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カルタータ  作者: 希矢
間章 『そして、底から』
285/991

その285 『どん底』

 イユはもう振り返らなかった。自身の保身ぶりに嫌気がさした。それでも、イユの足は止まらない。次から次へとやってくる銃声をやり過ごしながら、街から出る道を駆けていく。

 ただ、悔しかった。あと少し早く気が付いていれば、リナも引っ張る余裕ができたかもしれない。

 それに、寂しかった。タリヤにロンにリナ。皆、あっという間に目の前からいなくなってしまった。

 雪を踏みつぶしながら、必死に走り続ける。振り返れば、背後にあった村は小さくなっていた。ただ、火の手が止まらないらしく、赤々と燃え上がっている。

 あの村に、全てを置いてきてしまったと思った。救えなかったイユにはもう、何もなくなってしまった。また一人に戻ってしまったのだと、実感する。

 前に向き直ると、ずっと先に線路が見えた。タリヤが話していたレイヴィートの話を思い出す。あそこには飛行船があると言っていた。そうすればここから逃げられる、安全な地へと行けるとも。

 イユは、わが身可愛さで大切なものを失ってしまった。だから、四人仲良く旅をすることもできない。それならば、残すは一つ、レイヴィートへ行くことしか思いつかない。

 雪道をとぼとぼと歩き続ける。日が昇り、そして沈んだ。雪が降りつけ、星がイユを見下ろす。空を駆ける鳥たちが、イユを追い抜かして消えていった。永遠と思われる日々を歩き続けながら、イユはふと気が付いた。きっと四人で旅をすること自体が夢の夢、錯覚だったのだと。

 何故なら、あの暖かさがイユの手にはもう微塵も残っていなかった。指は再び青くなっている。

 きっともう、暖まることはできないのだと、降りつける吹雪がそう、イユに伝えてくる。夢だと思った方が、ずっと楽だと囁いてくる。

 そもそも、もともとイユは一人だった。それがこれからも続くだけのことだ。あの一瞬の温もりはなかったことにしてしまおう。失うのが嫌なら、忘れてしまえばいいのだ。そうしたら、苦しくなくなる。

(……できないわよ)

 零れた思いが、口の中で紡がれた。

 リナが名前をくれた。タリヤが「リナたちを守れ」と頼んだ。ロンが、ごみを漁って食べ物を持ってきてくれた。

 夢だったことになんて、できなかった。彼らがいた痕跡を心の中から消してしまうのは、あまりにも辛かった。彼らの存在があったから、イユの心は救われたのだ。だから、背負うしかなかった。

 心のどこかが、寂しいと泣いている。けれど、それに気づかないふりをした。どれだけ願ったところで、この先ずっと一人だ。あんな優しい『異能者』たちに出会う偶然に巡り合えることなど、きっともうない。それが分かっていた。

 だから、ただ一人雪道を進む。降りつける吹雪のなか、立ち上がり、延々と歩いていく。それでいいのだ。それがイユの選んだ道なのだ。一人が辛いなら、心に空いた穴を無視できるほどに、一人きりで生きていけるように、ただ強くなればいい。そうやって、生き続ければよいのだ。

 けれど、その生に、果たして何の意味があるのあろう。そんな疑問が頭をちらついて、イユの足が止まった。

 延々と安全と言われるありもしない土地を求めて歩き続ける、その道の先が見えてしまった気がした。朽ちるまで歩き続けるしかないのなら、そこにどんな意味があるのか、イユにはもう見えなかった。いつか倒れるなら、今倒れても同じことだ。ただ、『魔術師』たちに怯えて逃げ惑う時間が長いか短いかの違いなのだ。

 或いはこれが贖罪なのだろうか。イユは人を殺めた。仲間を見捨てた。その罪がこれだとしたら、きっと何かの間違いだ。何故ならイユは生き延びようとすればするほど、多くを手にかけている。馬車に村に、大勢が犠牲になった。今度は汽車に乗り込もうとしているが、そこでも同じことが起きるかもしれない。それでは、贖罪にならない。ずっと、繰り返しだ。イユが捕まらない間、イユの手にかかる被害者が増えるだけだ。それならば、生きている必要はない。イユはただ周りに死を撒き散らす化け物であるから。

 そのとき、イユの脳裏に浮かんだのは、約束だった。

 そう、確かに、約束は残っていた。それがある限り、生きようと決心している。

 けれど、その道中に意味があるかどうかは分からないままだった。生きることを約束させた者は、イユに生きて何をしてほしかったのだろう。イユの、命の意義とは何なのだろうか。そこに、リナたちに報いる何かは果たしてあるのだろうか。

 その答えに手を伸ばしても、何も掴めず空を切った。靄がかかったようだった。背負ってしまった約束に生かされて進み続けたところで、結局何もない気がした。けれど、今イユには生きることを強いる何かがあって、それに反対ができなかった。

 雪道を歩いた先で、ふいに景色が広がった。寒々とした空がイユの前にあった。いつの間にか、高い場所に出ていたのだ。見渡す先に、山々が聳えている。どの山にも雪が積もっていた。

