その281 『終わりに向かって』
「大変、大変!タリヤ、どうしよう!」
リナに引っ張られるようにして、イユも走っている。長い距離を全力で駆けているので、リナの息づかいが荒い。彼女に引っ張られる関係で、視界が揺れ続けている。そんな乱れた視界の先、ごみ捨て場で、タリヤとロンが待っていた。
「どうしたんだよ、そんな血相変えて」
「お家が見つかっちゃった!」
タリヤたちの顔から朱が消えた。
あの家にはいろいろなものが揃っていた。何より風を通さなかった。子供たちが雪の中を生き残るには、必要な場所だった。
「なんでばれたんだ?」
「わかんない。急に自警団の人たちがやってきたの」
きっと、ごみ捨て場を漁りにいくイユたちを大人の誰かが見つけて、通報したのだろう。子供がやっていく方角から、空き家が怪しいと思われた。ずっと暮らしていたら、いつか見つかる。それは少し考えればわかることだった。
「どうしよう、タリヤ?」
ロンが不安そうにタリヤに意見を求めている。
「とりあえず、どこか見つけるしかないだろ」
この寒さに、外で寝るのは厳しい。たとえ、タリヤの力で火を灯したとしても限界はある。そう、分かっている顔だった。
「とにかく、それっぽい場所を手分けして探すんだ」
タリヤの言葉に不安そうな顔で見上げるのは、リナとロンだ。
二人とも、知っている。村のなかは言うほど、広くない。普段からごみを漁っているから、大体の場所は把握できている。そのなかで、あの空き家の代わりになりそうなものは、ない。
「最悪風避けになればいい。潜れる場所とか、なんでもいいから探すんだ」
タリヤも分かっているのだろう。二人の表情をみて、そう付け足した。
渋々頷いた二人は、すぐに走っていく。ロンは、上空から探すつもりなのか、白い小鳥へと変身して、家々の屋根の間を縫っていった。リナの姿は、もうない。
同じように走り出そうとしたイユは、タリヤに呼び止められた。
「ちょっと、いいか?」
振り返ったイユは、はっとする。タリヤの顔色がよくない。彼の瞳は、不安に揺れていた。
「俺に何かあったときは、リナたちを守ってやれよな」
「タリヤ?」
どこか決心した様子が、イユの心をざわめかせる。こうして、願いを託すのはやめてほしかった。タリヤまでどこかに消えてしまう気がした。
「年長者は、俺じゃないだろ?」
それだけ言うと、タリヤはイユから視線をはずして、通路の先に消えた。
一人取り残されたイユは、暫く突っ立っていた。
寒いなと思った。折角溶けてきた凍った心のどこかが、これから起きることを予感して震えていた。
イユはぎゅっと、手を握る。タリヤはきっと、心細いのだろう。リナとロンを前に弱音は吐かない。けれど、家がなくなったことは、彼を不安にさせた。だから、イユにあんなことを言ったのだ。イユまでその空気に呑まれるわけにはいかない。
イユは足を動かした。このまま突っ立っていたら、再び凍ってしまいそうだった。
一行は奔走した。街のなかでなるべくばれないようにこっそりと歩きながら、暖の取れそうな場所がないか調べた。けれど、やはり空き家はほかにない。風避けになりそうな場所と言われても、それらしい場所は全く見つからない。まるで、イユたちが探すことを知っていて、あらかじめ村の人々が風避けになりそうなものを撤去したのかと思うほどだ。
勾配の激しい屋根の家から、雪が落ちて道に積もった。その雪を踏み分けた先に、村の中央にあたる広場が見える。だだっ広いだけのそこは、『異能者』が身を隠せる場所でもなければ、風避けになる場所でもない。ただ、人だかりがいつもより多い気がした。自警団を名乗る男たち、だろうか。先ほども歩き回っているのを見つけたが、空き家の件があったせいか、今日は心なしか人数が多かった。
翻したイユは、すぐに隣の家にできた影へと身を潜ませる。隣の家から見える景色も同じだった。今イユが紛れている家の影自体はどうだろう。考えた矢先に、冷たい風が吹いてイユの首の回りを撫でていった。どのみち、こんな家の近くに子供が複数人いたら、家の持ち主に絶対にばれる。ここはないだろう。
しかし、これで、行けるところはおおかた見て回ってしまった。もう、戻るしかない。
ごみ捨て場に戻ると、そこには既にロンとリナがいた。少し遅れて、タリヤが駆け込んでくる。
「どうだった?」
再び合流した四人は、互いに首を横に振った。
「排水溝とかも見てみたんだけど、雪があるぐらいでとてもでないけど無理そう」
リナの言葉に、ロンも頷く。
「僕も、家の屋根裏とか空いてないか見てきたんだけど、厳しいと思う」
