その27 『三日目(前半)』
誰かが廊下を歩く音がして、目が覚める。耳をそばだてると、船員たちの挨拶の声が聞こえてきた。時計を見ると、朝の五時を示している。朝食までは三時間ある。足音が遠くになるにつれて、予想がついた。恐らくは、夜番の船員たちとの交代の時間が今なのだろう。
目がすっかり覚めてしまったイユは諦めて起き上がることにした。髪を整え、顔を洗い、身支度を整える。早速黄色のドレスに着替えてみたが、少々肌寒い。もともと着ていた茶色の上着を羽織ると、意外としっくりきた。
昨夜はどこかの疑り深い船長のせいで嫌な気分だったが、こうして仕立ててもらったばかりの衣類を纏うと、不思議と気分が軽くなる。
折角だと、船内探索の続きを行うことにした。甲板にでなければきっとレパードにも会わないだろうと考える。
廊下を出ると、意外と静かだった。動きがあるのは夜番の交代だけで、他の船員は寝静まっているのだろう。
甲板に出る寸前までは昨夜と同じ行き方だ。ただし今回は甲板の扉は開けずに、振り返ると見えるもう一つの扉を開ける。
そこで、幅の狭い階段が確認できた。階段は上りと下りの両方ある。上りは船長室に行くときに使ったものだ。下りは機関部に下りられるらしい。ただ、そこだけはあまり立ち入らないようにと言われている。
イユの脳裏にレパードの顔が浮かんだ。ただでさえ疑われているのだ。このままこの階段を使っても良かったが、妙に勘繰られると面倒である。大人しくしておこうと、扉を閉めた。
幸い、階段はもう一つある。ぐるりと廊下を進んで、食堂の扉を開ける。食堂は意外なほど静まり返っていた。代わりに厨房からは食器のガチャガチャという音がしている。忙しそうな雰囲気が伝わり、無理に声を掛けることもないと考え通り過ぎる。
食堂の階段を使って、二階へと上がる。廊下へと続く扉を開けると、はじめに見えたのは、扉である。誰かの部屋だろう。寝ているらしく、静かだった。
左右の廊下はどちらも遠くまで広がっている。悩んだ末、左手へと足を進める。
そうして見えてきたのが、昨日訪れたクルトの部屋である。他の船室とは異なり、明かりが廊下に漏れていた。もう起きているのだろう、コツコツと作業をする音も聞こえる。その音に誘われるように、イユはクルトの部屋の前へと立つ。ドアノブに触れてから、手を離した。左右の廊下へと視線をやり、ため息が溢れる。
自由に散策とはいったものの、二階も、造り自体は一階と同じだ。このまま道なりに進むと、レパードのいる船長室を通り過ぎることになる。来た道を戻っても、結局のところ寝静まった船員たちの部屋が続き、最終的には船長室に辿り着く。
それならば、少しでも変化のありそうなクルトの部屋に押し掛けるのもありだろう。
とはいえ、そこまで親しい間柄になったつもりもない。訪れる理由を探して思い返せば、昨日約束した靴の話が思い浮かぶ。もうできているか聞いてみたいところだが、扉をいきなり開けるのは無作法なのだろうかと、今度は別の不安が浮かぶ。下手を打って正体がばれるようなことはしたくないのだ。
だが、このまま帰るのも何か違う気がした。
少し悩んだ末、リーサが昨日やっていたようにノックをする。正解だったらしい。すぐに「はぁい」という声がして扉が開いた。
「おはよう……って、イユってば、起きるの早っ!」
あまり騒がしくすると、船長室からうるさいのがやってくるのでやめてほしいところだ。
「靴って、もうできているの」
「もっちろん。さぁさぁ、中はいってよ」
案内されて入った室内は、どういうわけか昨日よりも少し汚くなっていた。作業して汚したのだろう。リーサの掃除の甲斐がない。
「これ、これ。履いてみてよ」
クルトに早速出来上がった靴を見せられる。イユが以前まで履いていた靴を真似たのだろう。茶色系統で纏められた、淑女用の革靴という点で、外見はとてもよく似ている。
ただ、言われた通り履いてみたところで気づく。
