その304 『託されたもの』
都を駆けながら、呪詛を吐きたい心地に囚われる。一体何故、あんな小さい子供があんな思いをしないといけないのか。どうして大勢の罪のない人々が突然襲われないといけないのかと。
今回の件を企てた犯人が、都の外で見た戦艦から乗ってきたのだとしたら、どこかの国の『魔術師』だとは推測できていた。或いは、国家そのものかもしれない。しかし一体、彼らは何のためにこんな非道を行っているのか。それが分からなかった。人を何だと思っているのだろう。ここには彼らが忌む自分たち『龍族』だけではない、普通の人もいると言うのにだ。それとも、『龍族』とともに在る人々も、彼らにとっては忌むべき敵の一人でしかないのだろうか。
走り続ける先で、炎をまき散らす『龍族』の前を通り過ぎる。魔法を放って静止させる理由は、もうなかった。都を包む火は、既に止められるレベルではなかった。それに彼自身が火に包まれていた。狂ったように笑う声は、正気の沙汰ではない。暗示で狂わされた『龍族』は、望まぬはずの戦いに駆り立てられている。そうでなければ、あんなふうに、嗤えるはずがない。
煙のせいで、レパードの視界は、滲んで仕方がなかった。燃えあがった都は、歪んで見える。その歪な世界を、ただ一人、生きていると信じたいリュイスのために、走り続ける。
たどり着いた道場は、悪魔が跳梁を欲しいままにした後だった。
大樹は燃え上がって、そこから火の手が広がっていく。門扉は、いつもと同じように開いていたが、そこに手斧が刺さっていた。誰かの服と思われる布地が射止められている。その周囲に赤いものがあちこちに飛び散っている。転がっている何かを、極力見ないようにした。
火の中を潜るように、扉の先へと入り込む。リュイスはこの実家に戻っているはずだった。
「リュイス!いたら返事をしろ!」
叫ぶとともに口に入る煙に、慌てて口を閉じる。まずはと中央の建物に入ったレパードは思わず足を止めて、呻き声を漏らした。
そこは、まさに地獄絵図だった。床に赤い池ができている。そこから顔を覗かせるのは、死屍累々。剣を交えて戦ったのだろう、折れた刃があちらこちらに飛び散っているのが印象的だった。
(リュイス……!)
こんな場所に戻ったと言うのか。レパードはぞっとした。この屍のなかにリュイスがいるかもしれないと思うと、やりきれなかった。一歩ずつ見知った顔がないか確認していくだけでも、吐き気が込み上げた。
射撃場に通っていたレパードは、声こそ掛けなかったものの、何人か知っている顔がいた。その全てを、ここで見つけてしまった。
もう一つの建物にも入る。そこは普段行かない場所だったが、あまりにも無残な光景に目をそむけたくなった。これは、戦いではなく虐殺だ。抵抗できたようには、全く思えない。察するに、ここを襲った『龍族』に、戦慣れした奴がいたのだろう。そいつに、不意打ちを食らったに違いない。そうでなければ、修行を積んでいた狩人たちで抑えられたはずだ。
(生きていてくれよ)
望むように、心の中で呟いた。幸運を呼ぶ子供だと言う話を今更ながらに信じたかった。けれど、幸運を呼ぶはずの子供が、こんな悲惨な現場に戻るだろうか。疑念が沸き上がる。ここは、セーレよりも酷い。リュイスは、自身の身を敢えて危険に晒しにいってしまったようにしか、みえなかった。
これ以上、死体を確認したくなかった。見る顔、覗く顔、全てがリュイスでないかと、びくびくする。むしろ、誰だか分からなくなってしまった者が、リュイスかもしれない。込み上げた不安が、不吉な想像を積み上げていく。レパードは必死に首を横に振った。
最後に、自分がよく利用していた射撃場へ向かう。その頃には、自分の心が石のように重くなってしまったのを感じていた。死体を見ても動じられなくなっている。順に確認しながら、地面に引き摺ったような血の痕があるのに気が付いた。
その痕は、ちょうど射撃場の入り口で、途切れている。
唾を呑み込んだレパードは、射撃場の扉を開けた。
「じいさん……!」
そこに、這う姿勢で力尽きた老人の姿があった。
慌てて駆け寄ったレパードは、老人の脈を確認する。ぴくりとも反応がないその体は、調べるまでもなく冷たくなっていた。その腹には大穴が開かれている。この状態で無理やり体を引きずってきたのだと思うと、いたたまれなかった。
ふいにセーレの前で会った子供のことを思い出した。目の前で両親を失って、涙を流すことしかできなくなった少女をだ。リュイスの唯一の肉親は、この老人だった。リュイスはこのことを知ってしまったのだろうか。あんなふうになってはほしくなかった。そう思っていたのに、今ここにあるのはあそこ以上の凄惨な世界だ。こんな世の中、あってはならなかった。
「ん?」
レパードは老人の指に不自然にこびりついた血に気が付いた。そう言えばなぜ、この射撃場まで這う必要があったのだろう。ここにあるのは、ゴム弾の入った銃だけだというのにだ。
そっと、老人の指があった場所をどかしてみた。そこに文字が書かれている。『神殿』と読めた。その後に、何か小さく書いてある。血が滲んだのか読みにくい。じっと目を凝らして、気が付いた。
『生きることに怯えるな、リュイスを頼む』
一体それは誰にあてたメッセージだったのだろう。レパードは思わず目頭を押さえた。そんなに長い付き合いではなかった。直接顔を合わせたのはたった数回だけだ。それなのに、何故レパードを見透かすようなことを言って、願いを託していけるのか。どうして、ここにレパードがくると、そう信じることができるのか。
「無茶言うなよ」
言いながら、立ち上がった。次の目的地は、はっきりしていた。そこに何があるかはわからない。けれど、今は道しるべに従い、走るしかない。




