その335 『砂漠を行く』
次の日も、炎天下はやってくる。まだ朝だというのに、陽射しが一行を焼くようだった。日が昇らないうちから歩きだしたというのに、全然進んでいる気がしない。
延々と続く道の先に、ようやく山の麓が見えてきた。それから、更に足を進めること、時計はないので体感にはなるが、一時間。やっとのこと、山壁にたどり着く。赤茶色の山肌は、ごつごつしていて、いかにも熱を秘めていそうだった。引っかいたら、炎の魔法石が剥がれ落ちてくるかもしれない。
「入り口はどこだ?」
山に向かって歩いていたつもりでも、人は意外と真っ直ぐに歩けない。話にあった洞窟が見つからなかった。それどころか、一度通ったはずの坑道も見当たらない。
イユは必死に目を凝らす。砂のせいで視界が霞んで見えにくい。それに、眩しさのせいで、何も見えなかった。
首を横に振るイユに、レパードが肩をがっくりと下ろす。
「さすがの異能も、砂漠には厳しいか」
こうなれば、ただひたすらに歩いて探すしかない。しかし、山は左を見ても右を見ても、続いている。
悩んだレパードが、右に足を進めた。イユもそれに続く。
一体何歩歩けば、洞窟があるのだろう。全く進展しない光景に、滅入ってくる。せめて、山の終わりを確認できれば、身を翻して反対側に進んだ。しかし、それすらない。いつ終わるとも知れない道を歩き続けるのは、苦痛しかなかった。
「戻るか?」
レパードの問いかけに、首を横に振る。ここで戻ったら、先ほど進んだ道と同じ距離を歩かなくてはならない。それこそ気が滅入るどころではなかった。
一歩、一歩が重たい。砂が靴の中に入ったその重さが、気になって仕方がない。目の前が滲んで見えている。額に伝う汗を拭って、さすがのイユもたまらず水筒を開ける。僅かな水が舌を伝う。振り仰ぐが、水はそれ以上出てこない。
「すまん、俺の水筒はもう空だ」
別にレパードの分を飲みたいと言ったわけではないのに、先にそんな風に謝られる。首を横に振って、進んだ。早く、陰に入りたかった。そうすれば、もう少しまともな気温になるはずだ。
炎天下を歩くのは、想像以上に堪えた。元々イユは雪国の人間なのだ。それに、普段空の上にいるときも、どちらかというと肌寒い方が多い。だから、暑さには慣れていない。どうしてここまで暑い世界が存在できるのか、信じられない思いだ。それでも、進むしかない。もはや何のために歩いているのかさえ分からなくなってきたが、意識が朦朧とする中を半ば作業のように歩き続ける。
そのとき、ずさりと音がした。はっとしたイユは、自身の手がやたら身軽なのに気が付く。慌てて隣を確認したそこに、レパードの姿はなかった。
振り返ったイユは、あっと声を上げかける。声自体は出なかったが、代わりにひゅっという音が零れた。
熱気を振り払うようにして、走り出す。その先に、レパードの姿があった。
(レパード!)
