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カルタータ  作者: 希矢
間章 『そして、底から』
310/992

その310 『優しくて厳しい男』

 航海室を出たすぐ目の前に、大きな扉がある。その鍵穴に鍵を差し込み、くるりと回す。ガチャンと小気味良い音がする。

 航海室からたった数歩の距離。この距離ですら、ライゼリークたちは確認に行けなかったのだと実感した。

 中に入った途端、しんとした静けさに出迎えられる。明かりの灯っていない食堂は、薄暗くて何も見えない。ただ僅かな光を受け取ったシャンデリアが、きらきらと反射している。

「誰かいないのか」

 呼び掛けた声は、空気中を漂って消えた。聞いていた話とまるで違う、人気のなさに、肌寒さを感じる。

 つるつるの床を踏み進めれば、手摺にぶつかった。食堂は、二階建てらしい。ただし、二階は吹き抜けの階段が左右に広く分かれているせいで、あまりスペースがない。だから、誰もいないように感じたのだろう。

 暗すぎて上から下の様子を探ろうとしても、何も見えなかった。諦めて、階段を下っていく。階段には、分厚い絨毯が敷かれている。その感触を踏みしめるように、下っていく。一歩、また一歩。進む足が、何かに当たって止まった。

 目を凝らすと、そこには人が倒れていた。大丈夫かと声をかけ揺さぶろうと屈んだところで、その手が止まる。赤黒いものが、シャンデリアの光を拾って主張した。それに気づかないレパードではない。

 既に、その人は事切れていた。

 そっと立ち上がって、再び歩き始める。すぐに、他にも転がっていることに気がつく。

 間に合わなかった。はっきりと悟った。ここにいた人々は全滅している。

 階段を下りきった先には、円テーブルがいくつか並べられていたらしい。あらぬ方向に転がったテーブルは、テーブルクロスごと飛ばされて無惨な状態になっていた。

 そのとき、物音が聞こえた気がした。

 レパードははっとして、周囲を見回した。

 かたん。もう一度、物音が響く。

 その音で、方角が分かった。

 生き残りだろうか。それとも、ここにいる人々を葬った『龍族』か。どちらにせよ、まだレパードに気づいていない可能性がある。相手が何者かは分からないが、最悪の事態を考えることにした。足を忍ばせて、一歩一歩を慎重に進む。

 倒れたテーブルを抜けた先に大きな扉がある。その右手にある壁が、他と少し違っていた。壁の一部がくり貫かれていて、そこから、壁に掛けられた鍋やフライパンが確認できる。

 厨房だろう。最近は、客に調理姿を見せながら、料理を提供することが多いと聞く。セーレも、同じようになっているらしい。

 慎重に厨房まで進んでいく。厨房もまた広かった。一度に数人は入れる幅がある。壁際に設置されているせいで、今レパードがいる位置からは死角になるのが難点だった。いつ誰が飛び掛かってくるともしれない。そんな緊張感と戦いながら、銃を構え、一歩ずつ厨房に近づいていく。

 『龍族』は魔法の使えない人よりも気配に聡い。もしここにいるのが敵だった場合、こちらが音に気が付いて近づいてきているのを、そろそろ察しているだろう。どのように出迎えるか思案しているかもしれない。歩いているのは自分なのに、厨房が迫ってくるように思える。一瞬の集中力の切れが命取りだ。足を止め、そっと息を吐く。そして、厨房の中に駆け込んだ。


 やはり、そこには誰かがいた。倒れた誰かに覆い被さる影を捉える。

 (襲われているのか?)

 すかさず魔法を叩き込もうとし、寸前のところで踏みとどまった。

 そこにいたのは二人の男だった。一人は倒れていたが、足に包帯がまかれている。もう一人はそんな男の近くで、何かを潰していた。その動作が、覆いかぶさっているように見えたのだ。

「何者だい?」

 こちらの警戒心など意図せず、手を止めて見上げてくる。金髪の男だ。

 もう一人も金髪だった。こちらは意識がないようだ。ただはっきりしていること、それは二人とも『龍族』ではないということだ。つまり、襲撃者ではない。そう思った自分に、嫌気がさした。なるほど、航海室にいた船員たちの気持ちがここにきて、よく分かる。

