その279 『埋まった航海室』
唖然としたイユたちの背後から、ワイズの声がかかった。
「そうでしょうね。あり得なくはないことです」
先ほどまで驚いていたのはワイズもだっただろうに、少年の顔からはもうその表情が消えている。
「イクシウスと同じですよ」
言われて、イユは気が付いた。他でもない、イクシウスの飛行船は発掘されたのだ。それならば、同じ飛行船がここで発掘されても何もおかしいことはない。
しかし、イユは、はやる胸を抑えた。イクシウスの飛行船も、そうそう何隻もあるものではない。イユたちは常人が一生かかっては見つけられないものを、目にしてしまっている。
誘われるように、舵の前に立った三人は、互いに顔を見回した。
「同じ石、よね」
近づいた三人を前に点滅する石には、間違いなく何かがある。実際に一回目は、窓ガラスが開いた。それならば二回目――今回の石も、何かが起きることだろう。
「触れてもらってもいいですか」
ワイズからイユに指示がいく。
この年の少年はこういうスイッチに触れるのは、好きそうだ。だから、自分でやってもよいのにと思った。
しかし、その赤みがかかった鳶色の瞳は、石を捉えたまま微動だにしない。
このとき、イユに、ワイズの真意は掴みきれなかった。
「分かったわ」
けれども、イユは素直にその言葉に従った。危険かもしれないという可能性も視野には入れていた。しかしそれよりも、好奇心が勝った。
舵に埋め込められた石が、青く光る。
イユは目を見張った。舵のある場所から文字が浮かんでくる。その蒼い文字を見て、すぐに気が付いた。これは、古代語だ。
「『資格ある者に、委ねる』?」
読み上げたイユに、驚いたようにレパードが視線を向けてくる。それに遅れて、「あぁそういえば言っていなかった」と気が付いた。レパードも読めない字を、イユが読めてしまうのは違和感しかないだろう。
説明しようと口を開いたイユより先に、ワイズが発言する。
「触れた人間にしか見えない何かがあるようですね」
その言葉に、イユはきょとんとした。
「え、見えていないの?これが?」
こんなに、ありありと文字が浮かんでいるのに、二人には見えていないというのが信じられない。
しかし、ワイズもレパードもこくんと頷き返してくる。そこに、冗談のような雰囲気は感じられない。
「それで、『資格ある者』とは誰を指すのでしょう?」
イユは再び、舵に向き直った。
文字には続きがある。それを最後まで読み上げる。
「『汝らに、真の海の加護があらんことを』。……これ以外には、書いていないわ」
イユの言葉に、ワイズが顎を手に添えて考えるような仕草をする。
「海の加護……。あの、奈落の海で、加護ですか」
ワイズが引っかかったのは、そこらしい。イユとしても気になるなと思った。『真』という言い方など、まるで今の奈落の海が、『嘘』であると言わんばかりだ。
「命は海に還るものだ。きっと、海獣の住む海ではなく、命の還り先を指しているんだろ」
レパードの言葉に、きょとんとした。暫くして、合点がいく。
レパードたちギルドの人間は、空葬を重んじている。命は空に還り、やがて奈落の海へとたどり着き、そして、いつか再び生まれ変わる、だっただろうか。そんなことをリュイスに教わった覚えがある。意外と、ギルドの人間は信心深いのだ。
「きっと、僕らが信心深いのは、僕らの命が儚いから、なのだと思います」
イユが、どうしてレパードたちが、ああもありもしない話に縋るのかと聞いたとき、リュイスはそう答えた。
「人の命が儚いほど、その命に意義を持ちたくなるものです。僕らがそこに在る、生きる意味が欲しいんです」
「生きる意味?」
奈落の海に積み荷を落とすことに反対されたときに、気になって聞いた。だから、そんな深い意味で聞いたつもりはなかった。けれど、リュイスは、いつも真摯に返答する。
「はい。たとえ何も成し遂げられなかったとしても、無残に死んでしまったとしても、そこにその人が生きた意味はあったと思いたいものですから」
それを聞いて、彼らは皆心のどこかに不安を抱えているのだなと思った。誰かの死に怯え、彼らが生きて残したものを探している。或いは、自分自身の命そのものに不安を感じているのかもしれない。
何だ一緒なんだとその時は思わなかった。イユにはブライトがいて、不安などなかったからだ。
けれど、今ならその気持ちもわかる気がした。
「それで、俺たちにその資格とやらはあるのか?」
レパードの声が、イユを現実に引き戻した。海の加護の話から資格の話に変わったようだと、今のレパードの言葉から判断する。
「あったら、船を動かせるのかもしれませんね。どうもこの船は、信じられないことに生きているようですから」
ワイズの返答に、イユも頷いた。
あり得ないことだと思う。どれぐらい昔かは知らないが、山の中に埋もれた遺跡が、いまだに機能しているのだ。しかも、ワイズの言葉が確かならば、この遺跡が動き出したのは最近だ。下手をしたら、今イユたちが通りかかったこの時かもしれない。
そんな偶然が自分たちに降りかかったとは、到底信じられない。
「どうする?この奥も探してみるか?」
