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カルタータ  作者: 希矢
間章 『そして、底から』
269/992

その269 『特別区域』

 部屋を出た途端、しんとした空気に包まれた。人気はなく、だだっ広い空間が、どこか寂しい。行きに通った通路側、そこにすぐに見える壁を眺めていると、後ろから声がかかった。

「こちらです。牢に戻りたいなら、止めはしませんが」

「そんなわけないでしょう」

 一々、一言多い子供である。むっとしながらも振り返ると、既にワイズは背を向けて歩いていた。レパードだけが、早く来いといわんばかりの顔を向けている。内心ため息をついたイユは、足を踏み出した。

 暫くはワイズの案内に沿って、進んでいく。とはいえ、ほぼ一本道だ。通路の途中には何ヵ所か扉はあるが、ワイズは見向きもせず歩いている。後から聞いた話だが、どの扉の先も、牢に入る前の囚人の、扱いきれない物品が保管された部屋だという。

 そんな通路を進んだ先に、カウンターが置かれていた。そこに、鎧姿の男が姿勢を正して待っている。

「ご苦労様です」

 ワイズはにこやかに笑うと、腰の巾着から何やら光るものを渡して、男に握らせる。男は、それを大切そうに受けとると、すぐに自分の懐にしまった。

 お金だ。イユはすぐに気がついた。こういう使い道もあるのだと、妙に感心する。

「お気を付けください」

 兵士の言葉に、ワイズは僅かに頷くと、イユたちを振り返る。

「こちらです」

 言われた通り進んだ先で、新たな扉が待っていた。

 くるりとノブを回して、ワイズはその部屋に入っていく。

 新たな部屋に入った途端、しんとした空気がイユを出迎える。扉の先では、すぐに下り階段が待っていた。

 階段を下りながら、レパードは口を開く。

「ああいうのは、多いのか」

 先ほどのお金のやりとりのことを指している。

「えぇ、まぁ。魔術の形跡のない『異能者』を欲しがる『魔術師』はそれなりにいるので」

 三角館で、三人の『魔術師』が話していた。ブライトは、魔術の跡を残さぬよう、イユ以外には暗示を掛けなかったと言っていた。他者の手のかかった者はいらない、そういうことなのだろう。

 三人の間に、沈黙が下りる。階段を下りる音だけが聞こえてくる。

 石畳の壁には定期的に明かりが灯っているから、暗くはなかった。光源は炎で、壁に括り付けられた蝋燭に火が灯っている。その火が、時折揺れている。

 その火を眺めていたイユは、ふと今がいつなのかも知らずにいることに気が付いた。ここまでの道中に窓はなかったのだ。

「ねぇ、今って昼なの?それとも夜?」

 ワイズが階段を緩やかに下りていく。足元まで照らされた光のおかげで、躊躇うことはないらしい。

 その小さな背中を追いかけていると、ぽつんと声が返った。

「ここには、昼も夜もありませんよ」

 ワイズの言葉の心意を知るのは、それから数分が経ってからだった。

 階段を下りきると、そこには細い廊下が待っていた。灰色の道を進むうちに、頭上からガラガラという音と振動がやってくる。

「何の音だ?」

 レパードが不思議そうに見上げて聞く。彼はイユのすぐ後ろを歩いてきていた。レパードの何体もの影が、揺れる火に合わせて、揺らめいている。そのうちの一つが時折イユへと重なった。

 ワイズが背中を向けたまま、答えた。

「『異能者』たちの労働の音、ですよ」

 話をしている間も、音は止まない。

「この位置だと、水車を引いているのでしょうね」

「水車?」

 聞き慣れない言葉に、イユは首を傾げた。

「この都には水路があったでしょう?それは『異能者』に絶えず水車を引かせることで成り立っているのですよ」

「……絶えず?」

「えぇ、昼も夜も文字通り関係なく、ですね」

 その時、かたんと何かの音が聞こえた。気になってしまったイユは、耳に意識を集中してしまった。ガラガラという音が止まっている。その暫くの沈黙の後、音と声が響いた。

 イユの足が、思わず止まる。

「イユ?」

「……何でもないわ」

 心臓がばくばくいっている。血の気も、すっかり引いていた。到底、何でもないと言える状態ではなかった。それでも、どうにか強がれた。だから、再び歩き出せと、再度叱咤する。いつまでも止まっていたら、疑われると。

