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カルタータ  作者: 希矢
間章 『そして、底から』
298/991

その298 『燃ゆる都』

 肺に含む息が、突き刺すようだった。

 荒い息をつきながら、レパードは林の中を駆け抜ける。急げと頭が警鐘を鳴らし、全身が無理だと悲鳴を上げる。病み上がりの体に鞭を打ちながら、草木を跨ぎ越す。近くの枝にとまっていた雀が、大慌てで飛び去って行った。その姿すらも、目に入らない。

 握った手がじわりと汗を掻いている。額から垂れた汗が無事な方の目に入ってしみた。硝煙の匂いが、漂ってくる。きっと、普段ならあり得ない光景だった。カルタータは障壁に守られた都だ。だから、万が一にも外からきた人間に襲われることなどない。しかし、レパードは知っていた。都を襲う手段に覚えがあった。

 ぐっと歯を食いしばる。分かっていたなら、警告すべきだったのだ。けれど、あり得ないと頭のどこかが否定していた。あの村は崩壊したのだ。だから、襲ってくることなどもうないと。

 楽観に過ぎた。きっと、心のどこかで逃げていた。そうしてまた、後悔を繰り返そうとしている。リュイスに、ティルツの顔が浮かんだ。無事でいてくれよと心の中で訴える。

 肌に熱を感じるようになった。建物が燃えている。どこからか悲鳴や泣き声が聞こえてくる。

 門が見えてきた。出掛けたときにくぐってきたあの壁門が、崩されている。入口に、ばらばらになった岩が積み上げられていた。とてもでないが、通れそうにない。

 代わりに囲いを見やる。腰ほどの囲いも、半壊していた。それを跨ごうとしたそのとき、甲高い悲鳴が近くで聞こえた。

 声に引きつけられるように、その光景が目に飛び込んできた。翼を生やした男が、倒れた女の長い髪を、引っ張り上げている。男の目は、異様に血走っていた。悲鳴を上げる女を相手に、狂犬のように顔を歪ませる。耳障りだと言わんばかりに、剣で斬りつけようとする。

「やめろ!」

 叫びとともに放った魔弾は、まっすぐに男へと向かって弾けた。無我夢中だった。けれど、その感触に、すうっと血の気が引いた。

 違う、俺は守ったんだ。そう心の中で言い訳を綴る。撃たなかったら、女は今頃死んでいた。人助けをしたんだ。

 それに答えるように、難を逃れた女が走って逃げていった。よほど怖かったのだろう。レパードの方を振り向きもしなかった。

 それでも、去っていく無事な背中に安堵する。なるべく倒れた男は見ないようにした。

 レパードには、分かっていた。あの男は都の外からきた『龍族』だ。障壁は『龍族』なら行き来できる。『魔術師』は捕えた『龍族』に暗示を掛けて、都を急襲させているのだ。そのやり方に、はっきりとした嫌悪を感じる。あの男の様子を見る限り、ろくな暗示でないことは確かだ。襲う側も襲われる側も、被害者だった。襲う側の背後にいる『魔術師』だけが、愉悦に浸っている。

 見回せば、都の様子がより鮮明に目に入ってきた。左手からは悲鳴が聞こえ、右手には『龍族』の男が奥へと駆けこんでいくのが見える。先ほどとは別の男だが、奇声をあげながら走っているあたり、同類だろう。前方の幅広の道にあった家屋が、突然崩れ落ちた。炎がまわったようだ。火の手が回るのが早いから、近くに炎の魔法を使う人物がいる可能性がある。

 手にした銃を右手の男に向ける。はじめは、ぶれた照準も、少しすれば収まった。狙いがはっきりしていたこともあって、的に撃つのと同じ感覚で銃身を支えられた。ふぅっと息をついて、集中する。今回の場合、外した方が危ない。言い聞かせた心は、言うことを聞いた。狙いに向かって、引き金が引かれる。

