その329 『空葬』
我ながら懲りないなと思うのは、次の日もベッドを抜け出たからだ。
確かに傷に障ることはあまりすべきではないとは思うのだが、目で見ておかないとセーレの本当の様子が分からない。それにじっと寝ているだけなのは、半年前に戻ったようで嫌なのだ。ようやく自由に動けるようになってまたすぐにベッド生活に戻るとは、正直うんざりである。というのは建前として、本当はミンドールと離れたかった。
ミンドールはレパードがいると、カルタータに戻してほしそうにする。ミンドールのその願いだけは受け入れられないからこそ、一々顔を合わせたくはなかった。互いに意識してしまうと、傷に障るだろう。レパードは望みもかなえられない自分を嫌でも意識するし、ミンドールは自分の望みをかなえてほしいと思う一方で皆の事情も熟知している。理性と感情に板挟みになるのが辛い。その様が、目に見えるようだった。
だから、レパードは医務室から飛び出した。逃げ先は、機関室だ。航海室は覗いたが、機関室は確認できていない。ラダよりも怪我を負っているのにも関わらず頑張っているというライムの方が、倒れやしないかと心配だった。
それにしても、航海室の時も思ったが、階段が辛い。背中の傷が思った以上に響くのだ。それでも、どうにか進んでいくうちに、声を掛けられた。
「レパードさん?」
女の声に顔を上げると、階段の下段から見知った顔が覗いている。
「マーサか」
まぁまぁ。とマーサが声を上げる。
「だめですよ。お休みされないと、お体に障ります」
マーサからのお小言に、つい渋い顔になる自分に気が付く。
「そうは言うがな」
「言い訳は聞きません。レパードさんに何かあったらそれこそ皆困りますよ」
そこまで言われてしまって、言葉で勝てる気はしなかった。せめて、マーサから情報を聞こうと口にする。
「マーサ。ライムは大丈夫そうか?」
「大丈夫というより、そうねぇ……、没頭してしまって何も見えていない感じねぇ」
戸惑うような言葉に悩むような言い方をしている辺りで、納得がいった。
恐らく、集中しすぎてマーサの声も何も聞こえていないのだろう。その様子なら、大丈夫そうだろうと判断する。
「飛行石は?」
「大丈夫です。先日もお話しましたよ?」
レヴァスに備蓄を聞いてからも、更に二度ほど確認を頼んでいる。それで、乱気流下にもかかわらずライムが低燃費で飛行していることを知ったのだ。
「さぁ、レパードさん。もう聞きたいことは無いでしょう?戻りましょうね」
子供を諭すような言い方をされて、レパードは唸った。時間稼ぎをされていると思われている。子ども扱いをしないでくれと言いたくなったが、マーサから見れば一緒なのだろう。
焦ったレパードの鼻に、その臭いが漂った。
「もう一つだけいいか」
自然声が厳しくなるレパードに、マーサが違いを察してか「はい」と大人しく頷く。
「船内に残された遺体の埋葬は終わったのか」
「これは多いな……」
船倉に入った途端、並べられた死体を前に、目を覆いたくなった。船倉の端から端まで、順に亡骸が並べられている。どの顔にも白い布をかぶせて、表情が見えないようにしていた。ミンドールはこれを一人一人確認したのだなと、改めて感じる。
それにしても、船員たちで危険はないか船内中を見て回ったとは聞いていたが、死体をどうしたかは具体的に聞いていなかった。まさかこうして空葬もされずに捨て置かれているとは思わなかった。
「本当は匂いがあるから、甲板に置く話もあったんです。けれど……」
死臭がすると魔物が寄ってくる。それを懸念してやめておいたのだという。
「そいつは英断だ」
魔物は乱気流の中でもモノともせずにやってくる。都から出たことがない者たちでは、きっと魔物にも対抗できないはずだ。魔物の危険に気づいたのは、ライゼリークにあらかじめ聞いていたからだろうか。
結局レパードに押し切られる形で、船倉まで見送る羽目になったマーサは、残念そうに眦を下げた。
