その327 『ラダという青年』
「今度は、あんたか。もう動いていいのか」
航海室に踏み込んだレパードは、青年の淡々とした声に出迎えられた。即席で作ってもらった歪な杖を頼りに一歩進み、そして青年の様子を確認する。
船長になったはじめの仕事が、レパードの足で、ラダの様子を確認することだった。怪我人の状態や備蓄については、船長になる前から既にレヴァスを通じて聞き及んでいたので、あとは目で実際に見るべきことが残っていた。
その青年、ラダは、背を向けたままだった。舵から手を離せないのだろう。おかげで、表情が確認できない。
「実のところ全くよくはないが、挨拶ぐらいはしておかないといけないだろ」
答えながら、レパードはゆっくりした足取りでどうにか奥へと進む。ようやく、ラダの横顔を確認できる位置までたどり着いた。
ただでさえ白いラダの顔は、より一層青白く見えた。紫の髪は、手入れする暇もないのかぼさぼさになっているが、元々の髪質か、つややかなままだ。目には隈ができているが、レパードを見つめる瞳、横顔なので片目だけだが――、にはまだ生気があった。立ち直ったのだろうか。そこまでは読み取れなかったが、休みなしに働いて疲れがたまっているのは間違いないだろう。
「一人なのか」
レパードの印象では、ラダが一番レパードを敵視しているように思えた。横目だが、今も、明らかに不機嫌そうな顔をしている気がする。
それでも、レパードの問いかけに、ラダは舵を握りしめたまま頷いた。
「あぁ。だが、じきに戻ってくる」
仲間の船員が、ラダのために食事を取りに行っているらしい。聞くところによると、船員たちは代わる代わる航海室にやってきているようだ。何かあったときはラダが頼りの綱となるようだが、ラダの手伝いや通信士としての仕事は、他の船員たちにもできる。聞いていたほどには劣悪な状況でないと、悟らされた。
「そうか、それは良かった」
ほっとしたレパードのその呟きに、ラダの眉がぴくりと動いた。
それに気づかない振りをして、レパードは話を進める。
「何故だか、俺が暫くこの船の面倒をみることになった」
「聞いている」
すぐに声が返った。不機嫌を隠さない声はいっそのこと、清々しいほどだ。
「お前は不満かもしれないが」
言いかけたレパードを、ラダの鋭い視線が止めた。きりっとした両目が、余計なことを言うなとばかりに、レパードを睨んでいる。
「他でもない、マーサさんの意見だ。尊重する」
はっきりとした物言いには、意外なほどに悪意を感じなかった。
一瞬ぽかんとしたレパードをみてか、ラダが補足をいれる。
「勘違いはするな。俺は、あんたを船長とは呼ばない」
ラダの視線が僅かにずれる。何かを思い出すように、一瞬落とされた視線は、しかし再びレパードに向き直った。
「俺が船長と慕うのは、あの人だけだ」
レパードは、すんなりと頷いた。片付けが間に合っていないのだろう、視界の端に赤黒い染みが映る。
ラダは庇われたのだ。恐らく一番ライゼリークの死に、責任を感じている。それに、ライゼリークを人一倍慕っているようにも見えた。そんな青年に無理強いをする気など微塵もない。ましてやレパードは、自分が船長など相応しくないとも思っていた。ただ、結果として人の命を助けた実績や外の知識が、今のこの局面に求められただけだという解釈をしている。
「そうだろうな。別に、それでいい」
ラダは、「分かっていればいい」と無愛想に返した。このときには、舵のある方向、外の様子が見える大窓へと視線を戻している。
「このまま、雲に紛れて飛び続ければいいのか」
早速指示を仰ぐあたり、本人の言うように、認めてはくれているようだ。
「あぁ、追っ手がいる可能性があるからな。だが、島ほどの大きさの船を見つけたらすぐに呼んでくれ」
「船が、島ほどの大きさ?」
カルタータしか知らないラダには、イメージができないのだろう。眉間を寄せているのが分かった。確かに、彼らは外を知らないのだと強く意識する。
「そうだ。それがギルドの補給船、目的地になる」
近くを飛んでいることは分かっていた。ラヴェの故郷でもあるこの島の周辺は雲が多いために、航空には大変気力を使う。だからこそ、補給船が置かれていることを知っていた。
「わかった」
ラダの返事を聞き、レパードは、「頼んだ」と答える。初飛行のうえ、いきなりの雲。そして、長時間の航行だ。ラダが疲れていることは把握していたが、それでも、頑張ってもらうしかない。
レパードは、ゆっくりと背を向けた。そうして、航海室の入り口まで戻る。杖をついてるせいで、時間がかかってしまうのが我ながら嫌になる。
その間、ラダは何も言ってこなかった。ラダが再び口を開いたのは、レパードが航海室を出ようと一歩進んだ、そのときだ。
「約束しろ」
唐突の言葉に、振り仰ぐ。
「あの人が作り上げたセーレを守ると」
それは、ラダの最大の譲歩であり、認可だった。
良い奴だな。ラダの背中を見ながら、そんな感想を抱いた。レパードに対して突っかかってきたにも関わらず、はっきりと認める発言をしている。だからこそ、今にも折れそうな鋭さが、怖かった。
「あぁ」
約束をして、レパードは去る。ラダの期待に少しでも応えるために、身を粉にするつもりであった。




