その313 『再び機関室へ』
ハッチを閉じようとしたが、ボタンは言うことをきかなかった。風に煽られながらも、壁をつかみ外に乗り出す。ハッチカバーが屋根のように覆っているせいで、影になっていた。そんななかでも、外の様子は確認できる。
僅かな雲の層の向こう側に、カルタータが見えた。白かった都が、焼き払われて煤のような黒い都に変わっている。一ヶ所ぐらい無事な場所があれば良かったが、目視する限り望みは薄そうだった。
更に目を凝らすと、小さな黒い点がいくつかあるのを微かに確認できる。その点の正体に、すぐに思い当たった。『龍族』だ。空を飛ぶセーレに向かって、飛んできている。
早くハッチを閉めなくてはならない。危機感を抱いた。
見上げたハッチカバーに、大穴が空いている。ちょうど、人が一人入れそうな大きさだ。その穴の周りが焼け焦げていた。炎の魔法で突き破られたのだろう。
さらに、カバーと船内を繋ぐ鎖状の金具に、刃物がはさまっている。目を凝らせば、装飾があるのまで見てとれる。長剣だ。あれのせいで、ボタンが言うことを聞かず、常に開きっぱなしになっているのた。
誤って転落しないように気を付けながら、長剣まで近付く。頬にかかる風は、急に速度を増す。振り落とされそうになりながらも、しがみつき、どうにか抜き取った。
そうして、手にした剣の装飾をあらためて手元で確認する。空からの光を浴びて、その柄がきらりと光る。まるで剣から大きな羽が生えたような、独特な装飾だ。カルタータのものではなく、外から持ち込まれたものであろう。
長剣をしげしげと眺めている余裕はない。『龍族』がやってきてしまう。ボタンを押すと、鎖ががらがらと巻き上げ始めた。ハッチカバーが徐々に戻ってくる。
閉まりきったハッチカバーを見下ろして、ほっとするどころか溜め息が出た。ハッチカバーには、まだ大穴が空いている。このままでは、外から入ってきてしまう。
何か穴を防げるものはないかと船倉を見回す。
剥がれた天井の板は、大きいため、覆うには手頃であるが、一人で持ち上げられるものでもなかった。応援を呼びたいところだが、そんな余裕もない。
転がっていた金属片をかき集めればそれなりの量にはなるが、穴を塞ぐには小さすぎる。
あとは木箱が転がっていた。船倉なので、木箱のなかに備蓄が入っているのかもしれない。しかし、木箱全てを運んで積み上げるのは、なかなかに骨が折れる作業になりそうだ。
木箱の近くに客に配る防寒具の類いか、幅広の布も収納されていた。ただ、これで塞ぐだけではすぐに破られることだろう。
悩んだ末、レパードはもう一隻の小型飛行船を使うことにした。どのみち、今の戦いでやられたらしく、機体にいくつも穴が開いている。もう、飛べないだろう。
分解された飛行船二隻と、船倉にあった木箱、それに少年を下敷きにした天井板のうち人の手で運べるごく一部、『龍族』たちが使っていた武器まで、今ここにある全てをありったけに嵌め込むことで何とか大穴を塞ぎきる。不安定なうえ、外から魔法をかけられればあっという間に崩れてしまいそうだが、レパードの頭では他に思い付かなかった。
一通り終えると、重い体を引きずって、廊下へと戻る。船員の死体が、転がったままになっていた。そっと瞼を閉じさせると、手短に祈る。
「願わくば、御魂が母なる海の御許へとたどり着かんことを」
他の死体は放置したが、この船員はレパードが駆けつけるまで生きていたのだ。そう思うと、これぐらいの弔いはしたかった。
そして、いよいよ開かれたままの機関室へと入っていく。
足取りが自然と遅くなった。まだ戦いの熱気が、機関室には残っている。血の臭いを孕んでいた。
機関室を照らす魔法石の光が、船の揺れにあわせて揺れている。
慣れていない者が訪れたら、間違いなく吐いていたところだった。船を支える柱の間を縫って進む度、虐殺の跡が強くなる。あちこちに飛び散った赤色に、転がった死体が、ここでの惨状を伝えている。死体の多くからは、焼け焦げた臭いがした。熱気は、炎の魔法の影響もあるのだろう。
これまで、炎を扱う人物には会っていない。今回のような、焼け焦げた形跡はある。しかし、一度も本人を確認してはいないのだ。
まだ、この船のなかに、襲撃者は残っているかもしれない。その疑惑が、チリチリとレパードの背を焼いた。襲撃者は、近くにいる。そんな予感があった。
奥へと進む。その耳に、足音が届いた。
「みぃーつけた」
男の声だった。「ひっ」という息を飲む声もする。
襲撃者だけではない。同時に、ここにはまだ生存者がいる。レパードはそれらの声から、そう判断付けた。速度を上げる。早くしないと、助けられない。焦りがレパードを急かす。
視界に見えてきたのは、銀髪の男の背中だった。手にナイフを持っている。それが、赤くなっていた。近くの壁に取り付けられた配線が黒く焦げていく。あの男が、炎の使い手だ。
銃を握りしめて近づけば、男はその気配を察したように振り返った。灰色の濁った眼で、レパードを見据えている。
それだけで、他の襲撃者との違いを悟らされた。先ほどの三人ならば、レパードが忍び寄っても気づかないだろう。この『龍族』は、手練れだ。
「あぁ?俺の獲物ダゾ?」
同じ襲撃者だと思ったのだろうか、妙な一言が発せられる。ナイフをぺちぺちと鞭のように動かす仕草から、苛立ちが伝わる。赤いナイフは男の手のなかで、蒸気のジュっという音を立てているが、男は熱さを感じないのか、その仕草を止めようとしなかった。
レパードは男の背後に少女がいるのを見つける。流れるような金髪はラヴェを想わせた。碧眼はばっちりと開いていて、白磁の肌と合わせてまるで人形のようだ。そのせいで、この惨状のなかに在るには、どこか不釣り合いだった。
けれど、少女は背後の柱にくっついたように座り込んで、その場から逃げようとしない。正確には、逃げたくても逃げられないのだ。怯えているのもあるが、その右肩にナイフが刺さっている。
動ける余力がないのだと、察した。ティルツの最期が頭に過ぎる。ちょうどこのような立ち位置だった。助けなくてはと、焦りが生まれる。
「お前っ!」
指先でバチっと静電気が走ったのを止められなかった。
それを見たせいではないのだろう、どこか納得した顔を、目の前の『龍族』は浮かべた。
「あぁ、そういうことカ」
何を思ったのか、ナイフを持っていない方の手で少女の腕を引っ張り上げる。その動きがあまりに早かった。あっという間に、少女の首を右腕で固定して、左の手でナイフを突きつける。
乱暴に動かされて、痛みが走ったのだろう。少女の悲痛な悲鳴が、遅れて響いた。
「やめろ!」
男の唇が、面白いものを見たといわんばかりに歪んでいる。その口が、ケタケタと笑い声を発した。
「こいつがそんなに大事カァ?」