 閃光が走った。男が、崩れ落ちる。狙い通りだった。足を撃たれた男はこれで暫く動けない。この男に襲われる被害者は減ったはずだ。

 それを確認してから、すぐに左手へ向かう。家屋が崩れた前方が一番近道だが、燃え盛る炎の中を走るのはあまりに危険だった。息の荒い今なら、煙を吸いやすいから猶更だ。

 走りながら、脳内で順序を組み立てる。まずは所在のはっきりしているティルツのいる診療所だ。リュイスには悪いが、学校がどこにあるか分からない以上探す手立てがない。それに、新空式に出るために既に学校から移動している可能性もある。

 左手の道も、火こそ少ないが、足場は最悪だった。窓ガラスの破片を踏みつけ、崩れた生垣を避けて、半壊する建物の間を通り抜ける。人々の蹂躙された跡も無数にあった。四肢を千切られたぬいぐるみが串刺しになって壁に刺さっていた。人の足らしいものが開いた扉の先に伸びていた。その足から脱げたと思われる靴にまで、ナイフが刺さっている。積み重なるように倒れていた死体は、若い男女だ。その服の上に、踏まれた跡が残っていた。

 精神のタガが外れていても、ここまではならないだろうと思いたい、狂気がそこにあった。あれが自分たちの本性だと、『魔術師』に言われている気がした。暗示でここまでひどくなるのは、お前たちだけだと。それはきっとレパードの不安が形を成した妄想だ。だからこそ、『魔術師』への憎悪が胸の中で燻った。

 そんな中、視界の端で、子供と思われる体が伸びているのが過ぎった。そこから広がっていく血だまりが、火に反射して赤く光っている。

 跨ぎ越して、速度を上げた。足の遅い者からやられる。特に女子供は抵抗ができない分、狙われやすい。この時ばかりは、リュイスが特別幸運であるという話を信じたくなった。

 突然、爆風が降りかかる。顔にかからないよう腕で守る。風が弱くなったところで、指の隙間から様子を探った。右手の建物の上で炎をまき散らす『龍族』が目に入る。高所にいるせいで顔までは確認できないが、踊るように炎を飛ばす様は、正気とは到底思えない。間違いなく、都に元々いた『龍族』ではないだろう。

 すかさず、雷を引き起こす。地面を伝うように伸びた雷撃が、炎を纏う『龍族』を包んだ。『龍族』の体が、建物から落下していく。

 レパードは視線を反らした。それでも、もう避けてとおれないことを頭で理解していた。今はどうにかなっているが、レパードは無敵ではない。躊躇があるようでは、ティルツやリュイスは守れない。弾を捨て、魔法に変えたところで、それは変わらない事実だ。

 速度を上げて走り始める。

 続けて聞こえてきた悲鳴は、前方から走ってきた男によるものだ。身構えたが、すぐに違うと悟った。この男は、『龍族』ではない。ただの人間だ。男の形相は必死だが、それは狂気ではない。何かから逃げているのだ。

 どうしたと、声を掛けようとしたところで、走ってきた男の足が崩れ落ちた。何かと思って近づこうとしたが、男が悲鳴を上げたまま後ろへ遠ざかっていく。追いかけて気がついた。男の足に蔦が絡まっている。引きずられているのだ。

 命の明るさを吸ったような色をした蔦は、男の腕ほどはある分厚いものだ。逃げようともがく男に、どんどん絡まっていく。そのうえ、男の体を物のように持ち上げた。

 男が、あっという間に宙吊りになる。

 すかさず、力を込めた魔弾でその蔦を撃ち抜く。落下する男の様子を確認する暇はなかった。レパードはその先に突き進む。あの高さなら男は生きているという確信があった。それより、蔦の魔法の持ち主だ。早くしないと第二波がやってくる。

 倒れた男の奥で、にたりと笑った『龍族』の細身の男と目が合った。それだけで、虫唾が走った。彼らは心底楽しそうだった。凶悪の笑みは、『魔術師』が抱いた『龍族』像をこの男に押し付けた結果だ。だからその笑みごと消し炭にすべく雷撃を送った。男の魔法だろう、蔦が雷撃の前に立ちふさがったが、あっという間に黒焦げになった。

