その274 『異能者連盟』
「あ、ロンだ!帰って来た!」
声に振り返ると、そこには斑模様のよぼよぼの犬がいた。口に袋を咥えている。
ロンと呼ばれた犬は、リナに近づくと、その袋を口から離してみせた。
リナが大喜びで袋を開けている。
「ねぇ、みて。魚の骨よ!」
それは誰かの食べ残しの骨だった。ほかにも、割れた食器に、何かの骨、カビのはえたパンが入っている。
それらの食べ物を前に、沸いた生唾を飲み込んだ。
「魚なんて、なかなかレアだよね?」
袋から視線をはずすと、そこにいたはずの犬はいなかった。かわりに、ぽっちゃり気味の少年が立っている。細い目を更に細めて、額に汗を掻いている。その少年が、言葉の続き、本音を述べた。
「だからちょっとは、誉めてほしいなぁって」
ところが、リナは魚に目を輝かせるばかりで聞いていない。イユも、何と答えればよいかわからずに突っ立っていた。
「ああ、すげぇな、ロン。よく町のごみ溜めからここまでかき集められるぜ」
がっくりと肩を落としている少年を褒めたたえたのは、リナの背後から歩いてきたタリヤだ。
「ほら」
タリヤも、袋をリナに投げ渡す。リナが袋を開けると、中から汚れた布とクッキーの欠片が出てきた。そして、
「ねぇ、これ。綺麗すぎるよ?また、盗ったの?」
リナが指摘した『これ』は、空色をした石の欠片だった。欠片というが、手のひらサイズの大きなもので、それ単体で完成していると分かる美しさがある。
「別にいいだろ。石屋のじぃちゃん、とろいんだから。あとで金に換えようぜ」
リナが頬を膨らませて、怒っているアピールをしている。
イユは首を傾げた。
「『これ』は、何?」
イユの言葉に、タリヤとリナ、ロンが顔を合わせる。
「何って、飛行石だよぉ」
ロンがイユのことを珍しそうに見上げながら、答える。その答えに、リナが補足する。
「この石をこうやって高くに上げて、日の光にあてるとね。お空を飛べるんだよ!」
リナがやり方を身振り手振りで説明する。それに合わせて、イユも手を高く掲げてみた。
「そうそう、イユおねぇちゃん、そんな感じ!」
二人で大きく手を伸ばしているのをみて、タリヤが呆れたように笑っている。
「そいつ、やるよ。リナが持っていてもこれ以上戻せないだろうし、いいよな?」
前半はイユに、後半はリナに確認をとる。
「え、いいの?お金に換えるのよね?」
イユの言葉に、タリヤは「いい」と答える。
「金に換える方が盗ってくるより難しいんだ。売れそうな相手が見つかるまで持っておけよ」
「ねぇそれって、あげるって言わないんじゃ」
ロンがぼそっと突っ込んだが、イユは頬を緩めていた。もらえなくてよかった。ただ預かる。それだけでも、イユとしてはこの子供たちの集団に入れてもらえた気がしたのだ。
リナは、物欲しそうな顔をしていたが、すぐに思い直したように頷いた。聡いリナのことだ。タリヤの意図に気が付いたのだろう。
「うん!イユおねぇちゃん、これで異能者連盟の一員だね!」
「『異能者連盟』?」
理解の乏しいイユの手に、そっと飛行石が乗せられる。日に当たるとすぐに黒ずんでだめになるので、鞄の中に入れておくといいと言われた。
「そう、ここにいる皆は『異能者』でしょう?だから、異能者連盟!」
「リナはすぐにそういう難しい言葉を使いたがるよな」
タリヤが呆れ顔で、しかしまんざらでもない顔をしている。ロンもしきりに頷いていた。
そして、満面の笑みを浮かべるリナに、イユもうれしくなってきた。『異能者』だけで集まった仲間が今までイユにはいなかった。異能者施設には大勢の『異能者』がいたが、食べ物を取り合う敵だった。あそこには仲間意識などなかった。イユを助けてくれた女だけが大勢に声を掛けて回っていたが、それは女だけが特別であって他の『異能者』に手を取り合う気は微塵もなかった。だから、三人以上の仲間がこうしてこの場にいるという体験は、イユの中で初めてのことだった。
とはいえ、イユ以外は皆小さい子供だ。とても頼りない。施設だったら即死んでいた者たちだろう。けれども、彼らのおかげで、イユの凍った心が久しぶりに疼いた気がした。
「じゃあ、帰ろっか」
リナの声に合わせて、全員が頷く。
村のはずれのごみ捨て場から更に移動し木立を抜けていくと、そこにひっそりと一軒の家屋が佇んでいる。雪に埋もれ崩れかけている門扉に、古い木を組み上げて作った壁。その家の屋根といえば、指の先ほどの雪の重さに潰れてしまいそうな様相だ。そして、通りの道まで続くはずの獣避けの柵は、ところどころ倒れ、道を成していない。
