その308 『ライゼリーク船長』
倉庫の扉を閉めた途端、甲板に出る扉がバタンと勢いよく開いた。はっとしたレパードは、そこにミンドールの姿を確認する。
「レパード!まだそこにいたようで、良かった」
その声から、焦燥を感じた。
「どうした」
「甲板にある伝声管から連絡が入ったんだ。航海室で、只今戦闘中。応援を頼むと」
その言葉に、天と地がひっくり返る心地がした。甲板で死闘を繰り広げていたのだ。当然、中にいる戦えない人々を守っているものとばかり思っていた。だから、飛行船の中に襲撃者はいないと思って行動していたのだ。その大前提が覆った。
それともまさか、『龍族』が船外から大穴でも開けて侵入してきたのだろうか。ないともいえない想像は、新たな不安を呼んだ。その間も、ミンドールの言葉が続いている。
「やられていたパイプの一部を、さっき残っていた者たちで無理やり直したんだ。そこに、この通信が入ったところだ。まだ、戦っているのは間違いない」
ごくんと、唾を呑み込んだ。
「分かった。俺が見てくる」
甲板からこれ以上人を割く余裕はない。それが分かっているからミンドールはレパードを見つけて、「良かった」と言ったのだ。
「念のため。航海室は上の階の一番奥にある」
「あぁ、分かった」
最低限の会話だけをして、レパードは視界に見えていた階段を駆け上がろうとする。そこを、ミンドールの声が止めた。
「レパード」
振り返ったレパードは、扉の前に立つミンドールを振り返る。逆光のせいで、顔が見えなかった。
「いや、何でもない。気を付けてくれ」
「あぁ」
ミンドールが何を言いかけたのかよくわからないまま、返事をする。今度こそ、階段をかけ上がった。
登りきった先で、周囲を確認する。通路は戦闘中というのが嘘のように、しんと静まり返っていた。天井には、管が伸びている。これが、甲板にまで繋がっている伝声管、そのパイプ部分だろう。カルタータにも外と同様の技術があったようだ。
慎重に通路を走る。足音のせいで敵の気配に気づかず、不意打ちを喰らうのはごめんだからだ。じれったさを感じながらも、気配を探りながら進んでいく。緊迫感は常にそこにあった。
そのおかげだろう。ラビリが口にした医者の話を気にしないですんでいた。
しかし、この先でティルツの兄と出会うかもしれないというのもまた事実だ。航海室にティルツの兄がいる可能性は、零ではない。こうして通路を走るときにも、出くわす可能性もある。
もし本当にティルツの兄がこの船に乗っていたとしたら、レパードはなんて言葉をかけるべきだろう。どんな顔をするべきだろう。
あなたの弟は助けられませんでしたなどと、頭を下げて謝りたくはなかった。できれば、弟を一緒に連れてきて、兄にその姿を見せてやりたかった。
けれど、それはもう叶わぬ夢だ。守れなかったレパードに、できるのはたった一つだけだ。きちんと家族の最期を告げるのだ。力不足で死なせてしまったことを謝罪すべきである。
もやもやとした気持ちをいつのまにか引きずっているのに気がついた。気持ちを切り替えるように、息を吐く。ここで自分が死んだら、それこそティルツの最期を伝えることすらできない。
曲がり角を曲がれば、再びの長い通路が待っていた。距離からして、ここが最奥の部屋に続く通路だろう。今までと同じく、扉が並んでいた。そのなかで、最も中央にある扉が、航海室だろう。
ここまで近づいたのに、まだ戦闘の音が聞こえてこない。防音がしっかりしているのか、それとも戦闘が終わった後なのか、何度目かになる不安が湧き上がる。
いくつか扉を通り越した先で、ようやく部屋の向こう側から剣のぶつかり合う音が聞こえてきた。その音に安堵する自分がどうかしている。そう意識しつつも、銃を引き抜いた。そうして、一気に扉を開け放つ。
すぐさま駆け込んだレパードの視界に、舵が飛び込んできた。真新しさをアピールするかのように、ピカピカと輝く光沢に、金髪の少年の姿が映っている。視線を横にずらせば、二人の少年を守るように、女が立ち塞がっている。レパードやラヴェよりは年上だが、優しそうなおっとりした顔立ちに似合わぬ、怯えた様子を全く見せない立ち姿が印象に残る。
剣戟が耳に響いた。はっとして、視線を手前にやればそこに、剣を握りしめた男たちがいる。その男の一人とやりあっているのが、一人の『龍族』だ。剣を拮抗させた状態で、急に入ってきたレパードを振り返る。どこか野蛮な相貌の男だった。
(一体だけか?)