「どう?」
「軽いわね、この靴」
そのうえ足に馴染んでいて動かしやすい。
「そうでしょ、前のがデザイン重視っぽかったけど、どう見てもイユのタイプじゃないからちょっと変えたんだよね」
イユの性格を考慮してのものらしい。察せられた通り、外見に気を遣うぐらいなら、内実を重視したいところだ。特に、歩きですぐにへたったり蹴りつけたときに爪先の部分が崩れたりするのでは煩わしい。
「軽いだけじゃなくて、耐久は?」
「前のより素材は落ちるけど、丈夫にしたつもりだよ。特に爪先がやられてたから、そこは軽さを捨てて厚くしているけど」
イユの靴の使い方を考慮して、そこまで考えて作ったらしい。思いの外行き届いた仕事振りに感心する。仕事も早いし申し分ない。
「ねぇ、古いのはもういらないよね。よければ頂戴」
素材として何かに使うのかもしれない。ここまでの働きに素材ぐらい分けてやりたいところだったが、すぐに頷くのは躊躇われた。
「……構わないけれど」
「やったぁ」
余程嬉しいのか騒ぐクルトをみていると、胸が罪悪感に苦しくなる。
「こんな良い素材なかなか入らないんだよ。傷だらけなのがもったいないぐらい」
実用性のない靴をずっと持っているぐらいなら、素材として有効活用したほうがずっと良い。そのほうが、多少はうかばれるだろう。
イユはそう自分自身を説得する。イユの胸中を知って知らでか、クルトから無邪気な質問が飛ぶ。
「ねぇ、こんな良いの、どこで手に入れたの」
「何、聞きたいの」
反射的に口に出た声は、思いの外低くなった。
「え、聞くとまずいことなの?」
きょとんとした顔を向けられて、イユは顔を背ける。
「いいえ、でも聞いて嬉しいことでもないと思うわ」
これは拝借したものなのだ。持ち主はもう生きてはいない。
「や、やめとく」
不穏な気配を察したのだろう、クルトは聞くのを止める判断をした。
賢明な事だと、胸を撫で下ろす。イユ自身、話したくはない。最後にちらっとクルトの手の中にある、ぼろぼろになった靴をみて、思う。
やはり、手放してしまおう。
「そうだ。そろそろリバストン域に入るらしいよ」
新たな話題に、気持ちを切り替える。リバストン域という言葉に、少しでも情報が欲しいと言っていたところだと、思い出した。
「折角だから甲板に出てみるといいよ。凄い光景であるのは間違いないから」
まるで知っているかのような口ぶりである。
「クルトは見たことがあるわけ」
聞くと、驚いたことに頷いて返された。
「リバストン域ってすごく長いんだもん。イクシウスに来たときにも見たよ。あそこを通ろうとする人の神経を疑うね」
クルトがひとりでに説明するには、多数の飛行岩がイクシウス周辺を帯を巻いたかのように流れているらしい。地図では一部の範囲のように見えたが、描ききれなかっただけのようだ。
「……まさにこれから通るでしょう」
イユの突っ込みに沈痛な面持ちをされる。
「そうなんだよねぇ」
それから空を仰いでみせた。
「イクシウスの戦艦がうろうろしてなければボクは絶対反対なのになぁ」
「戦艦?」
聞き慣れない言葉に聞き返してしまってから、後悔する。何でもかんでも聞いていると、それこそ疑われかねない。相手が幾ら能天気そうなクルトだとはいえ、気を付けようと心のなかで反省する。
「ん? あぁ、船のことだよ。イクシウスみたいな大国が持っている大きな船のことを戦艦と呼ぶんだ」
白船とはどう違うのだろう。顔色を読まれたらしく、クルトは解説を入れる。
「あの白船は戦うためのものじゃないから。戦に特化したものを戦艦って呼ぶんだ」
クルトの説明は恐らくてきとうだった。
しかし、イユにはその認識でも十分に脅威を感じる。あの白船で大変苦労したのだ。戦艦に襲われることになったらと思うと、ぞっとした。
「まぁ、さすがに、いきなりセーレに大砲をうってくるようなことはないと思うよ」
イユの表情を見てだろう、クルトからそう補足がある。