 『龍族』の断末魔の声に、耳を塞ぐ。振り返ったレパードは、先ほど助けた男に近づいた。

「おい、まさか」

 男はあろうことか事切れていた。内心焦りを感じる。蔦で持ち上げられたときは、確かに生きていた。ということは、蔦を撃ち抜いたときの高さが原因かと思ったのだ。そうなると、男に止めをさしたのは自分になる。守るべき人々まで手をかけてしまったのかと、胃が引きちぎられそうになった。

 男の死に顔を改めて確認しようとした。せめて、顔ぐらいは覚えておくべきだと思ったのだ。そこで、はっとする。

 男の顔が不自然に紫色に変色していた。目は黄色く濁り、唇は青く腫れ上がっている。あらためて観察すれば、身体中に巻き付いた蔦が、服に穴を開けているのに気がついた。蔦に棘があったのだろう。あの分厚い蔦だ。棘の大きさも普通ではなかった。穿たれた穴から、赤いものが流れ落ちていく。

 これは、毒だ。直感した。あの蔦には、毒が含まれていて、それが男の死因となったのだろう。

 レパードはそっと、目を閉じた。瞼の奥で、赤い光がチラチラと瞬いている。

 呼吸を整えて立ち上がる。いつまでも、しゃがんでいる場合ではなかった。この男は助けられなかったが、せめて都で知り合った人々は救いたかった。それならば、再び走り出すしかない。

 崩れた建物の残骸を跨ぎ越して、道を曲がった。真っ直ぐ進んでいられたら、すぐにたどり着いていた場所だ。行きにリュイスと進んだ道でもあった。最短経路に、ようやく重なった。

 あとは診療所まで走るだけだ。この頃には、都中が燃えているせいか煙が充満していた。おかげで、吐いた息が苦しかった。それに、視界が滲んでいる。吸っても落ち着かない荒い息が、合わせて視界を揺らす。そのなかで敵だけを選別して魔法を使うのは、思いのほか苦だ。

 視界の端に熱いものが横切って、慌てて急停止した。止まったその先で再び染まった熱が、レパードの顔を舐める。振り返ったレパードは、『龍族』の女が続けて魔法を打ち出す場面を確認した。

「待て、俺は敵じゃない」

 すぐに声を張る。女の表情は遠くて見えない。都に元々いた『龍族』が保身のために魔法を撃つ可能性はあった。

 すかさずその場で後方に飛び、立て続けにとんできた炎の玉から逃れる。

 女は、手を止めなかった。どこか機械的に魔法を撃ちはなってくる。そこに、意志が感じられなかった。

 相手が炎の弾を撃つ以上、距離を縮めるのは愚策だ。それでも、撃ち返す気のないレパードは、女の元へ走った。

 危機感を抱いたのか、女が距離をとろうとする。そのとき、ずっと隠れていた顔をあげた。

 ぎょっとした。その瞳は何も写していなかった。まるで、本当に炎を撃つだけの機械だった。この女も外からきた人物なのだと思わされるには十分だった。

 レパードは、引き金を引いた。魔弾は真っ直ぐに飛ぶが、相手も愚かではない。あわやというところで躱すと、すかさず炎の玉を飛ばしてくる。それを避けながら、魔法で払った。電撃が女のいる場所を中心に、無造作に放たれる。炎と違い雷は伝導する。逃げる術なく膝を折る女の姿が目に入った。

 倒れた女に近づいてから、躊躇った。女は気を失っている。眼が覚めたら、再び周りを襲うだろう。けれど、レパードの手の銃は小刻みに震えていた。

 首を横に振った。この女にかまけている時間こそが惜しい。再び公道を走りだす。幅広の道は、こういうとき助かった。先ほどまでと違い、ガラスの破片は道の真ん中まで飛んでこない。極力真ん中を走りながら、荒い息をつく。あと少しだ。

 走り抜けた先に、ようやく診療所が見えた。見た限りでは崩れてはいない。もう少しでたどり着ける。地面を蹴りつけるように、進む。

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