その282 『燃え上がる』
うだるような暑さがここにあった。日が昇りきってしまい、寒かった砂漠が急に熱を溜め込みだしたのだ。
盛り上がった山脈に、台地があるおかげで、影がぽつぽつとできている。けれど、足を踏む砂は太陽の熱まで反射し、風が熱をかき混ぜる。滝のような汗が、ねちねちしていて気持ち悪い。
セーレは台地と台地の狭間にあった。方角は記憶頼りになり、イユが先頭を歩くことになった。だが、素人の進む方角など、きっとあてにならない。
今からでもその場で休んで星が出るまで待つ手もあった。しかし、この砂漠で休んでも暑さでやられるだけなのはわかりきっている。それならせめて少しでも先に進んでおきたかった。休むなら僅かでも熱の少ない場所が良い。そんな場所があるのかも今ここにいると疑いたくなるほどだが、少なくともセーレの周辺はもう少し涼しかったはずだ。
イユは重い足を進めた。砂が靴の中にまではいってきて、ただでさえ重い足が更に重い。それでも、セーレは近いはずだった。今いる地点から、シェイレスタの都は見えている。きっともうすぐだ。あと少しで、到達する。
願った先で、イユは何かの焦げる匂いを嗅いだ。その匂いに、記憶が刺激される――――
銃声が、村のなかで轟いた。
驚いたリナの悲鳴が、響き渡る。
はっとして振り返ったイユは、見た。自警団の男たちが、イユたちのいるごみ捨て場を取り囲んでいる。話に夢中になって、忍び寄る彼らに気づかなかったのだ。
「て、手をあげろ!」
一番近くにいた男が拳銃を向けて、イユたちに怒鳴った。帽子を目深に被っているせいで、男の顔は見えない。ただ、その声やがっしりとした体格から考えるに、中年の男だ。この男が先ほどの威嚇射撃をしたようであった。
イユたち四人は顔を互いに見合わせた。見つかってしまった、皆の顔が、そう告げていた。どうしよう、そう言いたげなリナの表情は崩れかけて紫紺の瞳から今にも雫が零れそうだ。絶望の訪れを予感したのか、ロンがぶるりと体を震わせた。
そんな中でも、タリヤは動じなかった。彼は子供たちを安心させるように、はっきりと頷いた。そして、言われた通り両手を上げて、一歩進み出る。
「動くな!」
男が銃口をタリヤに向ける。その必死な声と動きには、余裕がない。止まらないと、本当に撃たれかねない。彼ら自身の鬼気迫る思いが、イユたちへの殺意を向けさせている。
タリヤが、足を止めた。
男は、それでも銃口を下ろさない。その手が、細かく震えている。
イユは、はっとした。初めて駅員の男に会ったとき、あのときの男の手もああして震えていた。一緒だった。『異能者』と気づいていたあの男と全く同じ反応だった。
「お前たちは、『異能者』か!」
ほぼ断定するような叫び方で、男が問いを投げ掛けた。
その問いかけに、イユたちは黙りこくる。
ここで肯定しようものなら、すぐに捕まることは目に見えていた。けれど、安易に違うとも答えにくい。下手な嘘は、逆に目の前の男を逆上させてしまうような気がしたのだ。
そんな沈黙のなか、ざわめきが聞こえた。一同を代表して叫んでいる男から少し離れたところで、面長の男が丸顔の男に話しかけている。
「な、なぁ、あの子、例の博士の娘じゃないか」
丸顔の男が、それを受けて気づいた顔をする。
「ほんとうだ、間違いない。あの死んだ博士の娘だ」
その言葉を聞いたリナの顔が、凍りついた。
代表の男が、リナに銃口を向けた。
「お父さんは、あなたたちが殺したんじゃない!」
リナが無意識に前に出そうになって、ロンが慌てて引き留める。二人とも両手を下ろしてしまったが、それどころではない様子だ。
「つまり、少なくともその娘は『異能者』で確定だ!」
リナの叫びに敵意を感じたせいか、男の怯えははっきりと矛先を向いた。男の指が動く。引き金が、ゆっくりと引かれていく。
リナが、撃たれる。その衝撃が、イユを恐怖させた。
動き出せないでいるイユを含めた誰よりも、タリヤの反応が早かった。