レパードは、瞬時に魔弾を撃ち放った。『龍族』に剣を引ききる余裕はない。不意打ちだったのも良かった。避けようとする時間もなく、その眉間に大穴が開く。そのまま後ろへと倒れ込む音がした。
しんと、沈黙が返る。
銃をしまったレパードは、すぐにこの船がいつまで経っても飛び立たなかった理由を知る。船員の殆どが、怪我を負っていたのだ。見るからに幼い少年など二人だけ、女も一人しかいない。あとは皆、男たちだ。それなのに、戦わずにここにいるのは、怪我を負って満足に戦えないからに他ならない。剣を構えた男たちの殆どが、体のどこかをやられていた。
ただし、無傷の男もいた。
剣を握りしめていた男の一人が、きっとレパードを睨みつける。見たところミンドールと同じぐらいの青年だ。紫の髪に白い肌は、恰好さえ男物でなければ女に見間違えていた可能性もある。それほどに、中性的な顔立ちをしていた。
「あんたは何者だ?」
青年の声には、心なしか棘を感じる。他の男たちもまた、皆、剣を構えたままだ。
この反応は、正直予想の範疇を超えていた。まさか助けに行って、警戒されるとは思わない。
「俺はレパードだ。襲撃者から助けに来た」
名乗ったのに、返事はなかった。剣の切っ先は、レパードへと向いたままだ。
「ラダ」
警戒心を解かない青年を静止したのは、背後にいた同じく無傷の男だった。男は、ラダと呼んだ青年の代わりに、前へと出る。
威風堂々とした佇まいに、只者ではない何かを感じた。自然と背筋を正したくなる。見た限り、この男の年は、四十を超えている。貫禄もあった。同時に服越しでもはっきと分かる鍛えられた体が、荒々しさを感じさせた。独特の帽子が目に付いた。帽子に付いた赤の羽根が、たらんと顎の近くにまで伸びている。
すぐに直感した。
「そいつは助かった。礼を言う。悪いが、ここにいる奴らは仲間以外はあんまり信用してねぇのよ。さっき襲撃者同士で同士討ちをしていたもんだから説得力ってもんがねぇ」
ほれ。と、指だけで指し示す。その先に、『龍族』の少年の亡骸が転がっていた。今の言葉が事実ならば、この少年は先ほどの野蛮な顔つきの『龍族』に襲われた可能性がある。
「お前がここの船長か」
レパードは男から発せられる威厳から、そう問いただした。ただの観光船の船長だと思ったが、中々どうして油断ならない顔つきをしている。
「口の聞き方がなってねぇよ」
青年がそう吠えた。それを男が手で制する。
そして、男はにやりと凄んだ笑みを見せつけた。
「そう、船長のライゼリークだ。こっちの美人が俺の妻のマーサ。そして、そのほかが俺の部下たちだ。子供二人混じっているが、そいつはまぁ管轄外ってやつだな」
ライゼリークの言葉に合わせて、マーサと呼ばれた女がはにかむように頷き、それ以外の船員たちが敬礼の合図を取る。子供たちは呆然とした様子でこちらを見ていた。
先ほどのレパードに対する警戒心は、船員たちからもう感じられない。それで、この男は信頼されているのだなと気づかされる。
しかし観光船というよりも、空賊の方がしっくりくる。元々はそっちの人間なのかもしれない。カルタータに入り込んだ人間が、空賊だった可能性は、ありえなくはないだろう。
同時に、懸念が頭のなかで囁いた。ライゼリークが止めなければ、レパードは船員に警戒されていた。その事実に、口のなかが苦くなる。そう、ここにいるのは、魔法を使えない普通の人間だけだ。カルタータに住んでいない余所者だからこそ、この感覚には敏感に気付ける。
船員たちがレパードを警戒した、最も単純な理由。それは、きっと、レパードが『龍族』だからだろう。レパードの魔法の威力を知っている。そして、その魔法が牙をむくことを、カルタータの人々も知ってしまった。だから、警戒してしまったのだ。
共存の道など、こうして簡単に崩れていくのだと思い知らされた。