イユとしては神妙に頷くしかない。この手の話は、自分でどうにかできる範囲を越えてしまう。幾ら異能があっても船が相手では無力なのだ。その恐ろしさに身震いしたくなる。
「見てきたら? リーサも今の時間なら甲板にいると思うし」
「リーサが?」
確かに散策で時間が潰せたので、廊下のほうからは人の通る気配もし始めている。
「うん。なんか空を見るのが好きらしくてさ」
「そう。まぁ、行ってみてもいいわね」
クルトのすすめに従って、部屋を出ることにした。
甲板には、昨夜と違い数人の船員がいた。その中にリーサの姿を見つける。朝日を背にして水色のドレスの彼女が手を振っている。
イユがリーサのもとへと駆けつけると、リーサから朗らかな笑みが返った。
「おはよう、イユ。……凄い景色でしょう?」
おはようと返したイユは、リーサに示された空の光景に声を奪われる。
陽光を一部の雲が吸い込んでいるようで、朝焼けの空に溶け込んでいる。そこに、無数の飛行岩が長い螺旋を描き、浮かんでいる。それはまるで高い塔を組み立てたかのようだ。更にその奥では、空に星の川を流したかのように、飛行岩の層があるのを確認できた。
飛行岩が空を漂っていること自体は、イユも時折見かけたことがあり珍しくはない。しかしながら、これほどの規模で飛行岩が浮かんでいたことはない。
「昔、大きな島と島がぶつかってできたんですって」
「島がぶつかる?」
そんなことがありうるのかと考え、飛行岩をじっと観察する。岩とたとえたくなるだけあって、どれも小さくはない。イユの背より大きなものばかりだ。でこぼことした表面。色は白や茶色、黒と疎らだが、鼠色が多いようにも思う。
「実際はどうなのかわからないけれど、綺麗よね」
ばらばらならともかく、これらの岩は皆一定の流れに沿って浮いている。本当に島同士がぶつかってできたというのなら、その島には飛行石がふんだんに積まれていたのだろう。落ちずに宙を漂っている飛行岩がこんなにあるということはそういうことに違いない。
「ねぇ、ここをどう抜けるつもりなの?」
綺麗なのは結構だが、問題はそこだ。この無数の飛行岩にぶつかっていったら船は穴だらけである。イクシウスが所持しているような丈夫な船でも無理だろう。
「船長が言うには、この飛行岩の流れには規則があるから合間を縫っていけば行けるかもって」
怪訝な顔を隠せなかった。イユに対するレパードの信頼は底辺に近い。一々てきとうな気がするので、どうにも安心できないのだ。
「心配しなくても大丈夫よ。船長のことだから、何か考えてくれていると思うの」
リーサの言葉は真っ直ぐで、信用しているのだと伝わるからこそ、反論がしにくかった。それに、イユがレパードの立場でも飛行岩の合間を縫う以外に手段は思いつかない。こればかりは、飛行船が墜落しないように願っているしかない。
「それより、早速着てみたのね」
リーサに話を振られて、頷いた。いうまでもなく、黄色のドレスのことだ。
「リーサこそ」
「似合っているわ」
「ありがと」
二人で笑い合うと、不思議と楽しい気分になった。
「そろそろ、朝食よ。準備はできているの。向かいましょう」
リーサに言われて気がつく。
「リーサ、厨房にいたの? 手伝ったのに」
忙しそうだからと避けてしまったのが悔やまれる。
「え、えぇ。大丈夫よ」
濁したリーサに、先に船内の扉を開けられる。どうぞと招かれて中に入るも、何故だか強ばったリーサの言い草が少し気になった。
「あら」
言及しようとしたところで、リーサの関心が別のところに向かったと気付く。
振り返ると、そこに刹那がいた。壁に向かってぶつぶつ呟く様は、何とも不審な光景だ。
「何しているのよ」
思わず聞いてみると、返答がある。
「おまじない」
これまた不思議である。刹那には、怪我の治療をする印象があったのだが占い師の真似事もしているのか、と首を傾げたくなる。
「おまじない?」