「逃げろ!」
タリヤがリナを庇おうと、男に背を向ける。真っ先にリナに向かって走ったのは、彼女を襲う銃弾から庇おうとしたのだろう。
その様子を見ることしかできなかったイユは、彼の背後の銃口が火を噴く瞬間を捉えた。
銃声が、朝焼けの空に木霊した。
「タリヤ!」
タリヤの体が、崩れていく。リナを庇おうと走った姿勢から、地面を転がるように、倒れていく。
タリヤの表情が、痛みに歪んでいる。憎々しげにどこかを睨み付け、そして――、
倒れる瞬間、くるりとその体を、銃を撃った男の方へと向けた。
「いっけぇ!」
凶弾を放ち勝ち誇ったはずの男の表情が、驚愕に変わる。
次の瞬間男の目の前で、真っ赤な炎が立ち昇った。
男は、すぐに炎に飲み込まれたのだろう。悲鳴が、村中に響き渡る。それに混じって、「『異能者』だ!殺せ!」という声が聞こえてきた。
「タリヤ、タリヤ!」
そんな状況など、無視したかった。リナがタリヤに近づいて、目を真っ赤に張らして泣いている。
「待って、今戻すから」
脇腹を抑えたタリヤが、痛そうな顔を崩さないままに首を横に振った。
「な、んで」
タリヤの態度が分からない。そんなリナに、タリヤが続ける。
「そんな時間はねぇよ」
リナに言ってもきかないと思ったのだろう、タリヤの視線がイユに移った。
「リナたちを頼む!」
タリヤの顔が、滲んで見えた。
「そんな、そんなの嫌だよぉ!」
ロンも泣き叫んでいる。
できれば、そっち側になりたかった。けれど、イユは生きなければならなかった。そのうえ、今タリヤに任されてしまった。
『年長者は、俺じゃないだろ?』
数刻前に語ったタリヤの言葉が、頭のなかで再生される。タリヤは、確かにリナたちより少し大人っぽいが、それでもイユからみたらまだ子供だ。銃弾を受けながらも真っ直ぐにやることを見据えているなんて、不相応にも程がある。本当なら、あの時みたいに不安そうな顔をイユに向けているだけでいいのだ。彼はもう少し甘えてもよいのだ。
(本当に、馬鹿)
溜め込んだ思いが、言葉になって心のなかで響いた。
普通は年長者が皆の壁になる役目を負うべきだろう。けれど、それをタリヤは引き受けてしまった。そうなってしまったらもう、イユにはタリヤの願いを叶えることしか残っていない。
火だるまになった男への対処に慌てている自警団も、徐々に立ち直りつつある。時間がなかった。
タリヤの異能の力が、再び炸裂する。たじろぐ声に、イユの足は前へと踏み出した。
「イユおねぇちゃん?!いやだ、嘘でしょ」
リナの手を引っ張ると、当然のように抵抗にあった。
けれど、イユの力を前に、リナは無力だ。痛そうにしながらも、引きずられる。
「え、えっ……」
動揺したロンに、イユは一喝する。
「いいから、逃げるの!」
イユがロンを追い越すようにして走れば、ロンも慌てたようにイユを追おうとする。
「あいつらが逃げるぞ!」
「村に逃げられると危険だ、追いかけろ!」
炎に呑まれながらも、立ち直ったのだろう。自警団の誰かの声が響き、答えるように銃声が轟き始める。
「いやだ、いやだ、いやだよ!タリヤぁ!」
泣きじゃくるリナの目の前で、炎が広がっていく。
それでも見えてしまった。銃弾の一つがタリヤを再び撃ち抜いた、その瞬間を。
タリヤが訴えるように、何かを叫んでいる。繰り返し、繰り返し、涙の混じったその声で。
それが、その言葉が、イユの耳にも届いた。
次の瞬間、タリヤを包み込むようにして、炎が立ち昇った。炎に巻き込まれた者たちの悲鳴が上がる。熱気がイユたちがいるところまで、押し寄せる。
眩しい炎の光を背に感じ、イユは歯を食いしばった。
これは、暴発だと気がついた。こうなったら、タリヤはもう助からない。一緒に炎に呑まれてしまったはずだ。
本当は助けにいきたかった。見捨てたくなかった。イユが代わるべきだった。
それでも、イユは、足を止めてはいけない。前を見据えるしかなかった。




