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カルタータ  作者: 希矢
間章 『そして、底から』
314/992

その314 『生き残りの少女』

 少女の刺された箇所は、そのままだ。男の右腕が、少女の右肩に生えたナイフごと、首を抑える。そのせいで、痛みが走っているのだろう。痛そうに呻き声を漏らしている。

 そんな状態になっているというのに、男は全くそれを意に介していない。それどころか、反対側のナイフが少女の頬の近くで揺れている。いつ刺さってもおかしくない。そう思わせるだけの迫力がそこにある。

 けれど、人質を取るという発想がそもそも誤っている。もしくはそこに頭が回るだけの理性が、ないのだろう。

「お前は、俺が雷の魔法を使うことを知らないな?」

 指先で静電気が走ったのを見ていたら、そんなことはしないだろうという確信がある。レパードは、人質を使うことが如何に無意味なことなのか、宣言してやることにした。

「俺は人質ごとお前を気絶させてから、止めを刺せばそれでいい」

 命に別状がなければそれが最も安泰だ。少女もこれ以上痛みを感じずにすむし、男が抵抗することもない。

 すぐに雷を放った。

「ちっ」

 男の舌打ちの声が響く。少女をその場に投げ捨て、雷を避けるべく後方に下がった。だがそこにあるのは柱だ。下がりきれなかった男は、避けきれずに雷に打たれるはずだった。

 次の瞬間、柱を蹴りつけて男の体が上空を舞った。

 雷撃が先ほどまで男がいた場所を焼く。柱に焦げた跡が残った。

 凄まじい身体能力だ。機関室の天井すれすれまでに届いた男の体は、くの字に曲がる。振り仰いだレパードを見て、ニヤリと口の端を持ち上げた。その男の手に握られたナイフが、きらりと光る。

 レパードの背に汗が伝う。飛びかかってくる男が、片目いっぱいに映った。

 寸前のところで、魔法が間に合わなかった。一瞬走った稲光は、静電気程度の威力しかなくそのまま押し切られる。

 ナイフが迫る。その一閃を、後方に跳んで避ける。続いてくる一閃に、熱を感じた。

 男は目をギラギラさせて、どんどんナイフを振る速度を上げていく。とてもではないが、これで二刀使いだったらレパードの首はとっくに飛んでいた。辛うじて避けてはいるが、魔法を使う暇を与えてくれない。だが、これではいつかやられる。わかってはいたが、どうにもできない。

「ちっ」

 今度はレパードが舌打ちをする番だった。男の一閃を避けられず、腕を斬りつけられたのだ。巻かれた包帯が、ほどけた。

 それを見た男の笑みが、深まる。もう一太刀を浴びせようと、ナイフを振り上げている。

 楽しんでいるのが、よく伝わった。同時に、男の指先に熱を感じる。相手には魔法を使う余裕がある。

 冗談ではない。この男の遊び道具になるのは、願い下げだ。必死に食い下がるが、それでも男の刃から逃れられない。腕で顔を守りながらも、後方に跳ぶ。腕に痛みは感じなかったが、何かを斬られた音がした。

 はっとする。男のナイフが赤々と燃えながらも、はっきりとレパードの姿を映している。そこに、燃えているナイフと同じ、明かりを見た気がした。

 思わず視線をやったその先で、包帯が燃えていた。あっという間に、炎が燃え広がっていく。

 やられた。呻き声を上げたくなる。慌てて包帯を引きちぎろうとするが、中々切れない。その行動が面白く映ったのか、男の笑い声がする。

「手伝ってやんよ!」

 腕に向かって斬りつけられる。ナイフから熱がばっと発せられた。

 辛うじて避けたつもりだったが、腕に熱を感じてレパードの顔が歪む。それに、包帯の一部は確かに斬られたが、炎はもっと燃え広がる。

 あまりの熱さに、気を取られた。視界前方に、再び赤い刃が過る。慌てて下がろうとしたところで、背に柱の存在を感じた。

 完全に相手の掌のなかにいることを悟らされる。レパードには、残念ながら男のように柱を蹴りつけて天井まで跳躍できるほどの、並外れた身体能力はない。振り下ろされる一太刀を避ける余裕も、ない。

「えいっ!」

 少女の掛け声が響いたと思った瞬間、男が僅かに仰け反った。

 腕を抑えながら、レパードは状況を確認する。男の一太刀はレパードには振り下ろされなかった。代わりに近くにナイフが落ちている。男の一太刀は、少女が投げたナイフを払うのに使われたのだと気が付いた。