これは聞いても良い質問だと判断し、問い掛ける。周囲をよく見れば、あちらこちらの壁に白い札が貼られている。札には黒いインクで豪快な文字が書かれている。
「私の故郷の」
いまいち要領を得ない刹那にかわって、リーサから説明がある。
「障壁っていうらしいの。この札がついている箇所には物がぶつかっても平気だって言われているらしいのだけれど」
「リーサ、障壁じゃない。結界」
「あ、ごめんなさい。シェパングの言葉って慣れなくて」
二人のやり取りはともかくとして、最初の説明には目が丸くなった。そのような夢物語のような力が存在するとは思わない。
「何それ? 本当なの」
「札に、微量の魔法石が入っている。だから、壊れにくくなるのは本当」
魔法石と言われ、赤々と燃えた焚き火を思い出した。あの不思議な力ならば、或いはそういうことも可能なのだろう。
「それが本当なら、船の至る所に貼るってこと?」
大変残念なことに、首を横に振られる。
「札の数が、足りない。大事なところだけ」
そうそう上手い話はないのだろう。とはいえ、レパードが全くの無謀者でないことはなんとなく分かってきた。
刹那の手に握られている札が一枚なことに気が付いたのだろう、リーサが刹那に声を掛ける。
「ところで、そろそろその仕事も終わるところよね」
こくんと頷く刹那に、イユは逆に驚いた。てっきり帯から札が大量に出てくるとばかり思っていたのだ。帯に挟むのは本当に布と砂時計と食料だけらしいと、洞窟での出来事を思い返す。
「私たち食堂に行くところなの。よかったら、一緒にいかない」
刹那が再びこくんと頷くのをみて、イユの胸中は複雑になった。
刹那とは、洞窟で過ごした時間もあるためか、セーレの船員たちのなかでは話す機会が多い部類に当たる。にもかかわらず、刹那とどう付き合うのが良いのか、イユにはまだ距離が測りづらいのだ。リーサと過ごすときより、会話に苦労してしまう。
尤も全く意味不明というわけではない。刹那の感情は表に出にくいながらも、違いがあることは分かってきた。
それは今回、刹那が食堂に着いたときの反応からも言える。
「いつもと違う」
テーブルの配置がいつの間にか大きく変わっている。食堂の中心に何脚か並べられ、その上に大量の料理が並んでいる。刹那の目はそのテーブルに釘付けだ。
「今日はビッフェ形式なのよ」
唾を呑み込んだイユは、これが自分だけに与えられた料理でないことに遅れて気がついた。船員たちがテーブルの前に列を組み、それぞれ順に好きな料理を手に取っていく。刹那も、大量の料理の中にお気に入りがあるのだろう。早速積み上げられた皿を手にとって、列に仲間入りした。
イユも負けじと後ろについてから、すぐ後ろのリーサへと振り向く。
テーブルの配置は、力仕事になるはずだと思い当たったのだ。椅子やテーブルをどかすぐらいなら、イユにもできた。
「これぐらいなら私も手伝ったのに」
「イユは裁縫に掃除まで手伝ってもらったのだし、いいの」
リーサはそう答えるが、イユはなんとなく釈然としない。
先ほどのリーサの様子と合わせて考えて、一つの仮説が浮かんだ。
なんてことはない、レパードの指示だろう。警戒しているために、料理の手伝いを全面的に禁止しているとみた。
テーブルの上には、蜂蜜色のスープもある。それは、スプーンでかき混ぜても底の様子が全く見えないほどに濃厚で、そのうえごろごろと具が入っている。あれでは異物が入っていても気づけないのだ。料理なんて任せようものなら、毒を盛られる危険がある。ビッフェ形式であることは寸前まで伏せる必要があったのだ。
もしイユが相手の立場なら、同じように線引きをする。レパードも、抑えるところは抑えているとみた。昨夜の揺さぶりも、気に入らないが、恐らくはその一つとみて良いだろう。闇雲にイユを攻めているわけではないのだ。
「あ、イユじゃん。リバストン域見てきたの」
列を並び終えたのだろう、皿に大量にパンを載せているクルトから声が掛かる。