その崩れた柵の合間を縫って進めば、家屋の詳細が見て取れる。ぼろぼろの扉は開くかどうかも怪しい。窓ガラスが真っ白になるほどの埃が窓に積もっている。埃だらけで白くなっている窓から屋内の様子を覗こうとすると、色褪せたカーテンがぼんやりと浮かび上がる。そのカーテンにところどころ穴が開いていることだけが、かろうじて確認できる。見ただけで誰の目にもはっきりとわかる、廃屋だ。
「ただいま!」
リナが古い扉を力一杯手前に引く。その勢いで、ギギギと鈍い音が響いた。
リナの声に、返事は返らなかった。ただ、雪の寒さに触れた家屋から、僅かに軋む音がしたのみだった。
リナたちも分かっていて、平然と建物のなかに入っていく。しんとした空気が、彼らを歓迎した。まずは、タリヤがリナを抜いて家の奥へと入り、そこにある暖炉に駆けつけた。手に持っていた木々を投げ入れて、そして指先に炎を灯した。火が、木々に燃え移る。
ここは、村の外れで、子供たちが使っている空き家だった。彼らはここで暖を取って、生き永らえていた。その気になればリナの異能で家を直すことも可能だったが、彼らはそれをしていなかった。日々食べるものにありつくので精一杯で家にまで気を遣う余裕がないのと、子供たちの存在が村にばれないことが大事だったからだ。だが、日々を暮らすにはどうしても必要な、暖炉やテーブルといったものは別だった。
暗くて冷たい室内に、暖かな火が宿った。
「じゃあ、持ってきてくれたものを戻すね!」
リナがタリヤとロンが手に入れてきた袋の中身を、木のテーブルに順に置いていく。
もともと二人暮らしの家だったのだろう、テーブルを囲う椅子は、二脚用意されていた。その一脚に座って、乗り出しながら並べていく。
そして、並べ終わると、今度は手をかざしていく。
すると、たちまちあらゆるものが形を変えた。魚の骨に身がつき、目が現れ、鱗が生えていく。あわやと言う間に、まるで先ほどまでの姿が夢だったかのように、リナの手のひらの上で、魚の骨だったものが飛び跳ねた。
タリヤが満足そうに、その魚を両手で捕まえる。
リナの異能の手は止まることを知らない。
クッキーの欠片は触れただけでどこからともなく量が増えていき、あっという間に元の丸いクッキーに戻る。布の汚れは消え、真っ白いテーブルクロスに化けた。割れた食器はもとの形にもどり、骨には肉がつき、パンはカビが消えて――、
「おーい、待った、待った。それ以上は粉にもどっちまう」
タリヤに注意されて、リナが慌てて手を離す。パンの先端が、若干粉っぽくなっていた。
「小麦粉をそのまま食べるのはなぁ」
「あ、ごめん。加減を間違えちゃった」
リナが、てへっと笑っている。
イユは、ただただリナが作り出すものに驚きの目を向けていた。あの異能者施設には、少なくとも、イユたちが入れられていた女だらけの区画には、リナのような異能の持ち主はいなかった。
改めて、『魔術師』たちがイユを捨てた理由がよくわかった。ちょっとした傷が治る程度の『異能者』より、こうした超次元の力を研究していた方がよほど興味深い。リナが異能者施設に入れられていたら、間違いなくイユと顔を合わせることはなかっただろう。
だが、実際はそうはならなかった。タリヤが指先から灯した火で魚を炙っている。それを見ながら、イユは呆然と考える。
この三人の子供たちは、村の隅でごみ捨て場を漁りながらこうして暮らしていた。一人は時間を戻すことで食べ物を作り出し、一人は炎で暖をとり、一人は犬や猫に化けてごみを漁りに行った。イユは偶然、その子供たちに助けられた。
「はい、イユおねぇちゃんの分。今度は、もどさないようにね」
渡された魚の四分の一を頬張る。リナから始めに貰った食べ物は、胃に流し込んだ途端に、逆流した。ずっと食べ物を食べていないと、体が受け付けなくなるようだった。粥ぐらいなら平気だったのだが、リナが戻す食べ物は基本、固形物になる。
ゆっくりと咀嚼していると、リナが背中をさすってくれる。タリヤが寒くないかと聞いてくる。ロンはおどおどしながらも、自分の手元の魚を頬張った。
なんて、温かいのだろう。込み上げてくるものに、イユは泣きそうになった。
「そろそろ行くか」
レパードの呟きで、イユは顔を上げた。
体の重さは消えていない。むしろ少し休んだことで疲れていることをぐっと意識してしまった。治りきらない体に、それでも、少しの休息は大きいはずだと半ば言い聞かせる。重い腰を上げた。
「出口は、あそこですね」
ワイズが指を指した先に、上り階段があった。人一人がやっと進めるほどの幅の階段は螺旋を描いている。天井から明かりが零れているため、さらさらと舞い落ちる金砂と舞い上がる砂埃が確認できた。
三人は特に言葉も交わさず、階段を上り始める。イユはレパードの手を頼りに登った。それでも、一歩一歩が重いままだった。