そう叫びたいが、声が出ない。ひたすらに体をゆすったが、反応がない。体が熱く、意識がない状態だった。危険だとは思ったが、ここでは休ませてやることもできない。
(早くたどり着かないと)
ワイズが言っていた街にたどり着ければ、レパードを助けられるはずだ。レパードと、その背中で倒れたままのワイズを背負うと、イユは大きく一歩跨いだ。レパードがワイズをただ背負うのではなく、ロープで縛り付けて固定していたのが幸いだった。おかげで、一々取り付ける必要がない。それに、レパードは荷物の大半を捨てていた。イユとワイズを背負うにあたって、運ぶのは無理だと判断したのだろう。それがあって、何とか今のイユでも背負える重さになる。
だが、二人を背負っただけで、滝のような汗が流れた。
重たい。異能の力を駆使して、ようやく二人を背負ったまま歩けるぐらいにはなった。けれど、足は砂にとられるし、背中は異能で抑えているのに痛むような気がするし、何より暑い。
それでも、進まなければならない。そう、自身に言い聞かせて、一歩一歩を踏み出す。先ほど歩いていたときよりもずっと遅いことは自覚していた。それでも、このまま置いていくことはできない。少しでも早く街にたどり着いて、涼しい場所へ行くのだ。それが、水筒の水を渡すこともできないイユのできる、最善の道だった。
ところが、次の瞬間、頬に砂を感じた。焼けるように熱い砂から身をひっぺ返して、再び歩き出す。一歩進もうとして体がよろめいた。それを防ごうと、足に力を入れるが、柔らかい砂にぐっと体が沈んでいく。あっと思った時には、イユの体は再び熱い砂の上に転がった。
二人を背負い直して、また進む。口の中はじゃりじゃりで、砂を食べている気分だった。苦しいと、心が叫ぶ。もうすべて投げ出して、倒れてしまいたい。そう願う自分がいた。けれど、必死に歯を食いしばる。二人を見捨てて自分だけが街にたどり着いたら、今度こそイユは自分を許せない。レパードはイユをセーレの一員と認めてくれた。だからこそ、レパードを見捨てるという選択肢はなかった。ここでイユがレパードを見捨てたら、イユはセーレの一員であることを自ら拒絶したも同義だ。
それでも、どうしてこんな険しい砂漠を進んでいるんだという気分にさせられる。もう膝を折ればいいのだ。そうすれば、あっという間に熱い金砂が、イユたちを呑み込む。砂の中で倒れた、そんな最期。それを想像して、必死に振り払った。
イユだけなら、それでもいい。だが、ここには三人分の命がある。
歩け。自分の体に命じる。足を止めるな。強く、そう意識をする。余計なことを考えず、ただ足だけを動かす。暑さも、痛みも、重さも、渇きも全て無視しろ。そうして、進み続ければいい。そう、言い聞かせる。
汗など気づいたら出なくなっていた。意識が朦朧とし、吐き気がする。それでも、足だけは止めてはならない。
延々と、歩き続けたその先で、ふいに、視界が一段暗くなった。
(え?)
あれほど真っ青だった空が、一瞬にして黒くなる。炎天下だったはずが、気温が一気に下がるのを感じる。肌に感じるは、風。目で確認できる色は、黒。砂を舞いあげた黒い風が、周囲で渦を巻き始める。
あれよこれよという間に、景色が変わっていく。金の砂の世界が塗り変わり、稲妻が走る。吹き付ける風が、勢いを増す。反射的に山壁に体を押し当てた。
(何が起きているの?)
イユの疑問の声に答える者はいない。ただ、景色だけが変わった。巻き上げられた砂がどんどん空へと舞い上がっていく。その光景を、いつか、どこかで見た気がした。
(竜巻だ)
それに答えるように、青い稲妻が走り抜ける。
正確には、砂嵐だったが、リュイスが風で巻き起こした竜巻ぐらいしかイユの知識には、それらしい名称が存在しない。
(どうしよう)
風が吹き荒れる。気のせいか、巻き上がった砂がどんどんこちらに近づいてくる気がした。けれど、どうしたらよいのか分からない。この場合、伏せればいいのか。それとも、風と反対側に逃げればいいのか。何が良いのだろう。
迷ったイユがやったことといったら、ただ先ほどまでと同様に山壁を伝いながら前に進むことだった。風のあたりがどんどん強くなっていくから、きっとこれは失敗だった。自ら飛ばされるかもしれない砂嵐のなかへと突っ込んでいこうとしている。
(なに、あれ)
そして、突っ込んだからこそ、イユは見てしまった。砂嵐の先、巻きあがる黒い風の中に、何かがいる。振りかぶってくる砂の合間から、はっきりとその何かが光った。




