その283 『どうしてこうなるのか』
どうして、こんなことになってしまったのか。
タリヤの声に従って、イユはリナの手を引っ張った。炎が背後で揺らめいている。タリヤが自警団の前に出現させた異能の力は、巨大だった。
どうして、こんなことになってしまうのか。
何度も自問自答する。こんな現実、受け入れたくはなかった。
「イユおねぇちゃん、待って!タリヤが、タリヤが……!」
引っ張る手が、懸命に戻ろうと抵抗する。けれど、イユの手の力には勝てない。顔をくしゃくしゃに歪めたリナの願いを、叶えるわけにはいかなかった。
タリヤは撃たれながらも、炎でリナたちを守ってみせた。そして、三人に逃げろと言った。イユは自警団相手にどうすることもできなかった。とにかく、二人を連れて逃げるしかなかった。
先程までの出来事を頭のなかで繰り返し噛みしめている自身に気付く。もう、笑うしかなかった。
どうすることもできなかったなど、ただの言い訳だ。動こうと思えば、いつでも動けた。タリヤがリナを守ろうと走ったとき、イユであれば自警団に向かっていくこともできたはずだ。銃口がイユに向いても、避けられる可能性はあった。少なくともあの状況では、一同の中でイユが最も速く走ることができた。そうすれば、年長者であるイユが皆の壁になれただろう。けれど、出来なかった。そんなことをしたら、イユが死んでしまう。イユは、生きなければならなかったのだ。それにもう、後悔したところで起きてしまったことは消せなかった。
銃声が響いたとき、タリヤの体は炎に包まれた。異能による暴発だ。
タリヤが叫んだ言葉は、リナたちを守ろうとするものでも自警団を牽制するものでもなかった。
ただ、「クソっ!」とだけ。それを、何度も詰った。
この救いのない世界へか、自身の無力感か。きっと、全てだろう。同じ立場になり得た、なるべきだったイユにはわかる気がした。悔しかったのだ。本当なら、皆で幸せになりたかった。叶わなくても、せめてこの場を全員で上手く凌ぎたかった。それが無理であれば、子供らしく誰かに頼りたかった。自警団の人々が、子供相手に同情し銃を向けなければ、見逃がしてくれれば、それが良かった。けれど、どの望みも叶わない。何にも頼れない。自分がいくら頑張ってもたどり着けない。
絶望、痛み、恐怖、孤独、怨み。あらゆる感情を抱えた力は、本人を巻き込んで飛び散った。
次から次へと火の手が上がっていく。イユたちはその中を掻き立てられるように、走るしかなかった。
唇から血の味がした。先ほどまで、皆で街を出て旅をする話をしていたはずなのに、たった数分後にその未来は潰えてしまった。そう思うと、急に世界が変わってしまったようだった。あの幸せだった時間は、もう二度とやって来ないのだ。
滲んだ視界の端で、飛竜の姿に化けたロンが飛んでいるのが映った。飛竜の目に、涙が浮かんでいる。それが、風に吹かれて飛ばされて、炎の中へと引きずりこまれていった。
銃声と男たちの声が止まない。火の爆ぜる音が、街を包むように大きく広がっていく。
その時、視界の端にロンと重なって映った、鈍色の何かが見えた。
はっとして振り返ったイユの視界に、飛竜の羽を突き抜ける弾丸が入った。
あっと声を挙げる間もなく、ロンが地面に追突していく。本来の姿に戻ろうとしてその姿が揺らめいている。けれど、失敗したのだろう、下半身だけが飛竜の姿のまま、冷たい床へと叩きつけられる。しかも速度が出すぎていたせいで、一回地面に擦っただけではすまなかった。勢いで浮いた体が再び地面へ。肌を擦りきらせて、再び、雪の掃かれた大地へと。そうして、とうとう崩れ落ちた。
「ロン!」
リナの叫び声が聞こえる。
ロンは背中から血を流していた。顔が嘘のように真っ青だった。意識はもう、ないようだった。
すぐ後方で、自警団が銃を構えている。それどころか、右手、ロンが走っていた方からも自警団が流れ込んでくる。男たちの手には銃が握られていた。
そのうちの、一人が引き金を引く。その僅かな音すらもイユの耳に届いた。
ロンは、もう助からない。ここから走ったところで、間に合わない。それどころか、このままではイユたちも危ない。一瞬のうちに、そう頭のなかで計算していた。
「待って、ロンを助けなきゃ!イユおねぇちゃん!」
叫ぶリナを引っ張って、イユは走り続ける。泣きじゃくるリナを引きずるのは、これで二回目だ。必死の声が、イユを揺さぶる。
何故、見捨てた。どうして、助からないと決めつけた。心が叫んだ。イユは戦の素人だ。だから、イユの下した判断は間違いかもしれない。それでも、一瞬のうちの計算に、判断が、ロンをも見捨てさせたのだ。
「離して、いやだ、ロン!ロン!」
何度も叫ぶリナの声に覆いかぶさるように、銃声が轟いた。
連続で撃たれるその音は、自分たちに向けられたものではない。先程まで、ロンがいた場所から聞こえてきた。
もう、ロンも生きてはいない。残ったのは、二人だけだ。
ぐっと、奥歯を噛み締めた。やりきれなかった。イユたちはただ逃げているだけなのに、どうして彼らはイユたちが消えるまで追いかけようとしてくるのだろう。そう疑問が沸くと同時に、答えも出ていた。彼らの顔は一様に必死だった。銃を持って、撃っているのは確かに自警団の方なのに、まるで撃たれたのが自分のように、恐怖している。彼らを縛る恐怖を生んだのは、タリヤが見せつけた異能の力かもしれない。けれどその以前から、彼らは怯えていた。だからこそ、こんなことになったのだから。
一体、どちらが先なのだろう。『異能者』が人を傷つけたのが先か、『異能者』が人を傷つけると思って襲ったのが先か。『魔術師』がここにいれば、きっと全部そいつのせいにできた。けれど、この村にはいないのか、ただ隠れているだけなのか、ここに『魔術師』の存在はきかない。だから、罪のない子供たちを断罪しようとする彼らの声に、特定の存在を恨むということができなかった。
行き場のない怒りは、ただ自分に向く。同時に、絶たれた望みも、全て。助けたかった。それなのに、どうしてこうなるのか。
聞こえてくる足音に、リナを思いっきり引っ張って、わき道に反れる。これで、集団はやり過ごせるはずだった。
狭い道を走りながら、ロンの姿を思い浮かべる。おっとりとしたロンの顔が、イユを見つめ返した。細い目が、イユに笑いかけようとして更に細くなる。それだけで心の中がかき乱された。
「イユおねぇちゃん!」
危険を告げる、リナの声がする。感傷に浸る時間も、イユたちには与えられなかった。




