その307 『ひとまずの合流』
かつての花畑を抜ければ、セーレの朧げな姿がようやく目に入ってきた。吹き付ける風が、血の臭いを運んでくる。はじめは空を飛んで進んだ煉瓦の道を、今は走り抜けるしかない。白いと思っていた道は、あらゆる魔法により煉瓦を部分的に剥がされ、土肌が見えていた。そんな中に折れた剣や亡骸が零れている。それらをなるべく避けるようにして走る。空を飛んできたときにはよく見えていなかった戦いの痕跡が、はっきりと確認できた。
けれど、今日という一日で散々な光景をみてしまった今では、それらに心が揺れ動くことはない。ただ全身に付きまとう気だるさを押しやるようにして、進んでいくだけだ。
走り続ければ、セーレの様子がはっきりと見えてくる。まだ、幸いにも空を飛んでいる様子はなかった。その事実にほっとすると同時に、不安も沸き起こる。
もし、飛行船が飛べない状態だったら。そんな想像が沸いたのだ。ないとはいえない。レパードが戦ったときでさえ、甲板の一部を『龍族』に燃やされていた。飛行石が根こそぎやられていたり、飛行石を維持するための航空機関が壊されていたりしたら、船は飛べない。或いは、飛ばせる技量を持った人間がいなくなっていることも考えられた。人がいなければ、飛ぶものも飛ばない。
ちなみに、一人用の小型飛行船ならレパードでも運転できる。だが、セーレほどの大型の飛行船はその分複雑になっている。運転は到底不可能だ。
それにしても一体、セーレにはあとどれほどの人間が生き残っているのだろう。甲板までは入ったが、船内の様子までは全く確認できなかった。それに、レパードが一度セーレを飛び出してからも、時間が経っている。甲板にいた船員も、何人生き残っていることか。
不安は絡みついて、離れない。じわじわと押し寄せてくる。その答えを早く知ってしまいたかった。重い足を無理やり動かして、突き進む。少なくともあのときのように『龍族』が空から奇襲をかけていれば、すぐに戦っているとわかったが、今回はそれもない。それがいい報せか悪い報せなのかも、はっきりしない。
飛行船が目前になるまで、ずっと分からないままだった。
ひっそりとした飛行船を見上げる。そこにいるはずの人々の姿は、見えない。
「おい、無事か!」
焦燥にかられて声を張り上げる。その声に、返事がない。
(まさか、全滅か?)
それでは船は飛ばせない。それどころか、レパードの知る限りの生き残りは、ここにしかいなかった。カルタータは全滅したかもしれない。
不安が一気に膨れ上がり、レパードの体を震わせた。
たまらず、渡し板を駆け上がる。
その途端、視界を鋼色の輝きが横切った。急停止するレパードの前に、刃物が突き付けられる。
刃物の正体は、手斧だった。これが振り回されれば、人の肉などすいかのように割れてしまう。そう思わせるのに十分なほど、厚く大きな斧だ。
それを見て、ふっと息をつく。全身の力が抜けた。
「レパード!あんた、無事だったのか!」
武器を突き付けていたのは、マレイヤだった。驚いた顔を向けている。甲板で一緒に『龍族』と戦った優しげな様子の男が、その隣でほっとした顔を浮かべた。少なくとも、二人は無事だった。
「おかげさまでな。そっちはどうだ」
マレイヤは戸惑った顔を浮かべた。
「良くはないさ。何人もやられちまったよ」
見回した先に、折れた刃を確認する。そのまま散らかっているのを見れば、片付ける余裕もなかったことが伝わる。
「ただ、ここを襲ってきた奴等は軒並み倒した」
レパードは心のなかで称賛を送った。絶望的な状況からよく持ち直したものだ。けれど、それを誉めたところで死者は生き返らない。マレイヤは素直に受け取れないだろうと、予想する。
会話の間に、優男が分けいる。
「見たところ、怪我をしているようだ。その子を奥へ連れて行こう」
レパードもまた頷き返した。これでリュイスを道場よりかは安心な場所に連れていける。正直、いい加減腕が痺れてきたのも事実だ。
「その子があんたの探し人かい?」
「あぁ。まずは預けたい。それと船の中の状況はどうなっている?」
マレイヤは首を横に振った。
