その273 『砂漠の前の小休止』
「大丈夫ですか?」
はっとした。気がついたら、目の前にワイズがいる。隣にはレパードもいて、イユを覗き込んでいた。
「辛いなら、休むか?」
イユは首を横に振った。
「休むなら、今のうちですよ。砂漠では満足に休めませんから」
ワイズの言葉は、正しい。けれど、イユには気づいていることがある。
「休んだらいつ砂漠に出るのかしら。星の出ている夜のうちでないと、私には途が分からないわ」
ワイズは呆れたように、ため息をついた。
「時間の感覚はないのかと思っていましたが」
どうやらイユの指摘は合っていたようだ。
「陽の落ちるまでに少しは時間があります。砂漠に出る前に二十分ぐらいは休みましょう。いくらなんでも万全でない状態で出向いて良い地ではありません」
二十分。それだけでも休めというワイズに、イユは素直に頷いた。
休憩できる宣言からも、暫くは歩く。道幅は狭く、だんだん窮屈になってきた。荷物が時折壁にぶつかってしまう。
「ここはもう、砂漠の下なんてな」
歩きながらも意識をどこかへやっていたイユを心配してか、レパードが語りかけてくる。
「信じられないわね」
それに答えながら、イユは天井を見上げる。
天井から僅かに金色の砂がこぼれ落ちる。その砂は、灰色の壁を伝って、地面へと降り積もっていく。光が殆ど届かないせいで見えにくいが、目に意識を持っていく余力もない。そのため確認しづらいが、地面の上には疎らに金砂が散らばっているようだ。
そして、その金砂が、湿っていることに気がついた。ほんの一瞬、床の一部が反射したのだ。きっと、地面の床は岩を削ったとは思えないほどに平らで、濡れている。その為に、僅かに届いた光に触れて、まるで鏡のように一部が反射したのだろう。
水の存在を意識した途端、横道から水の音が聞こえてくる。まさか、あれほど乾燥した砂漠の地下に、水があるとは思いもよらなかった。
「水の魔法石の恩恵があるのですよ」
イユたちの疑問を予測してか、ワイズは答えた。
「この台地では、信じられないほどの魔法石がとれます。その魔法石は、周囲の環境に影響を及ぼすほどです。残念ながら、水の魔法石の影響は地下に限りますが」
「何故、ここには魔法石が多いの?」
イユの質問に、ワイズは軽く首を横に振った。
「山脈があるからとは言われていますが、はっきりとしたことはわかっていません。ただ、この地は魔法石だけでなく飛行石も機械も多い。それこそ、イクシウスの大都市レイヴィートに次ぐ規模でしょう」
レイヴィートの名前がここで出てくるとは思わなかった。リュイスと初めて会った都市を想うと、少し懐かしい。
「その割には、世間に広がっていないな」
レパードの言葉に、ワイズは頷いた。
「それはそうでしょう。今の情報は『魔術師』のごく一部だけが把握していることです。広めたくないのですよ、こういう情報は」
資源があるということは、それだけ危険を生むとワイズが語る。
「僕たちは大国イクシウスから袂を分かつ形で、この地に住み着きました。砂漠しかないと思われているからイクシウスは襲ってきません。この地が宝の山だと知れたら、危うくなるのですよ」
「そんな話、私たちにしていいの?」
機密情報をぺらぺらはなされていると思うと、なんだか不安になってくる。それこそ、イユたちが消されそうだ。
「もうある程度漏れていますからね」
ワイズは諦めるように、そう言った。広めるつもりのない情報が、ある程度漏れていると。
「サンドリエの機械人だったか?」
からかう口調で、レパードが聞き慣れない言葉をワイズに伝える。
「えぇ、全くその通りで」
ワイズが実に不快そうな顔を返した。
今のやり取りを見て、イユは合点がいく。
ギルドである。シェイレスタが秘匿しようとしていた情報が、こうしてレパードにも伝わっている。情報源はギルドしか思い当たらない。きっとシェイレスタはギルドを受け入れたことで、少しずつ情報が洩れていっているのだ。
イクシウスがギルドを毛嫌いするのもわかる気がした。ギルドが入り込めば、情報がどんどんオープンになっていく。
イクシウスにいた頃は、ギルドの強かさに感心したし、ギルドの存在を前向きに捉えていた。何より、ギルドが仲介したことでイクシウスとシェイレスタ間の戦いを止めたということは、とても素晴らしいことのように思えた。
けれど、シェイレスタからみるとギルドの存在は、決して良いとは言えなくなってきているらしい。ギルドがあるおかげで、シェイレスタとイクシウスの戦いは確かに収束したが、そのギルドがシェイレスタの旨味を広めだしている。仲立ちと言いながら、一方ではイクシウスに尻尾を振って、シェイレスタの情報を洩らしているのだ。
ギルドは、人の集まりに過ぎない。マドンナが取り仕切っているとはいえ、一国の国ではない。けれど、マドンナの意思がその集団に反映されているかのようだった。
きっと、イクシウスがシェイレスタに関心を持つほど、シェイレスタにとって仲介役であるギルドの存在価値が高くなる。ギルドは大国を相手にかばってくれる偉大な存在だからだ。けれど、そのギルドこそがシェイレスタの旨味をイクシウスに伝えている。そういう構図が出来ている気がした。ひょっとすると近い未来、シェイレスタは、ギルドの言いなりとなる日がくるかもしれない。
しかし、それが事実ならば、今後シェイレスタはどう動くつもりなのだろう。それにギルドは、今のバランスを保ったまま、仲介を続けるのだろうか。ギルドの、マドンナの狙いは何なのだろう。
そこまで考えて、イユはため息をついた。シェイレスタだのギルドだの、どうでもよかった。そんなことより、イユは今までの日常が変わらず続いてほしかった。セーレで、みんなの仕事のお手伝いをしたい。シェルと一緒に見張り台にいて空を眺めたい。リーサと裁縫したり、クルトと壊れた部品を修復したい。ミンドールに誉められて、レパードに叱られて、リュイスに勉強を教えてもらいたい。
そんな日常が、帰ってきてほしかった。もう、失いたくなかった。
一人一人の顔を思い浮かべたのがいけなかった。胸に迫ってくるものがあって、視界が霞んだ。滲む涙を悟られたくなくて、イユは懸命に足を進めた。
足音がしっかりしたものになったからか、レパードも振り返らなくなった。ただ、大きな背中をイユに向けている。
暫く進むうちに、ワイズの足が止まった。合わせて立ち止まるイユたちを振り返って、ゆっくりと宣言をする。
「ここで、休みましょう」
約束の二十分休憩が始まった。イユは頷くと、すぐにその場に屈んで目を閉じる。疲れている体をはっきりと意識する。この体では、砂漠は歩けまい。少しでも休んでおく必要があった。