イユは頷きながらも、そのパンの隣に瑞々しい食べ物が添えられているのに目を留めた。
「それ、何なの」
指を指して示せば、きょとんとした顔をされる。
「え、果物だけど」
「果物?」
思わず聞き返してしまってから、この無知な発言はひょっとしてまずかったのかと不安になる。
「イクシウスには珍しいのかしら。セーレでは果物を育てているの。簡単なものに限るけれど、皆が喜ぶならってセンが」
リーサの言葉に安心しつつ、気になったので、イユも皿にとってみることにした。
「生で食べられるものなの」
好奇心に負けて、ついつい口に出して聞いてしまう。
「そうだよ。果物は断然生派!」
イユたちに合わせて列を並び直したクルトがそう言い切った。
「シェパングの料理にもある」
唐突な刹那の発言に意図が汲めず戸惑っていると、刹那が近づいてくる一つの皿を指さした。クルトが意訳する。
「そうそう、シェパングにも寿司とかいう生料理があるんだよね」
刹那の指した皿に載せられているのは、湯気のたった見たことのない食べ物だから、寿司という食べ物は今ここにはないのだろう。恐らくその代わりに、刹那はシェパングのご当地料理を指さしているのだ。刹那の好物はこのご当地料理らしい。白い皮に包まれたそれを二つ三つと盛り付ける。
「刹那には悪いけれど、魚の生はちょっと苦手なのよね」
そう言いながら、リーサも果物に手を付ける。彼女のお皿はまるで芸術のように美しく盛られていて、思わずイユは自分のお皿を見返した。好きなものをこうして食べられることが贅沢なのだ。だから、食べられればどのような盛り付けでもいいはずであると、自身を納得させる。
「あそこ、空いているね」
いつしか列が終わってしまった。同じく食べ物同士が豪快に絡み合ったお世辞にも美しいとはいえない皿を持って、クルトが示す。
はじめにリュイスとレパードが船員と座っているのが視界に入って、慌てて首を横に振る。クルトが指したのはその先にある誰も座っていないテーブルだ。リーサたちについていく形で、そこへ向かう。
途中ちらっと彼らを見たが、レパードたちは眼鏡の優男との談笑に忙しいらしい。特に気にされた様子もなかった。
「さぁ、食べよう」
クルトの言葉に、気にしているどころではないとイユも気持ちを切り替える。折角の食事なのだ。昨日のことを引きずって喉も通らないなんてことはあってはならない。
とりあえずと、一番気になっていた果物を口に放り込む。
「なによ、これ!」
口の中に広がる果汁に、イユは目を白黒させた。
「苦手だった?」
心配したのか、刹那から訊かれる。
苦手どころではない。はじめて口にした感動を再び味わいたくて、更にもう一つ口にする。
「美味しいわ!」
今まで食べたセーレの食事はどれもおいしかった。量も十分で、気を抜けば泣きそうなほどに満足していた。
だが、そのなかでもこれは、群を抜いている。水っぽいのに甘くて、どこか元気になる味だ。冷えきった食べ物はいつも固くて、味気ないものばかりだったから、本当に同じ食べ物かと言いたくなった。
「気に入ったか」
声に振り仰ぐと、いつの間にかセンが立っていた。声を掛けられるまで気配を全く感じなかったのは、イユが食べ物に夢中になっていたせいだろう。
「まあね」
その返事に納得したように去っていくセンを、イユは見送らない。不審なコックを気にしている余裕はないのだ。それよりは、目の前の食事である。残りの食事を次から次へと頬張っていく。口いっぱいに広がるおいしさが、心に染みた。
基本的に食べられれば何でもよかったイユだが、これからもこういうものが食べられたらいいのにと考えている自身に気がつく。
随分贅沢な考えを持ったものだと、自嘲する。このような生活、今しかできない。普段はもっと余裕がなくて、啜る泥さえ落ちていないのだ。
しかし、この贅沢な思考が紛れもなく自身の本音なのだろう。
十日間しか船に乗れないことを、このとき少しさみしいと思った。