「私らにも中のことはさっぱりだよ。一端全部片づけた後は、ここに誰もいないふりをして近づいてきた『龍族』だけを相手にしていたんだ。それだけで手いっぱいさ」
そう話すマレイヤの顔は、疲労が蓄積されてきたのか、思わしくない。近づいてきた『龍族』だけといっていたが、過酷な戦を抜けた後だ。厳しかったことは間違いないだろう。
「分かった。なら、リュイスを預けるついでに中の様子も確認してこよう」
本当はここでマレイヤにリュイスを預けて彼女に休息を与えたいところだ。だが、疲れきったマレイヤにリュイスを抱えさせるのもどうかと思った。レパードが早くリュイスを預けて戻ってこれば、それでいいだろう。
「助かるよ。えっと、レパード?」
優男が、マレイヤとの会話から推測したらしい、レパードの名前を口にする。
「あぁ、レパードだ」
改めて、名乗る。まだ使い始めて数回だが、不思議としっくりくる気がした。
男は朗らかに笑った。年齢は見たところ同じぐらいだろうか。ここで出会っていなければ話も合いそうだった。
「ミンドールだ。よろしく、レパード」
「こんなときだが、よろしくな」
そう返して、すぐに二人に別れを告げる。甲板はまた、急襲される可能性がある。だから、名乗ったばかりの間柄とはいえ、次また無事で会える保証はない。故に、挨拶はそこそこにした。仲良くなったら、この先が辛くなる。
船内に続く扉を開ける。途端、視界が一段暗くなった。木の匂いを感じる。飛行船に乗ったのは実に半年ぶりだが、異国といってもよいこの船に妙な懐かしさを感じた。同時に今日だけですべてが戻った気がした。大勢の人々の死、硝煙の匂い、そして飛行船。この半年が夢見心地過ぎて忘れていたが、こここそレパードの戦場だ。
扉を順に開けていく。船内の様子を見るといった手前、こうした部屋も確認しておく。うまくいけば、医務室にあたって、包帯ぐらいは手に入るかもしれない。
「ここにいたのか」
二つ目の扉を開けたとき、ラビリの揺れる瞳と目が合った。
少しの間を経て、ラビリが、ほぅっと息をつく。入ってきたのがレパードだと知ってほっとしたようだ。ぎゅっと赤子を抱きながら、見上げてくる。
さすがに心細いだろうなと思った。いくら気丈な子供とはいえ、すぐ近くでは命の取り合いが行われている。いつここに踏み込んでくるかわからない。その危険は大人でも堪える。
レパードは、少し見回して隣に別の子供がいることに気が付いた。マレイヤと別れたときに、マレイヤと一緒に戻った、黒髪の少女だ。彼女は、床に腰を下ろす形で眠っていた。目を覚ます見込みはない。
ここは倉庫らしい。ラビリたちの後ろには、積み荷が乗せられている。観光船ということであてにしていなかったが、ロープや木樽、木箱は必要数確保されているようだ。けれど、同時にただでさえ狭い部屋を更に狭くしている。入れてあと数人だろう。
レパードはちらっと考える。この機会にラビリたちをもっと安全な場所へ同行させてもいいかもしれない。だが、リュイスに、床で眠っている少女まで運ぶ余力はない。往復になる。
一旦三人ともここに置いていこうと、決断する。奥にいけば誰かいるはずだ。戦いができる者はいなくとも、子供を運ぶことのできる者はいるだろう。頼んだ方が良い。
そうして、腕の中のリュイスを見る。これ以上、ラビリに負担をかけたくはないが、一旦は任せることにする。レパードといるより、年の近い子供たちと一緒の方が、リュイスも安心できるはずだ。
「リュイスを頼んでいいか」
こくりとラビリから頷きが返った。それから、リュイスを見て、一言。
「酷い怪我……」
レパードからしたら、致命傷ではない。だから良いかと思っていた。しかし、日ごろ怪我をしたことのない者がみれば、その傷の度合いは違ってみえるのだろう。
「この船のどこかにお医者さんが乗っていると聞いています。見つけたら声を掛けていただけますか」
医者と聞いて、耳を疑った。レパードの知る医者は、数時間前に目の前で亡くなった。まさかと思った。この都に医者は二人いる。その言葉が示すなら、今この船にティルツの兄が乗っていることになる。
「分かった」
表情を隠すのが難しかった。
けれど、ラビリも自分のことで精いっぱいだったのだろう。レパードの表情の変化を追及することはしなかった。




