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カルタータ  作者: 希矢
間章 『そして、底から』
317/993

その317 『勝者』

 剣戟の音が響いた。続けて聞こえたのは、誰かの叫び声。

 駆け付けたレパードが見たのは、灰色の髪の『龍族』の後ろ姿だった。大柄の、恰幅の良い男だ。そのせいで、男の背中に隠れた現状が見えなかった。レパードに見えたのは、後方で手を口に当てて泣きそうな顔を浮かべている女と、怯えた顔でぎょっと男を見ている子供たち、満足に動けないにもかかわらず手にナイフを持って駆け付けようとしている船員たちの姿だった。

 現状が分からず立ち往生するレパードの気配に気づいたのか、男がくるりと後ろを振り返った。その瞬間、男の後ろに隠れていたものを見つけてしまった。

 そこには、ライゼリークがいた。目は既に虚ろで、体にはぽっかりと大穴が開いている。ライゼリークの体が横に傾き、その更に後ろに、驚愕の表情を浮かべる紫の髪の青年の姿まで見えてしまった。遅れて、ライゼリークの体が床に倒れる音が、鈍く響く。

「船長!」

 後ろにいた青年が、必死の形相で、ライゼリークを介抱しようとする。ライゼリークに制されるまで、レパードを警戒していたあのときの青年だ。

「何を考えてるんだ!庇うなんて」

 紫の髪を取り乱して、「馬鹿野郎」と罵倒している。その言葉に、やりきれなさを感じた。

 灰色の髪の『龍族』は、その嘆きの声を聞いて、ふいに口の端を持ち上げた。

 笑っているのだと気がついたレパードは、瞬間体内の血が沸騰するのを感じた。

 怒りとともに放った雷撃が、船内を青く照らした。爆音のあとには、一見何も残らなかった。

 はじめ、船員たちの何人かは、灰色の髪の『龍族』が姿をくらましたと思ったようだ。きょろきょろと周りを見回していた。それが、暫くして理解に至る。レパードの前に僅かに積もった煤が、あの『龍族』だということを。

 部屋中が、しんとした。音のない世界で、レパードだけが、ただ肩で息をしている。紫の髪の青年ですら、呆然とレパードを見ていた。

 沈黙を破ったのは、子供の声だった。

「危ない!後ろ!」

 叫び声があったから、助かった。身を翻したレパードは、そこに熱を感じて一歩下がる。

 忽然と現れたのは、身を焦がす炎だった。その奥に、新手の『龍族』の男が見える。そして、その背後にもう二人、確認できた。

 すかさず、銃を引き抜いて、魔弾を撃ち放つ。

 手前にいた『龍族』が崩れ落ちるが、背後の二人は手前の男が壁になってしまい、当たらない。

 一人が、魔法を撃ち放った。

 その蒼い光を見て反射的に、撃ち返す。同じ、雷の魔法の使い手だ。

 雷と雷がぶつかりあって、その場で光が弾けた。

 轟音と光で、音と視界が奪われる。その中で、レパードは続けざま魔法を放った。視界を奪うこの瞬間が、決め手だ。レパードの後ろには、怪我をした船員たちがいるのだ。三対一で適うはずがない。当てずっぽうでも構いはしない。とにかく、少しでも優位に立つため、相手の数を減らさなければならなかった。

 視界が晴れて、ようやく様子が見えてくる。水の魔法を撃とうとしたのはもう一人だろう。地面に水が飛び散っている。男の元から、レパードの方まで流れていくそれは、水の弾が砕けた跡のようだった。てきとうにぶつけた雷が当たったのかもしれない。

 そのとき、蒼い稲妻が水の流れに合わせて、不自然に光った。おかしな方向へ帯電したそれが、地面を伝って焼け跡を残していく。その隣で、雷の魔法の使い手が崩れている。レパードの続けざまの魔法が、水で挙動が狂ったにも関わらず命中したのだと分かった。

 更にもう一発放とうとしたレパードの頬に、何かが掠る。床に落ちる音で推測できた。小さなナイフだ。浅く斬りつけられたそこから、一筋の赤い線が入る。

 投擲の姿勢のまま固まっている水の魔法の使い手は、びくっと痙攣した後、ほどなくして横に倒れていった。レパードの水を伝って流れた雷が、水の発生源、つまり男の元へと進んでいたのだ。時間差だった。


 ほっと息をつきかけたそのとき、後方で悲鳴が上がった。

 振り返ったレパードの目に入ったのは、宙で翻る『龍族』の細身の男の体だった。レパードが三人を相手にしている間に、後から入り込んだのだろう。

 男の手に握られたナイフから、血糊が払われる。

 続けて、男が、座り込んでいた船員に飛び乗ると、すかさずその場から飛びずさった。ばっと、赤いものが飛ぶ。

 遅れて、レパードは気がついた。舞いでもするかのように軽やかに飛ぶこの男は、船員たちを次から次へと斬りつけていっている。しかも、狙っているのは立つこともできない怪我人たちだ。