暖炉から家に侵入することも考えたそうだが、隠れられそうではないという。
「手詰まりね」
苦々しい顔をする四人は、しかし呆然としているしかない。
「どうしよう、夜が更けてきちゃったよぉ」
ぶるりと、ロンが体を震わせた。
「……こうなりゃ、汽車に乗るしかねぇ」
タリヤの提案に、一同が顔を見合わせた。
「え、チケットは1枚しかないよ?」
リナの言葉に、タリヤは頷く。
「分かっている。残りはこれから調達するしかない」
「調達って、まさか盗むつもりじゃ……」
恐る恐る聞くロンに、タリヤは再び頷いた。
「それしかねぇだろ。こんな雪だらけの場所じゃいつか絶対凍死しちまう。危険でも行くしかない」
タリヤの言葉に息を呑んだリナに代わって、ロンが口を開く。
「行くって、チケットがあるのって……」
「あぁ、ホームだよ」
タリヤのはっきりとした物言いに、「無理だよ!」とロンが叫んだ。
「あそこは『異能者』について厳重にチェックしているって前に言っていたじゃないか。そんなところに入り込んだって、すぐに捕まっちゃうよぉ」
「じゃあ、ここで凍死するのを待っていろっていうのかよ!」
強い口調のタリヤに、リナもロンも黙り込む。
暫くの沈黙。こうして、口論している間にも、だんだん冷気が強くなってきた。
「そこまでは言わないけれど、危険なのは間違いないわ」
イユの言葉に、リナとロンが頷いた。
タリヤは、「分かっている」と頷く。
「けど、それしかねぇんだ」
「はじめから汽車に乗り込むのはだめなの?」
ロンがおずおずと質問する。
「ホームが通れないなら、チケットなんて無視しちゃえばいいのに」
最もな言い分だと思ったが、リナがそれに不本意そうに否定をいれた。
「無理だと思う。定期的に検閲が入るんだってお父さんが言ってた」
「検閲?」
首をかしげるロンに、リナが補足する。
「チケットを持っているかチェックするんだって。少しでも怪しいと捕まっちゃうって。ロンなら鼠になって隠れられるかもだけど、私とタリヤじゃどこに隠れていればいいかも分からないのに危険だよ」
汽車の内部は、子供たちにも未知の領域だ。ただ知識として兵士が大勢いるということだけを知っている。確かに、その知識だけで汽車という狭い空間に逃げ込むのは、無謀に思えた。
ロンが自分だけ隠れられると聞いて、ぶるりと体を震わせた。
「ダメ、みんなと一緒じゃなきゃいやだよ。それなら僕が大きい生き物になって、皆を運ぶ」
「運ぶってどこに」
「だから、レイヴィート。汽車が行けるなら、あれぐらい速い生き物になればいいんだよね?」
ロンの言葉は、恐らく思いつきだったが、それは名案のような気がした。それなら、危険な汽車を使わなくてすむ。
そこを、タリヤが首を横に振った。
「いくらお前でもずっとは運べないだろ。それまでの食べ物とかどうするんだよ」
「なるべく、食べ物の残りを集めてからいけばいいよ!戻しちゃうと大きくなるけど、食べかすのままなら場所を取りにくいし」
リナの提案に、ロンが、「それだ!」と声を張り上げる。
タリヤが頭を抱えた。
「食べ物はどうにかなっても、寝る場所はどうするんだよ。汽車でもここからだと数日はかかる。問題は残ったままだぞ」
「そ、それは。僕が暖かい生き物になればいいんだよ。村じゃ目立つけれど、人のいないところだったらどうにかできるよ」
ロンの言葉に一理あると思ったのか、タリヤが虚をつかれた顔をした。
「ずっとは、無理だ。ロンに負担がかかりすぎる。けれど、レイヴィートまでならっていうなら、ロンが休んでいる間は俺が炎をお起し続ければいいんだし、確かに……」
ありだ。そう呟く、タリヤの言葉が掠れていた。
絶望の状況から、希望が射した瞬間だった。子供たちの存在が心強かった。三人の力があれば大抵のことはどうにかなる。タリヤが暖を取り、ロンが暖かい生き物になって皆を運び、リナが食べ物の残りで食糧を作る。イユも雪原でなら役立てることがある。狼に襲われてもイユであれば追い返せるし、森のあるところなら植物を引きちぎって食いつなぐこともできる。皆で力を合わせれば助け合えるかもしれない。
「お前ら」
涙ぐむ姿を見られまいと、タリヤが顔を上げた。腕で涙を拭っている。
そんな様子を見て、リナとロンが互いに顔を合わせて、にこりと笑いあった。
二人とも、タリヤの不安に勘づいていたのだ。だから、タリヤを慰められたことが嬉しかったのだろう。彼らの笑みに、イユもつられて笑った。
涙を拭い終わったタリヤが、決心したように声を絞り出す。
「そうだ、な。それが、一番――」
そのとき、「見つけたぞ!」という声とともに、銃声が鳴り響いた。