「けれど、このままにするにはあまりにも」
「カルタータではどうやって死者を弔うんだ?」
マーサは、死者の一人に近づくと、跪いた。それは子供の遺体だった。片足がないのが、胸に刺さる。
「海に還します。都の中央にある神殿は、奈落の海に繋がっているという言い伝えがあるんです。だから、神殿で肉体を焼いた後、その骨を粉にしてから祭壇に捧げて、祭儀場から海に投げ入れます」
奈落の海が近くにあると思っていたが、まさか神殿から奈落の海に繋がるという話があるとは思わなかった。
「ここには、神殿はありません。死者を弔えないのです」
マーサの悲しそうな声に、レパードはそうかと思い当たる。彼らは外の世界の弔い方を知らないのだ。
「カルタータの外では、死者は空葬で弔う」
マーサが顔を上げた。
「死体を燃やし、骨にして、その骨を砕いて粉にする。最後にはその粉を空に撒く」
「空に?」
レパードはただ頷く。
「空から海へ、その者の魂が還る。空に投げ入れるということは、海に還すということになる」
基本的な考え方は、カルタータも外も、不思議と変わらないのだ。
「還しましょう、彼らも。このままではあまりに可哀想です」
レパードは、大きく頷いた。
一度医務室に戻されたレパードは、レヴァスから大目玉を喰らわずに済んでいた。呆れられたのもあるだろうが、重篤だった重傷者が、意識を失い、そのまま生きて帰らぬ人となったことが大きい。
再び船倉に運び込まれる遺体を見送りながら、レパードは暗い気持ちで指示を出した。
「火を焚いてくれ」
この日この時間帯はちょうど、雨が降っていなかった。乱気流を抜けて、一時の晴れ間が覗いている。雲の分厚い一帯を抜けきったわけではない。周囲は変わらず雲に覆われているし、ぽつぽつと小さな雲が浮かんでいるから、もって数時間だろう。それでも、貴重な晴れだ。そして、幸いにも、火もあった。炎の魔法石が機関室に置かれていたのだという。魔物は火を嫌がる。先に火を起こしてから、死体を運び込んだ。
「これでいいですかね?」
一人の船員がレパードに確認の声を掛ける。
杖をついたままのレパードは、船員たちの肩を借りて、甲板に出ていた。万が一魔物が出てきた場合、魔法で迎撃する目的もある。
「あぁ、問題ない」
レパードとともに甲板に出ていたのは、数十名ほどだった。船を動かさないといけないライムやラダは来ていない。ライゼリークの弔いもあるから、せめてこの時間だけはラダを自由にさせてやりたかったが、残念ながら諦めてもらうことになった。
代わりにずっとふさぎ込んでいたミンドールも、今日はこうして甲板に顔を出している。
「これが、外の世界のやり方か」
炎の中に、死体が次から次へと投げ入れられる。そのたびに、炎が波打つように燃えあがった。炎の舌がちらつき、天へと昇らんとする。それを見ながら、レヴァスがぽつりと感想を漏らした。レパードはそれに頷く。
「あぁ、そうだ」
マーサが手を合わせて祈っていた。ラビリも隣で同じように手を合わせて祈っている。隣にいた船員は、溢れる涙を堪えようともせず、燃える炎を見つめていた。
死体はあまりにも数が多く、知らない者も多かった。
逆に、知っている者もいた。レパードを襲った『龍族』がいた。食堂に転がっていただろう、遺体もあった。ライゼリークの体も、燃やされていく。
そして、マレイヤの体が、火に投げ入れられた。
「マレイヤ……。どうして僕じゃなくて君が」
ミンドールが苦しそうに呻いた。レパードも同じ気持ちで、燃えあがる炎を見ていた。
現実は過酷だった。マレイヤの驚異的な体力をもってしても、怪我には勝てなかった。医務室に戻ったレパードが見たのは、熱にうなされた彼女とそれに付き添うレヴァスとミンドールの姿だった。手を握って声を掛けるミンドールに、胸が痛かった。レヴァスの表情には、全くの余裕がなかった。レパードには、何もできなかった。ただぼんやりと、彼女の命の灯火が消えるその瞬間まで立ち尽くしていた。
