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カルタータ  作者: 希矢
第三章 『烙印を隠せ』
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その29 『襲い来る暗殺者』

「誰?」

 何も言わずに扉を開けると驚かれることは、この三日間で覚えたことだ。

「僕です。……そのお話が」

 扉を挟んだ先から聞こえた声は、リュイスのものだ。


 やはり昨日の足音はリュイスのものだったのだろうかと、思案する。以前は話を無理やり切った覚えがある。そのときは何か話したがっていたような素振りがあった。そうなると、用件は二日前の続きだ。

 そこまで考えて、さすがに時間が空きすぎかと自身の考えを一蹴する。何か別件だろう。


 扉を開けると、おどおどした様子でイユを見る翠の瞳と目が合った。

「何?」

「その……、前回怒らせてしまったみたいだったので」

 また謝りに来たということらしい。一日以上空けての来訪に、ありえないと思ったばかりの話題である。すっかり呆れてしまった。

「謝るのが好きな奴ね」

「えっと……、その、すみません」

 溜息をつきながら、謝罪するというのならあのしつこい船長をどうにかしてくれればよいのにとの思いが頭を過る。あれさえなければもっと快適に過ごせることだろう。

 そう思ったところで、急にイユの中で冷えていくものを感じた。

「大体あんた、どっちの味方なの?」

「え?」

「レパード? 私? はっきりしたら?」

「それは……」

 リュイスの様子を観察する。答えられないようで押し黙るその顔は暗く、瞳には動揺が浮かんでいる。

 煮え切らない奴だと印象を抱く。本当のところ、リュイスならレパードを選ぶだろうと推測できる。日数の浅いイユよりも付き合いの長い人物のほうが信頼できるからだ。

 しかしリュイスの性格がイユを前にしてイユの味方でないと言い張ることを良しとしない。それを知っていてわざと聞いたのだが、案の定だった。

 別に良いのにと言ってやりたくなったのは、中途半端なリュイスに自身の立ち位置を自覚したからだ。どれだけ優しくしてもらおうとも、どれほど仲良く過ごそうとも、今の旅路は期間限定のものなのである。そして所詮イユは異能者だ。警戒されている以上、味方ができるとは思わないほうが良い。上手くいっているからと言って、心まで気を許すのは違う。

 だから、リュイスにも関わるなと言おうとした。どうにもならないことでうじうじと悩まれるほうが面倒だ。見なかったことにしていたことを持ち出されて、意識させられる。


 目の前からリュイスの存在を追いやりたくなる。冷たい言葉を投げつけようとし、口を開く。


 そこで、衝撃があった。


 リュイスが廊下側へと叩きつけられるのがみえた。よろめいたイユは、扉に捕まってどうにか耐える。

 飛行船が突然大きく揺れたのだ。

 夕食でのレパードの話を思い出す。恐らくは飛行岩がぶつかってきた衝撃だろう。

「ちょっと、見張りを立てるとか言っていたそのすぐ後でこれなわけ?」

 再びの、振動。よろめきながらも部屋を出る。リュイスが壁に寄りかかり態勢を立て直すのを確認する。

「どこがやられた!」

 船員の声がした。声だけで姿は見えないが、恐らくは通路の曲がり角を折れた先、自室の扉を開けて飛び出てきたようだ。

「上だ、上に急げ!」

 他の船員の声が響く。

「私たちも!」

「はい!」

 船員たちに続こうとしたところで、はっとした。

「リュイス!」

 叫ぶまでもなかった。気配に気づいていただろうリュイスが腰の剣を抜き、その人物と刃を合わせる。薄闇の中で刃と刃の音が響き渡る。

「誰?」

 リーサに聞いていたおかげで反応できた。

 船員ではないのだろう。目を凝らすと、それはリュイスぐらいの年の女だった。手に持っているのは、ナイフだ。

「あなたは……!」

 リュイスの知り合いのようだ。

 女の舌打ちが聞こえた。敵わないと思ったのだろうか、女の姿が後ろへと下がる。空いていたほうの手で持っているナイフとは別の小さめのナイフを投げた。その隙に身体を捻って廊下へと駆けていくのを捉える。