 その中に一つ、水色の突起物が見えた。目を凝らしたイユは、はっきりとそれが山でないことを悟る。透明感のある独特のモニュメントは、今イユの鞄の中に眠っている飛行石の欠片と同じ形状をしていた。誰にも教えられたわけでもないのに、そこに都があると直感した。レイヴィート。それがあの場所の名前だとも。

 汽笛の音が耳に届く。振り返れば、視界の下方で黒い巨体が映った。その巨体から、もくもくと何かが吐き出されている。一面の銀景色を黒絵の具が黙々と描いているかのようだ。それがイユの乏しい想像に浮かんだ、唯一の感想だった。その絵の具は、冷気と溶け合い、混ざって消えていく。

 やがて、鈍いブレーキ音がした。イユの近くで、まるで待っていたかのように巨体が静止する。何故止まったのかは察しがついた。雪が進路を邪魔していた。イユがいた場所から、雪が落ちたのだろう。この機会を逃さない手はなかった。

 すぐに雪山を滑り、巨体へと飛び込んだ。初めてみた巨体だったのに、それが皆の言っていた汽車なのだとすぐに分かった。それほどに異様で、圧巻された。

 汽車に乗り込みながらも、震える自身を叱咤した。

 自分の生きる意味がわからなくても、こうして動き続けている。そんな訳の分からない自分を抱えながら、自分の心に湧き上がる感情をただ噛みしめた。これだけは、はっきりと言えた。

 心細かった。寂しかった。延々と続く道を、一人で歩き続けたくはなかった。それなのに、生きるために全てを失い続けなくてはならなかったのだ。それがたまらなく嫌だった。だから、一人でも寂しくないように、生きていられるように、強くあろうとした。


 そして、それは、現在でも変わらない。変わったのは、イユを動かす呪いがなくなったこと。強くあろうとしたはずの心が、再び得たセーレという名の温もりに飢えてしまったことだけだ。そうして、光にすがった獣は、いつかの間違いを再び起こしてしまった。砂漠の下で、あるはずのない馬車の音が聞こえてくる。

『きっと、僕らが信心深いのは、僕らの命が儚いから、なのだと思います』

 何故だろう。ふと、リュイスの言葉が甦った。

『人の命が儚いほど、その命に意義を持ちたくなるものです。僕らがそこに在る、生きる意味が欲しいんです』

 生きる意味、その言葉を探したとき、イユの前には何も残っていなかった。

 ただ、目の前にあったもの。それは、絶望だった。


「嘘だろ……」

 レパードの乾いた声に、意識がはっきりと戻る。

 今、イユたちの前には、赤々と燃える炎があった。タリヤのときと同じだ、とそんなことを思う。

 けれど、燃えているのは村ではなく、飛行船だ。甲板にも火の手が上がり、手すりの一つが崩れ落ちた。見張り台に飾られたギルドの紋章旗にまで、火が燃え移っていく。

 また、失ってしまった。

 ブライトの不気味な宣言は本当だった。彼女はセーレについて嘘をついていなかった。

 確かにセーレは今、イユの前からなくなろうとしている。

 繋がれた手が、解けた。

「待ってください!正気ですか!」

 ワイズの静止の声が遠くで聞こえた。レパードがイユを置いて、燃える船内に駆け込んでいく。船員たちの名前を順に呼ぶ、レパードの声は痛々しかった。

 その背を追って、ワイズが駆け込んでいく。

 イユは膝から崩れ落ちた。

 気づかされた。イユはまだ、ブライトを心のどこかで信じていた。ブライトなら、セーレを悪いようにはしないと思っていた。大きな間違いだった。この思いは、刺された杭の跡に過ぎないことに気付かされた。ブライトは、セーレを葬った。そして、イユたちは多くを失った。

 一所懸命作っていた心の防波堤が、ひび割れて崩れていく。

 燃えあがる炎が、全てを焼き尽くしていく。大切なものが全て、目の前でなくなっていく。それが、自分のせいなのだろうと、ぼんやりと思った。間違ったのは、ブライトに暗示をかけられたときだ。あれが発端で、イユはセーレを失った。もともとぼろぼろだった心に、二回目はきつかった。

 ぽつんと砂の上で崩れ落ちるイユを、夕暮れの太陽が見下ろしている。

 レパードの手の感触は、消えてしまった。イユはまた、ひとりぼっちだ。

 そう自覚したとき、イユのなかで何かが折れる音がした。それに合わせて、ぽとんと、イユの首に掛かっていた、お守りが地面に落ちた。きっと、もともと脆かったのだろう。袋に描かれた天使の羽根の絵柄が、イユを見上げている。ジェイクが縛ってくれた口から、ペンダントの欠片が零れ落ちていった。

 飛行船を燃やす炎を煽る風が、イユの元にも吹きつけた。その風は、ペンダントの欠片を、一つ残らず、攫っていった。

 

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