「へぇ、返してくれるんダ?」

 男は気分を害したように不機嫌な声を出しながら、足で落ちたナイフを蹴り上げた。その勢いで飛び上がったナイフが、男の左手に収まる。ナイフの持ち手が変わった。あれは投擲の構えだ。

「逃げろ!」

 叫びながらも、レパードは魔法を放った。少女が稼いだ時間のおかげで魔法を使う余裕が生まれたのだ。ナイフを掲げた男へと雷が走る。いくら腕の立つ男でも、魔法の前には敵わないはずだった。ところが、男はそこでくるりと体を反転させる。

 一気に走った電気が、男の膝をつかせるようなことにはならない。身体中を高圧の電流が駆け巡るはずだったが、電流は床を黒く焼いただけだった。

 そして、ナイフは男の手を離れている。

(まずい!)

 さきほどまでの男の視線の先にいたのは、少女だ。ナイフが少女に向かっていく。少女は力尽きたようにその場に座り込んでいた。ナイフを投げたのが精いっぱいで、それ以上の動きはあの怪我ではできなかったのだろう。避けられないと分かってか、怯えたように目をぎゅっと瞑って、すくんでいる。

(間に合え!)

 弧を描いて飛ぶナイフを紫電が追った。次の瞬間、カランカランと音が響く。

「あ、れ?」

 少女がいつまで経っても訪れない死の瞬間に、待ちかねたように声を上げた。恐る恐る見回した少女は、それに気が付いたようだ。ナイフが彼女の後方に飛んで、転がっていた。

「無事、だな?」

 ほっとしたレパードの意識が、一瞬飛んだ。

 次に気がついたとき、レパードの視線の先に男の足が見えた。ゆっくりと近づいてくる。それで、レパードは、自分が柱を背にした状態で座り込んでいることを知る。ただし先ほどまでレパードがいた柱ではない。この位置では少女の姿は確認できなかった。間違いなく、別の柱まで吹き飛ばされたのだ。

 見上げると、男の灰色の瞳と目があった。

「狩りは、楽しいナァ?」

 男の拳の周りを炎の断片が飛んでいる。レパードは、腹に熱を感じて悟った。男の魔法で、腹部を火傷している。焦がされなかったのは、運が良いのではなく、今からそうなるからだ。

「お前は、何故狩ろうとする?虐殺が楽しいからか?」

 ニヤリと男の顔は再び笑みをつくった。それを、肯定と捉えて良いのだろう。言葉は通じているようで、きっとわかり合うことはない。『魔術師』はとんでもない男を生み出してくれたものだ。

 レパードは、指先に意識をやった。僅かな電撃が、指から少しずつ周囲に流れていく。全力で向かいうったところで、男には敵わないだろうと見切りをつけていた。

 レパードのその瞳に諦めを感じ取ったのか、男は不満そうな顔をした。

「なんだァ、もう終わりカ?もっともっと、楽しませてくれよ?」

 小さな電流は、レパードにそこにある情報を伝えてくる。レパードの背の柱には、配線が伝わっている。その配線の一部は、天井の照明に繋がっていた。照明は魔法石で動いている。恐らくこの配線は、数ある魔法石から電気の力をもらっている。そうして、飛行機関に作用しているのだ。

(どうせ、生き残りはあの子供だけだよな)

 あの少女は、幼すぎる。機関部員ではないだろう。つまり、飛行船を飛ばせるものはここにはいないはずだ。飛行機関がどうなろうと、もう知ったことではない。

 腹部から伝わる熱が、痛かった。意識が霞みそうになるのを耐えながら、男の足がレパードの目前で止まるのを見ていた。

「あぁ、残念だナァ」

 心底、残念がるような男の声。それと同時に、男のナイフがレパードに振り下ろされる。

(ここだ)

 レパードは、魔法石の力を最大限に解き放った。微弱な電流は、意思を伝える信号となり、魔法石はレパードの思いに答えて、弾ける。

 次の瞬間、男の頭上で雷撃が走った。レパードの手元には意識していたのだろう。正面からなら、避けられていたはずだ。けれど、頭上の雷撃はそう簡単には避けようがない。雷電が、部屋中を眩しく照らした。降りかかるその光を、男のナイフが受け止める。