「あ、待ちなさい!」

 ナイフはリュイスが叩き落としている。そのせいで、リュイスに追い掛ける時間はない。

 だから、今動けるのはイユしかいない。


 気づけばイユは、女を追って廊下を走り出していた。殆ど衝動だった。

「イユさん、危険です!」

 追いかけるイユのあとをリュイスが追ってくる気配がする。

 女は廊下を全速力で走り抜けて右へと折れ曲がる。甲板に出る気だろう。

「ちょっと、何。あんたの知り合いなわけ?」

 隣に並んだリュイスに尋ねる。


 どう動くべきか。手遅れにならないように追いかけながらも悩ましいと感じる。イユはセーレのなかでは余所者なのだ。関係ないことに首を突っ込んで、巻き込まれるのは不本意である。かといって、命を狙う相手を野放しにするのも危険過ぎる。


「前にも船に潜入されて襲われたことがあるんです」

 リーサが話していた件だろう。聞いたその日に出くわすという己の運の悪さに、辟易する。

 それにしても、女の目的が読めない。魔術師の一味で龍族を仕留めるためにやってきたのだろうかと想像する。

「そのときは逃がしたわけ?」

 壁が迫ってくるのを見て、イユは女と同じように右へ曲がる。視界の先で、甲板への扉が開いていた。

「はい。飛竜を所持しているらしくて」

「飛竜?」

「はい。飛竜に乗って、潜入してくるのです」


 女が甲板を目指していたのは、このまま飛竜に乗って逃げるつもりなのだろう。また襲ってくるつもりならば捕まえておいたほうがよいのだろうか。龍族が狙われたということは、異能者のイユもそのうち狙われるかもしれない。だが、それはセーレにいる間かどうかまでは、分からない。


 追いかけながらも、イユはまだ判断に迷っている。結論の出ないうちに、甲板へと辿り着く。扉の先から顔を出したその途端、横から何かの駆ける気配を感じた。

「待ち伏せ!」

 待っていたのが女ならばまだ対処できただろう。

 ところが、首を捻った先にあったのは炎だ。視界が真っ赤に染まる。

 慌てて体を捻り、避けようとする。顔面を舐めるように炎の玉が飛んでいき、火の粉が服に掛かった。衝撃のあまり、尻餅をつく。

 そこへ、女の襲い掛かる気配を感じた。

「イユさん!」

 声と共に、女の姿がマストまで吹き飛ばされるのを捉える。リュイスの魔法だ。

「ちょっと、火を吐くなんて聞いてないわよ!」

 ひとまずリュイスに文句を言うことにした。最もイユも飛竜の存在は知っている。比較的賢い生き物で、人の背に乗ることができる。そして、種類にもよるが火を吐くこともある。

 女の従える飛竜はまさに、火を吐く種類であるらしい。

 闇夜のなか、イユを見据える飛竜の姿を確認する。翼を広げた蜥蜴のような相貌は、悪魔の化身のようにもみえた。チラチラと延びた舌がしまい込まれる。その頬が膨らんで、息を吸っているのだと気が付いた。もう一度火を噴くつもりなのだ。

「す、すみません」

 律儀に謝るリュイスは、今はもう再び襲ってきた女と応戦している。立て直せていないイユを背に庇い、投げつけられたナイフを叩き落とすところだった。


 女は見る限りではただの人間だ。イユのような異能も、リュイスのような剣の腕も持っているようにはみえない。

 しかし、ぎらぎらとした紫の瞳は明らかに敵意を持っている。

 そして、怒涛の如くナイフを投げ続ける勢いに、女の全てをぶつけるかのような信念が垣間見える。

 くわえていえば、飛竜との連携はよくできている。何より、ナイフを叩き落とすのに精一杯なリュイスは徐々に女の誘導により、位置を変えている。そしてその位置は確実に飛竜の吐く炎の軌道に入っているのだ。

