その309 『船を動かせ』
とはいえ、今船員たちはレパードに敵意を示しているわけではない。態度を改めさせた男に、向き直った。
「ライゼリーク」
ライゼリークは飄々とした口調を変えない。
「あぁ、ライゼルでいい。長いからよ」
「じゃあ、ライゼル。早速だが、船を出してくれないか」
怪我人だらけの航海室で、船を満足に動かせるのかどうかも分かっていなかった。だが、動かさなければ、近いうちにやってくるだろう戦艦に襲われる。陸を逃げても、カルタータは一つの島だ。いずれ捕まるだけである。だからこそ、この提案は呑んでもらいたかった。
ライゼリークはすぐに頷いた。
話の分かる男のようで、そっと胸を撫で下ろす。
「ああ、いいぜ。だが、何分初飛行だ。ちと準備に時間がかかる」
「できるだけ早くしてくれ」
希望を告げると、分かっているというように頷かれる。
ライゼリークの合図で、男たちが散っていく。それぞれの持ち場に入るつもりのようだ。足を引きずりながら伝声管に駆け寄ったり、周囲の仲間に支えられて辛うじて機械の前に落ち着いたり、時間は確かにかかりそうだった。その間に、二人の間で会話を進める。せめてここの船長には事情を共有しておく必要があった。
「やれるだけはやる。だが、空を飛んでどうする?障壁は?」
ライゼリークの質問に、レパードは悟った。どうもまだ空の様子を確認していないらしい。
「障壁はもうない。お前たちは都から出られる」
その言葉に、周りにいた人間全てが、息を呑む音がした。
「空を飛んだら、すぐに上空の霧のある島に向かってくれ。雲に紛れるんだ。間違っても、東には行くな」
「東に何がある?」
「戦艦だ。襲撃者たちは東からやってきている。鉢合わせになるぞ」
ヒュウっとライゼリークは口笛を吹いた。恐ろしやなどと呟いているが、あまり怖がっているようには見えない。
「それから、この中に医者はいるか?怪我人がいるんだが」
「医者?そんなものはいねぇよ。いたら、あいつらを診させる」
あいつらと言って示したのは、その場にうずくまり動けない男たちと、怪我をした状態で機器の前に立つ男たちだ。今まで気づかなかったが、壁のふちに眠るように座る男たちは、恐らく息たえている。その近くで転がる死体は『龍族』のものだろう。思った以上の乱戦ぶりが、レパードの目にも見えてきた。
「そんなに激しい戦闘だったのか。室内なのに?」
レパードの疑問に、ライゼリークが答える。
「あぁ。五、六人が駆け込んできてな。あいつらの魔法に仲間が、ばったばったとやられていった。甲板がまだやられていないっていうなら、こいつらはどこからか侵入してきたんだろうよ」
いつからだ。喉が渇くのを感じて、レパードは質問をしていた。
「応援は、呼んでいたんだろう?」
「ずっと応援を呼んでいたんだが、お前さんが来るまでちっともだ」
「……」
伝声管がいつから使えなくなったのか、レパードは把握していない。そうなると、結局わからないままだった。はっきり分かるのは、この船のなかは安全ではないということだ。ラビリたちを安全な飛行船に逃げ込ませたと思っていたが、とんでもない勘違いだ。ただ人気のない倉庫にいたから、今まで見つからなかった。それだけのことだ。
ライゼリークの話は、医者へと戻った。
「ただ、客のなかに医者がいたかもしれねぇ。そうなると、船内のどこかにいるかもしれねぇな」
話では、新空式を見るために大勢の客がセーレの前に集まっていたらしい。襲撃にあったときに、ライゼリークたちは船内へ彼らを避難誘導しようとしたという。しかし、襲撃者の人数は多く、大混乱になった。殆どが船にたどり着く前に討たれ、甲板では襲撃者との攻防が始まった。怪我人と逃げ切った客は食堂や機関部に逃げたはずだが、航海室は急な襲撃に遭い防戦一方となった。他の室の状態までは分からないと。
「航海室のメンバーには、船の準備をさせるが、機関室が動かねぇとどうにもならねぇ」
航海室は、船の操縦や統率が主だ。言うならば、人の脳にあたる。一方で、機関室は人でいうところの心臓だ。
「その機関室の様子は?」
ライゼリークは両手の平を天に向けた。
「残念ながら、ちっとも分からん」
そのとき、タイミングよく伝声管の前にいた男が叫んだ。
「船長!機関室から応答がありました!」
男自身も嬉しかったのだろう。明るい声を隠せていない。目の前のつまみを動かして、そこから伝わる音を大きくする。
ジジジというノイズとともに、はっきりとここにはいない男の声が響いた。
「こちら、機関室。現在、『龍族』複数人と交戦中!至急応援を頼む!」
ライゼリークが渇いた唇を舐めた。
「おいおい、あそこにいる奴らは腕っぷしのねぇ、もやしばかりだぞ」
その宣言に、喜色を浮かべていた男の表情が強張る。レパードも似たような顔をしている自覚があった。早く助けにいかないと、機関室がやられる。
ずんずんと伝声管に近づいたライゼリークが、伝声管の前で大声を張り上げる。
「こちらライゼル。承知した。何とか持ちこたえてくれ。あと無茶を承知で言うが、船を飛ばす。準備を頼んだ」
動揺する声が、伝声管から聞こえたが、ライゼリークは知らんぷりだ。くるりとレパードを振り返った。
「聞きたいことは山ほどあるが、見たところ腕が一番立ちそうなのはお前だ。ひとっ走りできるか?」
レパードは、頷いた。間違ってはいない人選だ。ここにいる無傷の男たちは、船長も始め船を飛ばす準備がいる。女子供、歩くのもやっとの怪我人では戦力にならない。
「あぁ。機関室はどこにある?」
「下だ。食堂を通っていくと早い。こいつを持っていけ」
投げ渡されたのは鍵だった。銀色に光る、これといった装飾のないものだ。
驚いたレパードに、ライゼリークが補足する。
「避難した客は、食堂か機関部に身を潜めている。襲撃にあわないよう、鍵をかけてな。多少は安全だろう」
ライゼリークは、多少と言った。機関室まで襲われている今、客が絶対に安全だとは、もう考えていない顔だった。たとえ鍵を掛けていても、扉をやぶられている可能性があることを察していた。
本当は、客の様子も確認してきて欲しいのかもしれない。近道だからこそ、通って確認してきてくれと、そう言われている気がした。医者もそこにいるかもしれない。そんな考えが、過る。
ちらりと、ライゼリークの視線が、ぴかぴかの舵へ移る。
「わりぃな。初飛行にこんな悪夢みたいな日を選んじまって」
それはきっと、船長としての、飛行船セーレへの詫びだった。
鍵を受け取って、レパードは航海室を飛び出る。『龍族』複数人。それを相手にしているのは何人だろう。機関室に元々いる船員たちに、逃げてきた客もいるかもしれない。だが、武器を持っているかも分からない今、楽観的にはなれない。早くいかなければ、間に合わない可能性もある。そうすると、船は飛べない。レパードたちが生き延びる確率は一気に下がることになる。