「それは俺の台詞だ。お前たちは生き残りか?」

 釈然としないまま、そう言い放つと、「なるほど」と返事が返る。

「ここの船員の一人か?それならこの男に見覚えがあるんじゃないのか」

 男がそう言って、意識のない男へと顔を向ける。

 レパードは首を振った。

「悪いが俺は船員じゃない。ただ、ここの船長に頼まれて鍵を開けただけだ。自己紹介がまだだったが、レパードだ」

 名乗ると、男が「そうか」と。

「それなら、似たようなものか。僕はレヴァスだ。医者をしている」

 あまりにも淡々とその名を吐くので、目を見張った。

「レヴァス?そんなはずは……」

 目の前にいる男の耳は、尖っていなかった。間違いなく『龍族』ではない。けれど、ティルツの話では、確かにレヴァスは兄だと言っていたはずだ。

 動揺を隠せなかったレパードに、レヴァスと名乗った男は訝しむ視線を向けた。

「どうして、そう言い切る?僕の亡霊でも見たような顔をしているが」

「レヴァスは『龍族』のはずだ。ティルツが兄だと……」

 掠れた声で言い切れば、レヴァスはどこか納得がいった顔をした。さらりと答える。

「あぁ、ティルツは義理の弟だ」

「義理?」

 まさか血がつながっていないとは思っていない。意外な事実に、呑み込むのに時間がかかった。

「あぁ。君は弟に会ったのか」

 だから、さらりと言われて、言葉を紡ぎ損ねる。少し間を経て、「あぁ」と返した。

「世話になった。恩人だ」

「そうか」

 紡がなくてはならない。弟がどうなったのか、今レパードは生きていて口を開くことができる。これから殺しあいの戦場に赴くのだ。今のうちに伝えておかなければならない。

 絞り出すような声は、自身の予想を超えてずっと掠れて聞こえた。

「……すまなかった」

「?」

 いきなり謝ってどうにかなるものではない。だから、続けて絞り出す必要があった。

「お前の弟を、守れなかった」

「ふっ」

 怒りの声を期待していた。救えなかったことへの弾劾を望んでいた。だから、その唐突の笑いに反応が遅れた。

 ぽかんと見つめるレパードの先で、レヴァスは今まで延ばしていた手を、引っ込めた。それで、何をしていたか気が付いた。木の実を潰していたのだ。恐らくは、薬だ。気を失っている男の為に、調合をしていたのだろう。

「何故君が謝る?僕の弟だ」

 何故?その疑問に、一瞬何もないところに放り出された心地がした。

「それは……」

 助けるのが当たり前だと思っていた。守れなかったのは、自分の力不足だったのだと。けれど、レヴァスから見たら、初対面のレパードなどただの他人なのだということを、今の一言で思い知らされた。

「守るのは僕であって、君ではない。君が気に病む必要はない」

 このレヴァスという人物は、どういう男なのだろう。言い方はとても淡々としているのに、その言葉にはレパードへの思いやりと弟の死への責任をありありと感じさせられた。医者というのは、ひょっとして皆こういう生き物なのだろうか。それとも、この兄弟が変わり者で、体の怪我だけでなく心まで治そうとする性があるのだろうか。何故、この状況にあって、レパードを庇うような物言いができるのだろう。

 レパードがここで求めていたのは、責められることであったのに。

 それはとても優しいようでいて、同時に厳しい現実だ。

「すまない……」

 歯を食いしばって呟いた言葉は、謝罪にしかならなかった。気にするなとレヴァスの目が語っている。それが一層辛かった。

「それよりも、この男をどこか安全な場所へ運ばねばならない」

 切り替えた物言いに、レパードも、ぐっと奥歯を噛みしめた。今は感傷に浸っている場合ではないのだ。

「この男は廊下で倒れていた。食堂なら安全だろうと引っ張ってきたが、薬になりそうな材料があったぐらいなものだ」

 それで、薬を作っていたらしい。包帯については、近くに救急箱が置いてあったのに遅れて気が付く。レヴァスが常に携帯しているのだろう。

「どうやってここに来たんだ。鍵は……」

「あそこだ」

 指を指されて、レパードは唖然とした。壁に穴が開いている。焼け焦げた形跡があるから、炎の魔法を使ったのだろう。これでは鍵など、無意味である。

「魔法を使った張本人はいなかったのが幸いだった。おかげで治療に専念できた」

 なるほどと、レパードは頷いた。レヴァスは、食堂に逃げた客の生き残りではなく、レパードと一緒で後から入ってきたのだ。それまでは、廊下といっていたから、逃げ遅れていたか、この男の性格からして治療して回っていたのかもしれない。そして、倒れている男を見つけたと。