 かっと、頭に血がのぼるのを感じる。狙いが弱者であることが、レパードに怒りを覚えさせた。

 男の次の狙いは、女と子供二人だった。しかし、その進行方向に現れた蒼い雷撃が、男を追う。

 男は身を翻すと、女と子供のことは諦め、代わりに座り込んでいた少年に飛びかかろうとする。雷に追われながらも、人を襲うこと自体は諦めていないのだ。

 レパードは、走った。男と少年の距離が近すぎて、下手な魔法では少年を巻き込みかねない。なるべく彼らとの距離を狭めることで、誤射の心配をなくそうと無意識にそうしていた。絶対に、誤射だけはしたくなかった。だからといって、間に合わなくなるのも、ごめんだ。だからこそ、少しでも早く、彼らのもとに駆けつけ、救いきる。その事しか頭になかった。

 狙われた少年は、ライムぐらいの年の、紫の髪の少年だった。恐らくは、セーレの船員たちのなかで、最も幼い、新人だろう。ナイフは持たされていたらしく、必死に構えてはいるが、少し払うだけで倒れそうなへっぴり腰である。

 レパードは、歯を食いしばった。重力を無視するように翻った男の腕を、とうとう雷が捕らえる。

 近づけば、焼け焦げるような匂いがしたことだろう。しかし、捕らえた腕は利き腕ではない。反対側で煌めいたナイフが、少年の剣をいとも簡単になぎ払う。

 地面に転がるナイフの音。皆が少年を守ろうと駆けつけようとするが、周囲にいるのは怪我人ばかりだ。歩くのもままならない彼らでは、到底間に合わない。

 次の瞬間、男のナイフが少年を抉る、そんな音が聞こえる気がした。

 あくまで、気がしただけだった。

 少年が目を開けたとき、それはちょうど、男が倒れる姿だった。心臓という名の急所を突き抜けた光の、残滓が僅かに残って、消えた。

 レパードは肩で息をした。間に合った。ぎりぎりで、魔弾を放ったのだ。誤射しない寸前の距離まで詰めきって、男に止めをさせた。

「すげぇ」

 少年の呟きが、耳に届く。

 助けられた少年は、紫の髪にヘアバンドをしていた。無邪気な少年の目が、きらきらと輝いている。恐怖を上回った感情が、少年にその言葉を吐き出させたのだろう。

 ただ、その声は、レパードに彼らとの違いを意識させただけだった。『龍族』とそうではないもの。魔法が使えるかどうかで、ここまで戦力に差が出てしまう。人々が、魔法に怯えるのもよくわかった。

 振り返れば、ライゼリークを前にして、青年が嘆いていた。そこに、ライゼリークの妻であった女、マーサと、子供たちが駆け寄る。さらに気がついたように、這いながらもライゼリークに近づこうとする船員たちが続いた。

「あなた……」

「わりぃな。俺は、ここまでだ。お腹の子をよろしくな」

 マーサの落ち込んだ声に、ライゼリークの乾いた声が返る。

 レパードは、唖然とした。あんな体になって、ライゼリークはまだ声を発することができるのかと。

 ライゼリークの声は、助けた青年へと向かう。

「ラダ。お前は、優秀な航海士だ。俺がいなくても、お前がいれば船は落ちねぇ」

 ラダは首を横に振った。

「馬鹿言うな。あんたがいなければ……」

「セーレをよろしくな。この船は、まだ飛んだばかりの赤ん坊だ。お前なら、任せられる。ただ、お前は外を知らないからな、船長の座は……」

 レパード。

 唐突に名前を呼ばれた。

 はっとした、レパードが顔をあげる。

「いや、なんでもねぇよ」

 ふっと笑ったライゼリークの顔は、土気色で今にも海に還りそうだった。

「ようやく、あなたの望んだ外の世界に帰ることができたのでしょう?」

 寂しそうに、マーサがライゼリークを見つめる。

 ライゼリークは、それを見てふっと笑った。口の端から赤いものを垂らしながら、驚くほど流暢に言葉を紡いでいく。まるで、そのまま起き上がって歩き出しそうなくらいには元気に思えた。

「あぁ、久しぶりの外、待ち望んだ世界だ。だから、俺の願いは今日で半分叶っちまった。おかしなもんだよ。まずは、外と同じ飛行船を造るだけのつもりが、一気に事態が動いたんだ。だから、あとは残りの願いを叶えるだけになっちまった」

 分かるか?

 そう、ライゼリークは皆に問いかける。自身の願いは、何かと。

「俺の最期の願いは、お前たちに、俺が過ごした外の世界ってやつを楽しんでもらうことよ」

 きっと、それは難しいことであろうとは、分かっている口調だった。期待に胸を膨らませて外の世界を歩くわけではない。急に故郷を追われて、多くを失ってたどり着いたのがカルタータの外だっただけだ。それに、今セーレは『龍族』に襲われている。ライゼリークの後を追うものが何人いるかも分かったものではなかった。全滅の可能性すら脳裏に過る。それでも、ライゼリークは、彼らの幸せを望んでいる。外の世界は、捨てたものではないことを教えようとしている。その気持ちが、伝わった。

 船員もまた、ライゼリークの望みを叶えようと思ったのだろう。ライゼリークを慕う者たちが、その言葉に頷く。そうして、別れを惜しむように、口々に、「船長」「船長」と呼び掛ける。

 ライゼリークは、満更でもない顔で、笑った。

「どんな世の中でも、人生っつうのは、愛されたもん勝ちよ」

 笑みを深めて、にやりと。

「だから俺は、勝者だな」

 それが、男の、ライゼリークという名の初代セーレ船長の、最期の言葉だった。

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