 このままでは、リュイス共々黒焦げにされてしまう。


 立ち上がったイユは狙いやすい女を優先することにした。蹴りを入れようと突き進む。

 けれど、勘が鋭いのか危機感を抱いたのか、女の動きが早かった。イユが距離を詰める前に、くるっと回って木箱の上へと飛び乗り、イユへとナイフを投げつけたのだ。

「ッ邪魔をするな!」

 ナイフはすぐに間に入ったリュイスによって叩き落されるものの、女の発言を不快に感じる。大人しく殺されろとでも言いたいのだろうか。

 文句を拳に込めて女にぶつけたいところだったが、そこで足を止めた。

 飛竜が空へと距離を取るのを見つけたからだ。炎を吐くのを諦め、次の行動に移ろうとしている。下手に手を出すとまた燃やされる。

「大丈夫でしたか」

 リュイスが隣にくる気配を感じる。リュイスの言及は、イユの格好によるものだ。上着だけでない、黄色のドレスがところどころ焦げてしまっているのである。


 リーサになんて謝ればよいのだろう。


 イユは不満たっぷりに女を睨みつけた。


 ちょうど、飛竜が女の背後へと廻るところだった。雲に隠れていた月がすっとでてきた。月光に照らされてはじめて、その女が紫の髪を腰まで垂らし、刹那のような装束を身に着けていることに気付かされる。イクシウスの人間ではないことはすぐに分かった。

「あんた、何者なわけ」

「答える必要はない!」

 ぴしゃりと言い放った女の、真っ直ぐにリュイスに向かって走ってくる様子を見て、狙いはリュイスだけなのだと察せられる。

 リュイスが迎え撃つべく前に出ようとしたところで、銃声が響いた。

 女がまたしても後方に下がる。銃弾を避けるためだろう、マストと木箱の間の影へと入り込む。あの様子では銃弾は外れたようであった。飛竜のほうも、すぐに距離をとっている。悲鳴は聞こえないから、上手くやり過ごしたのだろう。その姿はあっという間に闇夜に紛れてしまった。

 振り返ると、レパードが甲板に出てきたところだ。暗めの配色のために闇夜に溶け込んでみえる。

「おいこら、このストーカー女。また来たのか」

 ストーカー女と呼ばれた女のほうをみると、眼つきが鋭くなっていた。台詞に怒ったというより、憎しみに近い感情が剥き出されている。女の狙いはあくまで龍族なのだろうと、はっきりと感じた。

 女は激情に燃えつつも冷静に判断する理性が残っているらしい。人数の不利を悟ったのか、突然くるっと踵を返すと走り出した。その先にあるのは、墨で塗りたくったような空である。

「待ちなさい!」

 イユの早さならば追いつけるという自信があった。だから、迷っている時間はなかった。将来的に自分に身の危険が及ぶかもしれないだとか、リュイスたちに恩を売っておこうだとか考えていたわけでもなかった。

 追いかけるか追いかけないか。その二択から反射的に異能に足を込め、走り出す道を選んでしまった。

 レパードが銃で撃とうとしてやめるのが視界の端に入る。イユを巻き込む可能性があるからだろう。おかげでイユも躊躇せずに走り続けることができる。

 女がヘリへと手を伸ばすのが目に入る。そこから足を上げて乗り越えるまでは時間がかかるはずだ。

 イユの足が、地面を蹴った。

 逃さない。その意思が確信に変わる。あと少しで、女の体へと手が掛かる。


 そのときだった。船が再び傾いたのだ。

 傾いたのは、飛行岩が船体にぶつかったからである。余程大きくぶつかったのか、衝撃が大きかった。

 思わずうめき声を上げたイユは女共々体勢を崩した。全力だったのだ。意外な衝撃に対処する余裕はなかった。だから女はヘリへ、イユは地面に手をつく形になる。

 そこに銃声が聞こえてきて、焦りを感じた。巻き込まれると思った。倒れた女を逃すまいと撃つレパードが、イユの身を案じるとは思えない。何せ、一度は見捨てられて白船とともに奈落の海へ堕ちかけた身の上だ。

 銃による弾幕を少しでも避けようとして動こうとし、違うことに気付く。顔を上げた先で、飛竜がイユに向かって炎を吐こうと口を空けているのがみえたのだ。

 レパードが撃っているのは、飛竜だ。

 多少撃たれても構わないのか、飛竜がその場で炎を吐ききる。それがわかったから、イユは横に飛んで逃げた。

 立ち上がって真っ先に女の姿を探す。飛竜は危険だが、目的ははっきりしている。女を逃がすために、イユを襲ったのだ。

 女はヘリを掴んで立ち上がるところだった。避けたせいで、距離が離れてしまっている。これでは相手に逃げる隙を与えてしまう。

 あと少しなのに逃してたまるかと、その考えで頭がいっぱいになる。

「イユさん!」

「避けろ!」

 二人の声とともに飛竜が一鳴きする。

 はっとする。

 初めは飛竜だと思って上を見た。それが間違いだ。

 飛竜は知恵のある生き物だと言っていたのが頭の中で再生される。そう、あの飛竜はわざと鳴いて人の注意を惹きつけたのだ。飛竜ごときに完全に嵌められた。


 気づいたときには、ナイフがイユへとまっすぐに飛んでくる。

 時間稼ぎのためだ。そのために、武器を投げつけてきた。しかも向き直って構えて投げつけたのではない。逃げようとヘリを掴んで立ち上がった状態のままで、投げる素振りもみせずにこのナイフを放ってきたのだ。それが分かったのが、一足遅い。

