その287 『病室にて』
「目を覚ましそうだね」
男の声が聞こえてきて、レパードは僅かに目を開けた。視界は定まらないが、映っているのは白い天井のようだ。
「君、大丈夫かい?意識はしっかりしているかい?」
体を動かそうとして、ぴくりとも動かなかった。なんとか首だけは僅かに手前に引いた。
「こ、こは」
声が掠れていて、言葉にならなかった。
「体を動かせないようだね。けれど、意識はある。リュイス、水を運んできてあげなさい」
天井しかみえないが、どうやらこの部屋には二人の人物がいるらしい。しかも、そのうちのひとりは子供のようだ。
「はい」と答えた少年の声はしっかりしてはいるが、まだ声変わりしていない。
すぐに水が運ばれてきて、レパードの唇に僅かに湿った布が充てられた。
「酷い火傷だった。それに、刺し傷が数十箇所、銃弾がわき腹から三発も出てきたときにはたまげたものだ」
男の声が続いている。
「それから、その目だ。残念だがここまではっきり斬りつけられていては、もう回復は絶望的だろう。いや、その傷で生きている時点で儲け物だな。目は諦めてくれ」
この男は医者だろうか。諦めろと言われても、何も実感は沸かなかった。この時点で、意識が再びさ迷い始めていた。
「あと羽は見てないが、背中の打撲が酷い。折れているんじゃないか?」
だから、医者のその言葉にも反応できなかった。『龍族』しかしらない話がポツリと出たことに気がつきもしなかった。
正直生きていたことさえ、もう、どうでも良かった。
「う……」
再び意識が戻ったとき、レパードは体中が訴える痛みに、思わずうめき声をあげた。
「意識が戻ったのか、全く大した男だな、君は」
言葉だけなら感心した風なのにどこか淡々とした物言いだ。
それに対し、レパードは満足に返せない。舌がうまく回らなかったのだ。
けれど、耳は動いていた。ドアをノックする音と、「失礼します」という声が聞こえてくる。
「あぁ、リュイスか。ちょうどお客さんが目を覚ましたところだよ」
お客さんが自分のことだと気が付いたレパードは、同時にリュイスと言う名前の子供が自分を拾った少年だろうと気が付く。礼を言える状態ではないため、せめて相手に手でも振ってやろうとして、それさえもできなかった。
もっとも、この場合、礼が正しいのだろうかと自問する。生きているのか死んでいるのかもよくわからないままにさ迷い続けた。けれど、結局のところ、レパードは、どうしたかったのだろう。生きたかったのか、死に急ぎたかったのか、最近では当たり前になっていたはずの答えが、すっとでてこない。
その時、手に僅かにぬくもりを感じた。先ほどの少年が、握ったのだと分かった。まともに振ることもできなかった手だが、少年はレパードの意図を感じ取ったのかもしれなかった。
はじめて、視界に少年の姿をはっきりと収める。凛とした声に似合わず、思っていた以上に幼い顔立ちをしていた。背も低いので、こうしてレパードに近づいてこない限り寝たままの態勢では殆ど見えない。
それにしても、さらさらとした翠の髪が、とても目を引いた。同じ色の瞳が、心配そうに覗き込んでいる。宝石のような瞳がとても澄んでいて、ラヴェを思い出させた。
(ラヴェは、生きているんだろうか)
ふと浮かんだ疑問が、空しかった。いつも一緒にいるはずの彼女を、レパードは、ルインは置いていった。今頃目を覚ました彼女の身に何が起きていることだろう。生きてはいるはずだ。他でもないあの土地はラヴェの故郷なのだし、レパードがいた時点でラヴェは無事だった。しかし体は無事でも、心までは分からなかった。目を覚ました彼女の嘆きと絶望を思うと、胸が痛くなる。
ラヴェは無関係のはずだと、レパードは結論づけていた。はじめから全てを知っていたら、レパードはここにはいないだろう。予定外のことをラヴェが起こしたからこそ、レパードがこうして生存できている。
「あの……、大丈夫なんでしょうか」
レパードの様子をみて心配になったらしいリュイスが、もう一人に声を掛けるべく振り仰いだ。
もう一人の男が、レパードの視界に入ってくる。こちらは銀髪の男だった。モノクルをしている。紫の瞳がくるりとレパードを見下ろした。
レパードはそこではっとする。瞳孔が縦に長かったのだ。よくよく考えれば、さきほどのリュイスという少年の瞳も、縦に長かった。それに、耳は自分と同じ『龍族』のものではなかったか。
「どうやらこの男、相当頑丈らしいからね。半年もすれば元通りだろう」
男の声に、少年はほっとした顔を浮かべている。
レパードの内心は、その様子を見ながらも疑問が渦を巻いていた。ここは地獄だろうか。そんなことまで考える。それにしてはあまりにも、優しい光景だ。しかし否定しようにも、あまりにもあり得ないことが起きている。自分と同じ『龍族』が、さも当たり前のようにこうして過ごしているはずがないのだ。
これは、あの村の続きなのだろうかと思い当たる。彼らはまたしても、一芝居を打っている。そういう予想だ。しかし、さすがにそれは突飛すぎた。わざわざレパードを取り囲んで芝居をする意味が分からない。それに、あの村は全壊したのだ。
「良かった、時間はかかるけれど治るんですね。ティルツさん、ありがとうございます」
「何、礼には及ばないよ。病人、怪我人を看るのが医者の務めだろう」
少年と男の会話が続いている。
最後に、少年が「また来ます」と挨拶をして、帰っていった。
それを見送りながらも、レパードの中で抱いた疑問が一向に解消しない。話す元気があれば真っ先に問い詰めたところだった。
「さて、天使はお帰りだが」
まるでレパードの意図を呼んだように、ティルツと呼ばれた医者の男が振り返った。
「そろそろ疑問に思う頃だろう。どうしてこんなに『龍族』がいるかとね」
全く、動けていたら、盛大に頷き返したところだ。
「さて、どうしようか」
ところがレパードの疑問を的確についたはずの医者は、そこでにやりと顔をゆがめてみせた。
「こういうとき、私はそれを教えたくなくなる」
にやにやと笑っているあたり、レパードがその疑問に答えて欲しがっていることを知っている。そのうえで敢えて嫌がらせをしているのだ。性格の悪い男だなと心の中で悪態をついておく。
「気になるだろう?そうすると人は答えを知るまで生きようと思うものだ」
ティルツはレパードに背を向けた。カルテ、だろうか。何か書き物をしている。
「存外、人は心によって生かされている。別に大したことじゃない。ただ、医者としてはこうして生きる楽しみを教えておくのも一つの助言だと思っているんだよ」
そう言いながらも口元が笑っているあたり、本人もまた、生きる楽しみを見つけて実践しているようだと思った。




