その318 『立ち上がって』
彼らの暗い顔に、船員たちの嘆きの声にはっきりと悟る。レパードはまた、肝心なときに間に合わなかった。少年は助けられたが、ライゼリークは助けられなかった。それに、今の襲撃で、怪我人を二人もやられていた。力不足を痛感する。人の手には限りがあって、全てを救うことができない。それはわかっている。だが、短い付き合いだったが、ライゼリークの存在が、セーレの船員たちにとって大きなものであることも悟っていた。だから、助けたかった。ティルツのときと同じで、いつもあと一歩が間に合わない。それが、辛かった。
同時に、察していた。船員たちの顔に、怯えがちらついている。彼らが恐れているのは、魔法だ。いくら『龍族』とそれ以外の者との共存の地とはいえ、今日だけで魔法により多くのものをなくしているのだ。その力に、改めて恐怖を感じても何もおかしくはない。そして、恐らくはその恐怖の対象の一人に、レパードも入っている。
ライゼリークに庇われた、線の細い青年、ラダが膝をついている。酷だとは分かっていた。けれど、いつまでも悲しみに暮れていたら、全員お陀仏だ。
「いいか?」
前へ一歩進んだレパードに、青年がはっとして顔を上げた。その瞳には、紛れもない怒りが宿っている。見て見ぬ振りをして、レパードは続けた。
「甲板がまずいはずだ。俺は見てくる」
もう少し、労りの言葉などかけてやるべきだったかもしれない。けれど、気の利く言葉が言えなかった。ただ事務的な連絡をするだけで、精一杯だ。そもそも口達者なら、ラヴェに散々怒られているわけがない。
「お前は、何でここに来たんだ」
青年の声が、刺々しい。
「甲板で、『龍族』の侵入を防いでいるんじゃなかったのか!」
怒りの矛先がはっきりとレパードに向けられているのを、ひしひしと感じる。分かっている。ラダは、レパードが航海室に向かわず甲板にいれば、こんな事態は起きなかったのではないかと責めている。だが、レパードが血の痕跡を無視して甲板にいたら、ライゼリークどころかラダ自身もあの灰色の髪の『龍族』にやられていた可能性があった。それが分からないレパードではない。
残念ながら、今この青年の気持ちに寄り添ってやる暇はなかった。人を責めている場合ではないのだ。こうしている間にも、甲板から『龍族』がやってきて、航海室に奇襲をしかけてくるかもしれない。
レパードは敢えて淡々と告げた。
「甲板に向かおうとしたところで、船内で『龍族』と交戦した。航海室まで続く血痕を見つけて確認にきただけだ。そして、甲板には今から向かう」
くっと、ラダが歯を噛み締める。他の船員たちも、ラダの気持ちに合わせるように、そっと顔を背けた。レパードの判断が正しいとは言わない。ただ、ラダも、単なる八つ当たりだということに気がついているようだ。これ以上の醜態を晒さぬように、拳をぎゅっと握りしめている。その手が白くなっていた。
たとえ、立ち直れないほどの傷を負ったのだとしても、船を飛ばす航海士がラダだというのなら、動いてもらう必要があった。どうにか、要求だけは伝えなければならない。最悪、ラダでなくてもよかった。船の知識が少しでも分かる誰かが数人いればそれでよい。ただ、ライゼリークが亡くなっても、ここにいる誰かには必ず動いてほしい。その意思だけ汲んでくれれば、あとはどうでもよかった。
「お前たちは、何としても飛び続けるんだ」
返事は聞かなかった。身を翻して、航海室を飛び出る。逃げ出したように思えた自分が、何とも妙だった。
だが、そんなことを考えている猶予はない。船内に一人入ってくるならともかく、追加で何人もやってきたのだ。甲板では、間違いなく何かが起こっている。マレイヤや、ミンドールが今、無事かどうかはもう分からなかった。
食堂経由の道は、使わなかった。あそこを使えば確かに近いかもしれないが、代わりに暗いことがわかっている。暗がりで中階段を走りきれるほど、レパードの夜目はきくわけではない。行きにきた通路をひたすらに走る。幸いにも、新たな『龍族』がいる気配はしなかった。念のため、不意打ちにだけは気をつけて、同時に速度は落とさない。曲がり角を曲がりきり、階段のある場所まで大股で駆ける。
階段まで戻ると、ヒリヒリとレパードの首筋が疼いた。気配を感じたレパードの足が自然と止まる。その瞬間、視界の端に人影が映った。続いて、きらりと光る刃物が見える。そこから血が垂れたのを認めれば、迷うことなど何もない。
人影がレパードへと飛び出す前に、レパードの放った雷が人影を貫いた。見知らぬ『龍族』の男が膝をついて、通路側へと倒れ込む。
男を避けて階段を駆け下りながら、続けて視界に入ったのは、よりにもよって倉庫でだった。倉庫の扉を蹴破ろうとしているのは、『龍族』の翼を生やしたままの、レパードと同じ年くらいの青年だ。手にはナイフを持っていて、体は不自然に揺れていた。背格好しか見てないのに、狂気に酔う男の感情が見てとれる。倉庫に入った途端、悲鳴をあげる子供たちを捕まえて、首を掻ききる非情な姿が目に浮かぶようだった。
悪夢の光景を打ち消すように、雷を放つ。
不意打ちのためか、男は背中からまともに受けた。首だけは相手を確認しようと振り返る。訳の分からないという顔を浮かべていたが、レパードを認めて、何か悟った表情に変わる。満足げな笑顔を張り付けると、その顔のまま、その場に崩れ落ちた。
倉庫も危険だ。男の動かない体を見下ろして、焦燥を覚える。中を確認したかったが、その時間が命取りになるかもしれない。溢れんばかりに甲板からやってくる襲撃者を倒すのが、先決だ。
きりりと歯を食いしばり、甲板の扉を開け放った。




