その290 『八つ首の龍の都』
「飛行船を造っても障壁があるんだろ?」
折角なので、引き出せるうちに情報を引き出しておく。ティルツでは誤魔化されるが、リュイスなら素直に答えるだろう。障壁という話が嘘だとしたら、何を言っているんだという顔ぐらいはされるかもしれない。そんな表情を想像しつつ、リュイスを見たが、彼の表情はぴくりとも変わらなかった。
「はい。ですが、障壁内を巡回するだけでも十分楽しいです」
あまりにも自然に言うものだから、一拍反応に遅れた。
「そうか、楽しいのか」
「はい。いつもと違う景色が見られます。家々が小さく見えるんです。初めて乗ったときはとても驚きました」
レパードにとっては当たり前の景色なのだが、リュイスにとっては新鮮らしい。それに、どうも飛行船は旅をするための船ではなく、娯楽の一部としてただ障壁の周りを巡回するだけの役割をしているらしい。そして、リュイスの反応から察するに、障壁の話はティルツの眉唾ではないようだ。
「障壁というのは、抜けられないのか」
リュイスはきょとんとした顔をした。これまで一度も考えたことがないと、その顔が言っている。
「『龍族』は出入りができるらしいです。だから都の一部の『龍族』は時々外に狩りをしにいきます」
「『『龍族』は?』」
リュイスの言葉から気になった言葉を拾うだけになっているレパードに、リュイスは意図を察して頷き返した。
「はい。他の人々は外に出られません。でも、都の一部の『龍族』、狩人と呼ぶんですが、彼ら以外は僕らも含めて障壁の外には出ません」
レパードは思わず沈黙した。秘匿された都という説が、有力になりつつあった。それどころか、『龍族』以外は外に出さない障壁に、それを何とも思っていない様子のリュイスに、どこか違和感が生まれた。それは或いは、外から来た者にしか分からないおかしさ、なのかもしれない。
(だが少なくとも、俺は外に出られるわけだ)
浮かんだ疑念を全て押しのけて、一つの事実を確認する。傷が治ったらこの都から出ることができる。その認識は、安らぎを与えるとともに不安を煽る。
(俺は、これからどうすればいい?)
外に戻ったところで、どう生きていけばいいのかが分からなかった。いや、生きるだけならどうにでもなる。旅暮らしは長いのだ。知らない街にたどり着いても食い扶持を稼いでいくだけの力はあった。だが、どうしたいかは分からない。闇の中で探し物をしている心地がした。
「狩人というのは、特殊なんだな」
あまり沈黙していると、リュイスが不安そうな顔を向けてくる。どうにか当たり障りのない言葉で、その場をやり過ごそうとして、てきとうに相槌を打つ。
「はい」
リュイスはそれに対し少しはにかむ。レパードがカルタータに興味を持った様子なのが嬉しいようだ。
「狩人は仕留めた獲物の血を供物として、『八龍』様の祭壇の杯に捧げることができるんです」
リュイスの笑みに対し、内容は少し過激だった。供物とは少なくともレパードはあまり耳にしない言葉だ。土着の神の信仰の類だろうとは思ったが、捧げものというのはどうにも好きになれない。
「『八龍』様っていうのは何だ?」
「『八龍』様は、この都の障壁をおつくりになる龍のことです。障壁に現れる意識体は『八龍』様の八つ首。一つ一つに名前が付けられているんですよ」
全く理解しがたいことに、障壁に現れる龍は八つ首、つまり全部で八種類もいるらしい。
(これで作り話だったら、想像力が逞しすぎるか)
ぽつりと心の中でつぶやく。どうもレパードは風変わりな信仰の残る都に迷い込んでいたようだと、結論付けた。
一人で体を起こせるようになってから、待ちきれずカーテンの端に手をかけた。今、病室には誰もいなかった。リュイスは勿論、ティルツも部屋へやってくる時刻ではない。時計はなかったが、きっと、まだ朝早いのだろう。急かすように、鳥の鳴き声が聞こえてくる。レパードは、カーテンの布を引っ張った。眩しい光が、包帯越しにレパードの右目を刺す。目を細めながらじっと待つと、朧げながら都の形が浮かび上がってきた。
「これは、壮大だな」
ちょうど窓の中央から白い幅広の道が延びていて、それがずっと先まで続いていた。これほど長い道をレパードは見たことがなかった。しかもその道の左右にずらりと立ち並んでいるのはどれも民家であろう。これらの建物も全て白く、一軒一軒が大きかった。中には三階建ての建物もある。
注視していた民家の木の扉が乱暴に開かれ、中から三人の子供たちが飛び出てきた。どの子も、手に鞄を持っている。中央の道以外も地面は全て舗装されているらしく、嬉しそうに家の前の道を横切っていく。一人、最後尾にいた子供が、ふいに跳んだ。その背中から羽が伸びていく。目を見張ったレパードの目の前で、『龍族』のその子供が、前にいた二人を一気に抜いた。先頭にいた子供が負けじと、『龍族』へと手を伸ばす。その手が足にかかり、『龍族』は体制を崩した。その隙にと、後ろを走っていた子どもが抜いていく。引っ張った子供と『龍族』の子供は完全に抜かされ、慌てたように走り出した。やっていることは横着だが、どの子供も笑顔だった。子供達は『龍族』を完全に受け入れ、そして『龍族』自身もこの光景に溶け込んでいた。
あらためて眩しさを目に感じたレパードは、そっと空を見上げた。
雲一つない青い空が、そこにある。そこに、何かの模様が見えた気がした。
はっとして、幅広の道の先を見つめた。目的のものは見つからない。青い空を目で追って、上へと視線を上げていく。そこで、ようやく境界線を見つけた。想像より、それはずっと高い位置にあった。言われないと気づかないほどの、淡いヴェールが確かに、そこに存在した。そのヴェールには、うっすらと白色で模様が描かれている。これが、障壁なのだ。
そして、レパードの目と目が合った。
それは、障壁の向こう側からゆっくりと顔を出した。淡い空色の何かの生き物。その瞳が、レパードを見つめているように錯覚したのだ。
目が見えたと思ったら、そこから輪郭が浮かび上がってきた。長い髭、鋭い牙、四本の指からは長い爪が伸び、鬣はそこいらの獅子の魔物よりもずっと大きい。そうして、今度は蛇のような胴体が見えてきた。これが、長かった。いつまで経っても、終わりが来ない。ようやく終わりが見えると、今度は長い尾が見えてくる。その姿は今まで気付かなかったのが信じられないほどには、神々しく、壮大だった。この地に住む者が、神と崇めても何も不思議ではない姿をしている。
あれが『八龍』、その首の一つだろう。
「これが、『カルタータ』か」
『龍』による障壁に守られた、『龍族』と人の理想郷。
まるで別世界に踏み込んだ心地がした。