レパードの言う奥とは、ワイズが先ほどまでいた扉の先のことだろう。この飛行船が生きているのだとしたら、扉を開けることも可能だと思われた。
「そうですね。資格については考えても答えはでないのでおいておくとして、扉の方は探せるだけ探してみましょう」
ワイズの言葉に、イユたちは周囲を探る。怪しいのは、機械だろう。びくびくしつつも怪しいスイッチを順に触った。
イユが触ったのは、照明のスイッチだったらしく、一気に航海室が明るくなった。
ワイズが触ったスイッチは、押した途端雑音が響いた。
「通信装置だったようですね。どこかの音を拾っているようですが、機能していなさそうです」
ワイズがそう告げると、今度はレパードが隣のスイッチを押した。
その時、僅かに扉のあった方角から、かちりという音がした。
「まさに鍵が開くような音がしたわけだが?」
三人は顔を見合わせてから、扉の前に近づく。どこか異変がないか目を凝らして近づいたところで、扉が一人でに動き出した。
ぽかんと口を開けたイユの前で、扉が左右に分かれて開いていく。その先に、先ほど押した照明の効果が続いていたのだろう、明るい廊下が出迎える。
廊下は思った以上の長さだった。踏み入れば、広さも十分で、左右に椅子とテーブルが置かれている。休憩スペースなのだろうか、埃をかぶった絨毯は真っ白になっていて、歩く度に砂埃が舞った。
「航海室は綺麗なのに、ここは埃っぽいのね」
歩きながら、イユは高い天井を見上げた。青い線が張り巡らせられている。そこから光が零れていた。あれが、照明らしい。
「原因はあそこだろうな」
視線を戻したイユは、レパードの言う方角を見る。そこには土砂が溢れていた。
近づいたイユは、すぐにそこが外と繋がる入り口だと気づいた。恐らく、ここに扉があり、そこから渡し板を用意して外に出るのだ。セーレは甲板から出たが、この船は室内から直接外へ出る形になっているらしい。その造りが良くなかったのだろう。
前時代の技術も、時間には逆らえない。脆かった扉から、土砂が流れ、岩が転がった。そうして中に侵入された飛行船は、こうして土砂の砂から埃まみれになり、今の姿を晒している。
「まぁ、そうそう上手くはいかないでしょうね」
ワイズは、どこかがっかりした様子をみせた。航海室があまりに美しかったので、船内も全て無事だと期待していたらしい。
けれど、この土砂はたった三人では簡単にはどかせられない。おまけに、奥へ進もうとするほど、土砂の量が想像以上に多いことを実感させられる。これ以上の探索は、できそうになかった。
「どうする?とって返すか?」
レパードの言葉に、ワイズは渋々頷いた。
「仕方がないですね。もっと人がいないと、この土砂は片付けられません」
来た道を引き返した三人は、航海室に入ったところで足を止めた。
「あんなところ、光っていたか?」
青い椅子の前に、文字が浮かび上がっている。レパードの言葉に、二人で首を横に振った。
恐る恐る近づいた一行から更に一歩前に出て、ワイズはそこに浮かんだ古代語を読み上げる。
「『資格ある者よ。ここに手を』。手を置いてみてもらえますか?」
ワイズの視線の先には、イユがいる。
「なんで私が」
文句を言いながらも、イユはその文字に手を伸ばした。今まで反応していた石が『反応石』に似ていたことから、ワイズでは資格がないのかもしれないと、ちらりと思ったからだ。少なくとも、ワイズはその可能性を考えて、『異能者』か『龍族』に極力その役目を引き受けさせようとしているのかもしれない。
文字に触れた途端、青い光が周囲に満ちた。イユはあまりの眩しさに、目をつむる。
次に目を開いたとき、そこにあった光る文字はなくなっていた。
「消えちゃったけれど、これ、なんなの?」
イユの疑問に答える声はない。三人とも答えを持っていなかった。
暫くして、ワイズがそれらしい思いつきを口にする。
「資格がないから消えてしまったのかもしれませんね」
確かにそれ以外に思いつくものはなかった。
「じゃあ、俺も触ってみるか」
レパードが、文字があった箇所に手をかざす。けれども、文字が消えてしまったからか、何も反応は起きなかった。
「まさか、燃料切れ?」
思いついたことを口にすれば、ワイズがげんなりとする。
「あり得そうなのが嫌ですね」
「確か、燃料が何かわからないんだったか?」
レパードの確認に、ワイズは頷く。
何の燃料かわからないものに対して、燃料の補給はできない。ここまでだなと思うと、イユの好奇心も途端に冷めていった。
「セーレに向かいましょう。ここには何もないわ」
イユの言葉に、ワイズも渋々ながら頷く。
行きと同じように窓ガラスを跨いで、坑道の道に出る。先ほどまでと同じ、岩壁が聳えていた。
名残惜しそうなワイズを急かして、イユは進む。
「?」
その時、何かに呼ばれた気がした。
振り返ったイユは、窓ガラスのあった場所をじっと見つめる。耳をそばだてたが、何も聞こえなかった。
「どうかしたか?」
「なんでもないわ」
きっと、気のせいだろう。今のイユには、セーレが待っている。そう切り替えると、イユは出口に向かって足を進めた。




