その296 『幸運を呼ぶ子供』
「あぁ、これで完治で良いだろう」
ティルツの許可が出るのに、追加で1ヶ月かかった。このときには、雨の降る日が増え、季節の移り変わりを予感させる時期になっていた。
「ようやくか」
ほどいた包帯を一つにまとめる。手足があらためて満足に動くことを確認した。
「退院おめでとうございます」
通学前のリュイスが、例によってサンドイッチを手渡す。それを受け取ってから、いつもとなにかが違うことに気が付いた。
「ほぉ、こいつはタレ付きか」
バスケットからかいまみえる、パンの種類がいつもと違う。ふっくらとしたパンの表面に白ゴマがまぶされている。それに合わせて、鶏の芳しい匂いがした。訂正をしないといけない。これは、サンドイッチではなく殆どハンバーガーといってもよい。ただ、ハンバーガーの文化がないから、それに近いパンを使ってサンドイッチにしただけだ。それにしても、退院祝いだろうか。いつもより豪華だ。
「ありがとな」
礼を言えば、嬉しそうな表情が返る。本当に素直で良い子供である。
しかし、その顔は途端に寂しそうな表情へ変わる。耳まで、『龍族』のなかでも長いせいか、若干垂れ下がっているように思えてしまう。まるで子犬をみているようだ。
「すぐに発ってしまうんですか」
レパードは首を横に振った。
「外には出るが、今日は様子見だからな。数時間で戻ってくるつもりだ。退院はしたが、病室を借りてもいいだろ?」
前半はリュイスに、後半はティルツに向けて話す。
ここにくるまでの記憶が殆どないから、外にでて地理を確認する必要がある。しかし、病み上がりでいきなり全てを探索するのは辛い。まずは近場だけを調べてみるつもりだった。ついでに約束の鳥も狩ってくる心づもりである。
「全く、ここは宿じゃないんだが」
ティルツはそう言いつつも、だめだとは言わなかった。
リュイスも、それを聞いてあからさまにほっとした顔を浮かべる。
「絶対に、帰ってきてくださいね」
念押しに、レパードは、思わず苦笑した。
「分かってるよ」
一体いつの間にここまで懐かれてしまったのか、心の中で首を傾げる。確かに、リュイスは毎日のように見舞いにくるから、顔を合わせる回数は多い。それに、リハビリを兼ねて一緒に都の中を散策したこともあった。だが、どちらかというと、レパードこそ命の恩人であるリュイスに感謝する立場であり、リュイスが偶然見つけた怪我人に固執する理由はないはずだ。
「そうだ。出口までは一緒に行くか。学校が始まるまでまだあるよな?」
リュイスに振れば、大喜びで頷かれた。
朝靄が僅かに残る公道を進む。レイヴィートに匹敵するかと思うほどの広大な道に、見渡す限りの、家、家、家。都を一から全て見回ろうとしたら、数日はかかってしまう。ただ、道だけはわかりやすく、幅広の道に誘われるままに進めば自然と都を一周する。都をくるりと囲うその道は全部で三つあって、近道をしようとするならば、最も内側の道から目的の方角に進むとよい。それはレパードでも分かるのだが、何分枝道も多かった。詳しい人間は少ない距離で目的地まで移動できるが、慣れていないとそうはいかない。隣を歩くリュイスは生まれたときから都にいることもあって、最短距離をさくさくと進んでいく。レパードとしては助かる限りだ。
「そういえば、今日はお昼からセーレの新空式がありますよ」
折角だから見てはどうですかと、声を掛けられる。
「お昼には、僕たちも学校のみんなと一緒に見に行くんですけれど」
以前、リュイスがちらっと言っていた飛行船のことかと、思い出す。レパードとしても、飛行船に乗る経験が多いこともあり惹かれた。カルタータの飛行船が外の飛行船とどう異なるか、興味もある。それに、ティルツがこれを知らないわけがない。ちょうど退院日にかぶせてくるあたりに、狙いが見えるような気もした。つまり、誘ってほしいのかもしれない。
(相変わらず、まどろっこしい奴)
自分から声を掛けて、行こうと言い出さないあたりが、ティルツらしい。リュイスを使ったり、レパードに察するように仕向けたり、やり方がラヴェを相手にしているときのようだ。
「じゃあ、俺もやぶ医者を連れて見に行くとするか」
とはいえ、それも今となれば慣れっこだ。わかっていると伝わるよう、口に出しておく。リュイスはこれで帰ってくる保証ができたというように、どこか安心した顔で頷いた。
暫く歩けば、白い壁門が見えてくる。首が痛くなるほど高い門だ。聳え立つこの門の存在にも気付かなかった当時の自分が、我ながら信じられない。門は形だけであり、左右にはレパードの腰までの高さしかない囲いがされている。そこを跨いだかもしれない。
「あのっ」
門へと進むレパードを、リュイスの声が呼び止めた。そういえばここまでかと思いながら、リュイスを振り返り、はっとした。
何故か、リュイスの瞳が揺れていた。
「おかしなことを言うかもしれないですけれど」
あくまで、そう前置きをする。
「東には行かないでください。嫌な予感がするのです」
まいったな。レパードは頭を掻いた。
これではティルツが話していた、狩人の話と同じ展開である。リュイスが狩人に東に行くなと言った、あの話とだ。
前もって聞いていなかったら、信じなかったかもしれない。けれど、あらかじめ聞いていたから、素直に従ってもいいかと判断した。リュイスがてきとうなことを言う性格でないことを知っているのもある。
「分かったよ。おすすめは西か?」
リュイスが僅かに首を傾げた。指定の方角を指しただけで、何の話を持ち出したか悟ったらしかった。
「ひょっとして、聞いて……」
リュイスの疑問の声から察するに、ティルツがリュイスの過去話をしたことは、どうやら知らなかったようだ。
「俺は、そんな理由でお前を特別扱いしないからな」
きっと、何気ないレパードの言葉が、嬉しかったのだろう。リュイスは、破顔する。作った笑みではない、どこか救われたような笑みが、朝の陽光に照らされて輝いていた。
「いいえ、東以外ならどこでも大丈夫だと思います!」
そこで素直にレパードの言葉に答えるあたりは、とても真面目なリュイスらしい。
苦笑しながらも、レパードはリュイスに背を向けて進んでいく。素直な少年に慕われる分には、悪い気はしなかった。レパードの言葉で僅かでもその少年の重荷が減るなら、猶更だ。
だが、同時に分かってほしかった。二人の別れは、もう間もなくだということを。




