だった。
道がいくら歩きやすくなっても、砂漠の炎天下とおさらばできても、背中の重みが減るわけでもなければ、乾ききった喉を潤せる泉があるわけでもない。はじめはどうにか進めていた身体も、すぐに悲鳴を上げ始めた。その悲鳴を圧し殺して、足を動かす。このための異能だ。今役立てずにいつ役立てるのかと、自身を叱咤する。
時々、梁のされた壁に出会ったから、人の手が行き届いているのが、よく分かった。ここまでくると、この先にすぐ街がみえることに期待したくなる。だから、あと少しの辛抱のはずだと、イユは自身に言い聞かせる。
足を止めて休むつもりは全くなかった。きっと、本当は分かっていた。ここで足を止めたら、もう意識を保てないだろうことに。身体が洞窟の冷気に当てられて冷えているのに、背中だけは熱いのだ。それはレパードたちを抱えているからではなく、傷が開き始めているからだ。
最もいつもなら、異能で治したはずだ。それが、今できなかった。
生きたいのか、イユ自身、よくわからないでいた。ただ、今のイユに自分を労ることはできないが、レパードたちを助けることはしたい。だから、歩き続けた。傷を治した方が皆が助かる可能性が増すとか、そういう発想は沸いてこなかった。
既に真っ当な考えができるほど、意識はしっかりしていない。まるで、目的を指示された人形だ。無理を重ねて異能を使い続け、そうして足を動かす。それだけが、今のイユにできる唯一のことだった。
それも、肌に感じた地面の感触で、叶わなかったことを知った。
はっとしたイユは、慌てて起き上がろうとする。背中の重みが身体中にのしかかって、満足に息もできない。それでも、無理やり力を込めようとする。足を立たせようと、両手にまで力をいれて、地面の岩を掴んだ。砂漠の砂はこういうとき、指の間からすり抜けていったが、ここでは違う。両手で押し出すように力をいれたイユの、膝が地面から離れた。再び、視線が洞窟の先へと向かう。
そこに、分岐があった。どちらも、人の手が入ったとわかる梁が定期的にされている。目を細めてみたが、どちらの道を進んでも、新たな分岐が待ち構えている。この作りはまるで、迷路のようだった。
レパードは、なんと言っていたか。
少し振り返ってから、左側の道を伝う。次の分岐までの道のりが遠い。ロープが緩んできたのか、背中の重みが、イユの動きに遅れて動く。よろめきながらも、足を踏ん張ったイユは二人のロープを点検する。どうも倒れたときに、位置がずれたらしい。
二人を一度下ろしてから結び直す。改めて背負い直そうとして、立ち眩んだ。さすがに休むべきか。そう思ったところで、レパードとワイズの顔色に目が行く。もし、ここで休んだことでレパードたちが海に還ってしまったら、きっとイユは永遠に後悔する。それが分かってしまったから、イユの足はやはり止まらない。
二人を背負い、再びの分かれ道にたどり着く。右と左に別れた道が、先ほどと同じように、途中で分岐している。
(まだ左)
レパードの言葉を思い返しながら、左を行く。右に曲がるのは、三番目だったと記憶していた。
そうして、とうとう三番目の分岐にきたイユは、そこで立ち止まった。今、目の前にあるのは三又の道だ。左右に細い道、右斜めに坂道がある。
イユの体は右に向いた。視線の先で、百足が壁を伝っていく。その姿を見失ったところで、視線がその先へと向く。そこで、はたと固まった。
大きな段差があった。イユが二人と半分いればようやく届くだろう、高さの段差だ。そこに掛けられた梯子が、鈍色に光って、イユにその困難さを主張している。
二人も担いで梯子を登る自信は、今のイユにはなかった。縛り直したとはいえ、さすがに宙に浮く状態になっては落ちるかもしれないと懸念する。
げんなりしながらも、近づいたイユは気がついた。梯子の隣に、昇降機がある。梯子がある空間だけ幅広になっていて、昇降機の姿が隠れていたのだ。それに、砂を被って真っ白になっているせいで、存在感が薄かったのもある。
期待したイユは、柵に手を伸ばして、思わず引っ込めた。
黄色の瞳が、ぎろりとイユを見た気がした。鋭い瞳孔は、レパードやリュイスの瞳を連想させる。洞窟の淡い光を浴びた鱗が、砂色に溶け込んでいる。
すぐ目の前に、大蛇がいたのだ。イユの腕ぐらいの細さではあるが、ケージから飛び出そうになるほどのとぐろを何重にも巻いているあたり、恐らくは大きい。毒があるかどうかは、イユの知識では分からなかった。
しかしながら、はっきりとしていることは一つある。二人も背負ったイユに、蛇の猛攻を避けることはできないということだ。
どうすべきか。イユは思案する。炎の魔法石があったら、火を放って追い払うこともできた。だが実際は、あの砂漠の暑さの中、これ以上熱くなる魔法石を運んでくる気力はなかったというのが本音だ。武器になりそうなものといえば、空の水筒があるにはあるが、それで下手に刺激するのもよくない。
悩んだイユは、蛇を視界の中に捉えたまま一歩下がった。蛇はイユに気が付いていないように、身動き一つしない。しかし、あまり大きな動きをすると刺激する可能性もある。間違っても後ろを向いて脱兎のごとく逃げるわけにはいかなかった。イユが背を向けることで一番危うくなるのはワイズだろう。さすがに憎し『魔術師』といえど、蛇の肉壁にするのは抵抗がある。
一歩、更に一歩と下がっていく。緊張に喉がなった。その音すら、蛇を刺激しやしないかと不安になる。
けれど、蛇はイユのことなど気に掛けていないらしい。くるりとその顎を柵の向こう側に追いやる。
思わず、ほっとした。その瞬間、足元で小石が当たった。カランカランと音が響いて、近くへあった梯子へとぶつかる。
全身の毛が逆立った。なんでこんな時にこんな音を鳴らしてしまうのだと、自身を責め立てる。そうしてから、ちらりと視線を蛇の方にやったが、蛇は変わらず柵の向こう側にいる。イユ一人が出した音を気にした様子はなかった。大らかで非常に助かると、心の中だけで蛇の徳に感涙した。




