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カルタータ  作者: 希矢
間章 『そして、底から』
334/992

その334 『星々が見守る下で』

 はっとした。目を開けたイユは、いつの間にか自分が倒れていたことに気が付く。

「目、覚めたか」

 レパードの声に目だけをくるりと動かすと、砂の上に横になったワイズの背があった。

 体を起こそうとしたところで、空の様子が目に入る。満天の星空が、まだ夜であることを教えてくれた。

 耳が、バチバチという音を拾う。視界に、赤く燃える炎が映った。焚き火が鳴いている。だから、寒さを感じないのだ。火の魔法石を拾ったらしい。

 その焚き火の近くに座り込んだレパードが、呆れたように肩を竦めた。

「だから、無理するなって言ったろ」

 レパードの言葉を聞きながら、まだイユは先ほどの夢のことを考えていた。

 正直、ミレイのことを全く忘れていた自分が信じられなかった。きっと、わざと消し去ったのだ。思い出したら、ミレイがいなくなった寂しさを思い出してしまう。耐えられなかったから、あえて忘れていたのだろう。

 引き金になったのは、ブライトに「思い出せ」と言われたあの言葉だ。

 無意識に記憶の奥底に閉じ込めていたものが、解放された。そうして思い出したからこそ、思い知らされた。今まで、イユは一人で生きてきたと思っていた。異能者施設の中でも、施設から飛び出た後も、セーレの皆に会うまでずっと。シーゼリアの言うことを否定したはずなのに、いつの間にかそう思い込んでいたのだ。

 とんでもない思い違いだ。

 掃き溜めにきたのは、ずっと大きくなってからだ。それまでのイユはあの男に支えられていた。

 それに、掃き溜めのなかでは、女がいた。あの女のことを忘れなかったのは、きっと『生きる』という約束をしたからだ。あの約束がイユを生かす力になったから、『生きる』という暗示がイユにその記憶を忘れさせなかった。単にそのときには、耐えられるほどの年齢になっていたというのもあったかもしれない。

 だが、現実に今までイユは一人ではなかった。

 そもそも人は、一人では生きられない。どれほど強がっていても、一人で生きているつもりで思い上がっていても、絶対にそこには誰かの支えがある。それに、ただ気づいていなかっただけなのだ。

 勿論、一人っきりの期間はあった。雪原は、本当に寒かった。心が凍るようだった。ミレイのいない異能者施設の牢は、とても冷たかった。心細くて、耐えられなかった。

 だけれども、ずっとではない。イユは必ず誰かに会っている。その出会いが良いものだろうが悪いものだろうが、孤独からは解放されていたはずだ。

 そして、今回は――、

 バチバチという焚き火の音に煽られて、レパードの影がくっきりと砂の上に映っている。

 そう目の前に、レパードがいる。これだけ失っても、イユはまだ一人ではないのだ。

 意識した途端、心がすっと軽くなった。それで、今まで気を張っていたことに気づく。

 けれど、わだかまりは完全には消えない。風に吹かれて、砂上の影がゆらりと形を変える。そのまま焚火が消えてしまったら、きっと何も見えなくなる。

 いっそ、その方が良いのかもしれない。

 本来なら、イユに与えられる光ではないのだ。雪原で必死に手を伸ばした、馬車の駆ける音とともに感じた暖かな光。イユの心を灯した、琥珀色の光と、今その光は同じ色をしている。

 それは、本来手離さないといけないものだ。何故なら、『飢え』と『寒さ』に支配されたイユが掴んでしまったら、きっとまた壊してしまう。

 否、既に壊したのだ。リュイスを失い、セーレが燃えてしまったのは、大勢の仲間を失った原因は、イユにある。残ったのが偶然レパードであっただけで、きっとそれもまた壊してしまう。

 急に心が冷たい石になった気がした。胸が押し潰されそうで、苦しかった。

 手離したくないからだ。そう、心が囁いた。今のイユが孤独にならずにすむ、唯一の存在がレパードだ。イユは、これ以上失いたくない。だから、こんな気持ちになるのだと。あべこべの気持ちを抱えるのは、心が散り散りになってしまったようで、苦しい。

「おい、聞いているか?大丈夫なのか?」

 労りに満ちた声を聞いて、全部自分の思い込みだと言い聞かせた。悪いのは『魔術師』だ。だから、イユは何も悪くない。レパードもどこかに去ってしまうことはない。レパードはいつでもイユを助けてくれる。

 むしろ、何故レパードはイユを見捨てないのか。全ての原因は、イユにあるのだというのに。

 そんな疑問が、心の中に沸く。

 せめて、言葉に出して聞きたかったが、声もでなかった。

 気が付いたイユは、砂に文字を書こうとする。

 けれど、砂漠の砂はあまりにも柔らかくて、書いた先からその文字を埋めていってしまった。

「どうした?何か伝えたいのか」

 レパードが、イユのすぐ隣まで歩いてくる。足取りがいつもより重いのを見て取った。イユが倒れたから休憩したというより、レパード自身が倒れそうだから休む他なかったという気がした。ひょっとすると、レパードは倒れた二人を担いでまた歩いたのかもしれない。

 レパードが手のひらを向ける。そこに文字を書けば、伝わる。

 そう思うと、指が止まりそうになる。言葉にするよりも、文字としてなぞることは、ずっと重い。

 だからはじめに告げるべきは、やはり疑問ではない。本当の思いは、伝えるべき言葉は、これだ。

「『ごめんなさい』?倒れたことを気にしているのか?」

 イユは首を横に振った。それだけでは伝わらない。

『セーレのこと』

 レパードの眉間に皺が寄った。

 それに、びくりとしてしまう自分がいる。怖いと思うのは何故だろう。

「なんで謝る?」

『私が、巻き込んだから』

 ブライトに騙されて、暗示を掛けられてしまったから。

「本当にまいってるんだな……。いつもなら……」

 言いかけたレパードの言葉に、きょとんとする。

 何故か、レパードは心配した顔のままだ。或いは、レパードにとってのイユは、もっと強気な存在で、こんなときでも、イユなら自分のせいだと口が裂けても言わないと、そう思っていたのかもしれない。だがそれは、一人で生きていると思っていたからだ。

 一人で生きていくには強くなくてはいけない。強がらなければ、格好の的になる。何故ならそこには、助けにきてくれる人がいないからだ。

「ふっ」

 レパードが、困ったように笑った。

 どうしてか、その笑いは無理してつくったもののようで、何故か泣いているようにも見えた。

「いいんだ、イユが気にすることじゃない」

 それだけでは伝わらないと思ったのだろう。レパードは、こう捕捉する。

「俺がイユを受け入れた時点で、もうイユの責任じゃない」

 腹は括っていたと、そう呟いた言葉を、風が攫った。


 イユはたまらず俯いた。

 セーレの皆。その単語に、イユはいつも自分を入れていなかった。

 けれど、レパードにとってはもうすでにイユは、セーレの一人なのだ。そして、レパードはセーレの船長だ。船員がやらかしたことの責任は、船長が取る。レパードの告げた言葉は、そういう意味だろう。

 滲んだ視界を、何度も瞬きして鮮明にしようとする。せめて、これだけは伝えたかった。

『船長なら、死なないで』

 或いは照れ隠しのように、イユはレパードの手をぎゅっと握りしめた。

 そうしてそっぽを向き、横になる。

 レパードの苦笑が聞こえた気がした。今度の笑い方には、無理やりな感じはしなかった。


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