 しかし、それも一瞬。

 ナイフが雷撃に力負けして、男の手からはじけ飛ぶ。男を守るように包んだ炎もまた、雷撃の前では無力だ。

 男の体が、雷撃を受けて痙攣する。膝が崩れ、その場で倒れた。

 力を使い切ったのだろう、魔法石の明かりが消えた。暗闇の中で目が慣れるまで待っていると、やがてうっすらと照明が光を取り戻す。恐らく、非常電源に切り替わったのだ。

 先ほどより薄暗いが、崩れ落ちた男を確認するには問題なかった。

 レパードは、震えそうになる体を叱咤して、起き上がった。とんでもない男だった。まさか、照明からの電撃にすら反応するとは思わない。一つ間違えれば、レパードは今頃消し炭になっていた。

(そうだ、あの子供は……)

 魔法は間に合ったのだ。無事だったのは確認している。しかし、今一度確認しないとどうにも不安だった。あの少女の肩の傷。あの状態で、ほおっておいて良いわけがない。どうにか体を引きずって、少女の方に向かおうとする。倒れた男を通り過ぎ、そして――、

 その足が、誰かに掴まれて止まった。

 レパードの首がぎりりと後方に向かう。そうして、見てしまった。男の、灰色の濁った眼が、何故か光っているのを。

「嘘だろ……」

 あれだけ雷撃に打たれて、何故この男は生きている。それは、一つの執念なのかもしれない。戦いという名の渇望が、動かぬはずの男の体を動かしている。そうして、レパードの足を掴んで、同じ地獄へ突き落そうとしていた。

 足に走る熱に、うめき声を上げかける。何とか魔弾を撃とうと銃を手にしたところで、男がにやりと笑みを浮かべた。

「我慢比べといこうぜぃ?」

 男の手に、力が込められていくのが分かる。炎の魔法で、レパードの意識を刈り取るつもりなのだ。我慢比べ。それは、痛みに耐えながら魔法を使ってみろという男の挑発だ。

 けれど、焼き付くような痛みに、レパードの思考は早速吹き飛んだ。乱れ飛ぶ意識に、魔法どころの騒ぎではない。突き抜けるような熱は、レパードの足を瞬く間に炭に変えてしまうだろう。

 そうして、男はそのままレパードを炎で包み込もうとする。地獄の炎がお似合いだと言わんばかりに、力一杯笑みを浮かべ、次の瞬間、血を吐いた。

 レパードは、見た。男の背中に、ナイフが刺さっている。そのナイフの先に、細い指があった。闇夜から浮かび上がった白磁の肌。青い瞳が、男を見下ろしている。

「今度こそ、お返しですよ」

 声はその場には不釣り合いなほど、高くて可愛らしい。

 少女の行動に、レパードの腰は抜けそうになった。

 男の手は、レパードの足を離した。虚ろな灰色の瞳が、僅かにレパードの方を向く。

「なんだァ、終わりか」

 男は何を考えたのだろう。手で自分の体に触れた。そこから、炎が走っていく。

「離れろ!」

 レパードは、大急ぎで少女を突き飛ばした。ナイフから手の離れた少女は、レパードに押し倒される形で、柱に背をぶつける。

 背後で、炎が立ち昇った。この炎は、レパードたちを狙ったものではない。ただ、もくもくと、炭となるまで、その場で燃え続けた。

「大丈夫、か?」

 その光景をずっと見ていたレパードは思い出したように、少女に訊ねた。そして、少女の肩からまだ、どくどくと赤いものが流れていることに気が付く。ナイフを抜き放ってから、止血をしていないのだ。

 少女の青い瞳と、目が合った。

「私は、無事です」

 最近の子供は、やたらと意思が強いらしい。肩をあれほど抉られているにも関わらず、気丈に見上げているのには感服だ。

「ありがとうございます」

「俺も、おかげで助かった」

 まさか、少女がナイフで男を刺すとは思わなかった。意外な行動力を前にして、魔物狩りギルドにも入れるななどと妙な感心をしてしまう。見たところ、少女は不思議と落ち着いている。人を刺したことに、レパード以上に、動揺していない。それは、なんだか同時に怖くもあった。少女の感情は、今日という一日で、壊れてしまったのではないかと懸念してしまうほどにだ。

 それでも、レパードは立ち上がると、少女に手を貸した。少女がその手を受けとる。

「はい、あの……」

 名前を聞いているのだと察して答えると、少女も自分の名を名乗った。

「レパードだ」

「私は、ライムです。よろしくお願いします」

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