 それにしても、廊下にいたままでは、『龍族』が船内に入ってきた場合、やられていた可能性がある。航海室に向かう彼らと鉢合わせしなかったのは、運の良さだろうか。

「この男の怪我はひどいのか」

 幸いにも、レヴァスは首を横に振った。

「気を失っているが致命傷ではない。命は無事だ。今は痛み止め薬を煎じている。ここは良い薬草や木の実が確保されていたからな」

 そう言いながら顎で指されたのは、調味料置き場だった。ハーブの類を指しているのだろう。ああしたものも薬の材料となるらしい。

 レパードはすぐに、切り出すことにした。男の命が無事ならば、彼の優先順位は下がる。

「悪いが、レヴァス。他にも診てほしい者が大勢いる。まずはそちらに向かってくれないか」

 言いながら、レパードは考える。これからレパードは機関室に向かう。そこでも怪我人は大勢出るだろう。だが医者をそんな危険な場所に連れて行くわけにはいかない。行くならば、航海室に戻ってあそこにいた怪我人を治療してもらうのが先だ。

 ちらっと倉庫にいるリュイスが思い浮かんだが、致命傷ではない。リュイスには悪いが、後回しにするしかない。

「それはどちらだ」

「航海室。ここに怪我人が多い。それと、俺は今から機関室に向かうが、ことと次第によっては機関室も怪我人で溢れるだろう。それに、倉庫に怪我を負った子供がいる。致命傷ではないはずだが、できれば助けてやってほしい」

 状況を一通り話せば、レヴァスはやれやれという仕草をした。

「新空式に客として出向いたと思ったら、いつの間にかひっぱりだこか」

 そう言いつつも、頷いてみせるあたり頼もしい。

「分かった。僕はまず航海室に出向こう。場所を聞いてもいいか」

 幸い、航海室は食堂から目と鼻の先だ。それに、航海室までの廊下を歩いたときに、レパードは襲われなかった。危険は零ではないだろうが、大丈夫だろうと目星をつけている。

「無傷の奴もいる。出航の準備があるとはいえ、ここにいる仲間を引っ張り上げるぐらいはできるはずだ」

 ついでにこの男を航海室に連れていく手はずを提案する。レヴァス一人で、男を運ばせるのは酷だ。先ほどレパードが下りてきた階段は、結構な段数がある。

 レヴァスは頷いた。

「分かった。だが、君は今から怪我人が溢れる機関室に行くと言ったな?」

 唐突の確認に頷いてから、レヴァスの冷たい視線に気が付く。ひやりと汗が背を伝う。容赦のない眼光が、誰かを思い起こさせた。それは、相手の機嫌をそうと知らずに損ねてしまったときのような感覚だ。

「まずはその腕の怪我をどうにかしたまえ。手負いでどうにかなる相手か?」

 言われてから気が付く。そう言えば、リュイスを抱えて『龍族』の女と戦ったときに腕を斬られたままだった。服ごと裂かれたうえに、ろくに止血もしていなかった。レパード本人は気にしていなかったが、それが医者の目に余ったのだろう。

 レヴァスの動きは早かった。反論を言う暇も与えず、すぐに手元に持っていた救急箱を取り出す。中を開けると、あっという間に腕を抑えつけられた。

「いてて!容赦は兄弟揃ってないのな!」

 包帯を巻くにしても、きつい。そういえば、ティルツが兄には美人看護師がいると言っていたと思い出す。包帯を巻く作業は、日ごろ看護師にやらせているのではないだろうか。そうでなければ、患者が逃げ出しているはずだ。

「大の大人が音を上げるな。嘆かわしい」

 レヴァスが更にきつく縛り上げた。

 口の悪さといい、さすが兄弟だ。

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