 体を捻って避けようとする。避け方も、不味かったのかもしれない。


 とはいえ、擦り傷だけで済ませたのだから普通であれば及第点だ。たとえ飛竜と女を逃したとしても、暫くの間再び襲ってくるようなことがなければ、少なくともイユがいる間は安泰である。だから万事それで、良かったはずなのだ。




 ナイフを投げた女は、ヘリへと跨って空に飛び込んだそうだ。

 リュイスがイユへと駆け寄る間、レパードは女へと銃弾を叩きこんだという。結果、女は撃たれたらしい。空へと崩れ落ちていく。

 しかしレパードがヘリから身を乗り出し空を覗くと、そこには飛竜の背に跨る女の姿があったそうだ。

「逃したか……」

 悔しそうなレパードの呟きは、イユの耳にも聞こえた。





「レパード……」

 リュイスがレパードを呼ぶ声に、心臓を鷲掴みにされた。

 やめてほしいと懇願したくなる。悲痛そうな声でレパードを呼んで欲しくない。

 イユは右手で左腕を抑えている。

 まずいという言葉しか考えられない。左腕の傷は擦り傷だ。ナイフで一閃されているだけである。異能ですぐに直せる。


 そう普段なら、これでよかったのだ。気を付けていたのに、どうしてこうなってしまうのか。

 女を蹴り飛ばしてやりたくなったが、残念ながらもう女は船にいないのだ。どうせなら一緒に乗せていって欲しかった。


「どうした? 傷がひどいのか」

 腕を掴む力が増す。そういうときだけ心配そうな声をだすのは卑怯だ。

「……平気よ」

 掠れた声で返す。リュイスが、黙ってくれればいいのにと思う。


 そうすれば誤魔化せるかもしれない。傷の治療の話になっても、治せるからと言い張ればよい。上着をすぐに着替えてリーサに謝って糸と針を貰えばよい。

 そうしたら、すぐに、元通りに――――


「……烙印です」

 抱いた言葉は、『あぁ、やっぱり』だった。

 少し前にリュイスにした質問の答えが返ってきた気がする。イユの味方は、イユしかいないのだ。

「……イクシウスの国章が」

 レパードの顔が険しくなる。


 顔を覆いたくなる。見たくない、この現実を見たくない。

 けれど、烙印は、はっきりと見られてしまった。これでも、慌てて隠したのだ。

 しかし、目が合った。手で慌てて隠したその先で息を呑み衝撃的な顔をするリュイスを見てしまった。

 リュイスは心配性の人間だ。イユがナイフで斬られると、そう思ったリュイスはイユから視線が外せなかったのだろう。レパードみたいに女を逃がさないようにするという発想がなかった。だから今回はそれが仇になった。


「……何」

 レパードが近づいてくる。鋭い視線で見られたことは何度もあったが、こうして怖い顔をされたのは初めてだ。


 逃げたい。地面に座った状態で腕を抑えてこの現状を必死で耐えることしかできない自身が嫌だ。船の上でなかったら、逃げるという手もあった。ここは鳥籠と何も変わらない。籠の外は死で溢れている。


 強引に腕を掴まれ立たされる。

「その手をどけろ」

 手に力が籠る。

「どけろ!」

 怒鳴られて、思わず目を閉じる。

 大人しく手を放すと、そのまま袖を引き裂かれる。

「こいつは」

 レパードの息を呑む様子が伝わる。


 隠し通すつもりだった烙印が、見られてしまった。


「船長、復旧作業はどうにか……」

 船内からしばらく会っていなかった、黒髭の男の声が聞こえてくる。

「船長? こいつは……!」

 動揺した声が響く。それを聞いて、後ろにいたのか数人の船員たちが甲板に出てくる。


 終わった、そう思った。


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