たった一日の、短い付き合いだ。マレイヤの名前こそ知れ、詳しいことは何も知らなかった。マレイヤが最期にしてほしいことは何なのかとか、マレイヤが何を望んで戦ったのかとか、全く分からないでいた。彼女に聞こうにも、うなされてばかりだった。せめて、その悪夢のなかで、求めるものについて漏らしてくれれば、何か手助けはできたかもしれない。しかし、マレイヤは最期まで勇ましく、強がりだった。何かに対して呻いてはいるのに、それが言葉にはならない。だから、死を前にしていると分かっても尚、何もできないでいた。
そして、とうとう、マレイヤは最期まで目を覚まさなかった。燃えあがる炎の中に溶けきって、金色の瞳は、もう記憶の中にしか存在しない。
しかし、彼女がいたおかげで、ここにいる何人もの人々の命は救われたという事実だけが、はっきりと胸の中に残っていた。できれば、レパードの代わりに支えてほしかった。船長の座を代わってほしかった。そう思ってから、静かに首を横に振った。
マレイヤに、頼りすぎだ。死者の後ろ髪を引くようなことをこれ以上考えたくなかった。それこそ、海に還られなくなってしまう。
(せめてお前が助けた奴らを、支えていかないとな)
まずは、ギルドだ。マドンナに最低限の費用を援助してもらう。そこで、一刻も早く、機関士と航空士を雇う。そうすれば、ライムとラダの負担は減るはずだ。それから、食糧と飛行石を調達し、カルタータの情報がどこまで入っているか確認する。ひょっとすると、レパードたち以外にも生き延びた人間がいるかもしれない。その情報次第だが、ミンドールの探している妻子が生きている可能性もある。そうしたら、彼も立ち直ることだろう。
それと、セーレに残る人々と、ギルドを通して世間に紛れる人々に分かれてもらうという話もあった。また、それとは別に、彼らに、外のことについて勉強してもらう必要もあった。せめて通貨の単位ぐらいは覚えてもらわないと、この先、生きていけない。いつまででも援助してもらうわけにはいかないから、費用を自分たちで稼いでいけるようにする必要もある。課題は山積みだ。
(ラヴェの元に戻っている場合ではなくなっちまったな)
心のどこかで決めていた、レパードの贖罪についてだ。ラヴェンナには、この命を好きにする資格がある。だから、カルタータを出て、ラヴェンナの元に戻ろうと、ぼんやりとだが、そう思っていたのだ。けれど、気づいたら、今レパードの手には抱えられないほどの命が握られていて、手放すに手放せなくなってしまった。
(悪いけれど、待っていてくれ)
せめて、彼らが一人立ちできるまでは。
燃やすものをなくした炎が小さくなっていく。その消し炭を踏みつけて、骨になった遺体をかき集めた。
粉になった骨を、あとは空に流すだけだ。
「ただ、流すだけ?」
ラビリが不思議そうな顔をする。レパードはそれに答えた。
「いいや。見送りの唄がある」
船が風に煽られる。その風に乗って、重厚感のある低音が、その口から発せられる。
嗚呼 我らが空の女神よ 我らを導きたまえ
願わくは 御魂が真なる海へとたどり着かんことを
嗚呼 我らが海の女神よ 我らを赦したまえ
願わくは 御魂が穢れし業より解放されんことを
レパードの声に合わせて、船員たちもそれぞれに口を開く。初めて聞いた歌詞だから間違う者もいるだろう。けれど、その唄はあまりにも自然に、調和した。
嘘みたいな青い空に、疎らな白い雲。奈落のごとき海に向かって風が運ぶは、遺骨に眠る御魂と唄か。
嗚呼 我らが空の女神よ 我らを導きたまえ
願わくは 御魂が真なる海へとたどり着かんことを
嗚呼 我らが海の女神よ 我らを赦したまえ
願わくは 御魂が穢れし業より解放されんことを
いずれ遍く業が浄化され 無垢なる大地を歩む日が来たらんことを
いつか来たる平和のその先に 女神の微笑みがあらんことを