 幸いにして、上からの音はガラガラ音に戻った。上にいた人物は、長く打たれることはなかったらしい。

 そう考えることで、イユは自分を安心させた。できればもう、二度と聞きたくなかった。

 けれど、間違いようもない。イユの耳に届いたのは、叱咤する男の声と、鞭の音だ。そう、イユが異能者施設にいたとき、散々聞いてきた音だ。

 結局どこにいても変わらないのだと気づかされた。ブライトはシェイレスタを異能者施設のない国だと言っていた。けれど、それは特別区域へと名前を変えて、確かに存在している。『異能者』をまとめて一つの建物に押しとどめて、労働力としてこき使っているのだ。

 きゅっと縮こまろうとする心を必死に奮い立たせて、更に前へと進む。一度知ってしまったらだめだった。耳が、鞭の音を拾おうとする。

 あの時の癖が消えていない。少しでも、耳をそばだてないと、兵士たちの近づいてくる音に気付けない。せめてその時だけは、動けない体を無理やり動かさないとだめなのだ。少しでも隙をみせると、鞭で打たれてしまう。一回目をつけられたら終わりだ。次からもなにかと理由をつけられて、打たれる。相手の気のすむまで打たれた後の体は、思った以上に自由がきかなくなる。そうなったら、今度は別の作業場でも目を付けられる。悪循環だ。そうして冷たくなった女たちを何度も見てきた。

「顔色、悪くないか?」

 声を掛けられて、初めてはっとした。レパードが隣へときたのにも、気づかなかった。

「……気のせいよ」

 言い張って、何とか速度を上げる。すっぽり覆われてしまった影から逃げるように、ぎこちなく進んだ足が、僅かに震えていた。そっと唇を噛む。意識していなければ、その場にしゃがみこんでしまいそうだった。

 とにかく、歩かなくてはならない。そう、自身に言い聞かせる。早くここを去るためにも、足を止めてはいけない。震える足も忙しく動けばそれとわからないはずだ。

 耳に極力意識をもっていかないようにして、進む。その道を進むだけで、閉塞感があった。けれど、こんなところで震えているわけにはいかない。足を動けと、自身に叱咤し続ける。

 そんなことを考えていたせいで、反応が遅れた。イユの視界にワイズの体が映る。慌てて足を止めたが一歩間に合わない。ぽんと、ぶつかった。

「な、なんで急に止まるのよ」

 震えているのに気づかれたくなくて、攻めるように声をあげていた。

「『魔術師』に出会いたいのなら、進んでも結構ですが」

 言いながら振り返ったワイズの目が細められる。

「どうかしましたか?」

 その目に、労りと懸念が込められている。ばれたと思った。それでも、まだ強がりたかった。

「どうもしないわよ?」

 ワイズの目は、変わらない。

「強がるのも結構ですが、小動物が必死に威嚇しているようにしか見えませんよ」

「誰が小動物よ!」

 小声で反論したのは、それまでのワイズが声のトーンを落としていたからだ。本当に近くに『魔術師』がいるのかもしれない。その怯えが辛うじて、大声で荒らげようとするイユを抑えた。

 ワイズは、イユから視線をはずし、レパードを見た。イユでは答えないと悟ったのだろう。

「イユは、異能者施設の脱走者なんだ。できれば、早く抜けられないか」

 思わず、ぎゅっと爪が食い込むほどに拳を握りしめた。

 余計なことを、と思う。大体目の前の魔術師にそんな情報を与えてよいのかとも。けれど、それほどにイユが強がることができていないのだとも察する。レパードはイユが耐えられないと判断して、この情報を開示したのだ。

「異能者施設。まさか」

 ワイズが驚いた顔を向けている。その視線を受けたくなかった。

「……そうですね。善処しましょう」

 ワイズはイユについて根掘り葉掘り聞くつもりはないようだ。くるりと向きを変えて、歩き始める。

「この場所が嫌だと言うのであれば、足を止めずに口をつぐんで進むことですよ」

(……わかっているわ、最初からやっているじゃない)

 心の中だけで反論して歩き出す。

 暫くは、数段の階段を上がったり下がったりを繰り返す。

 その間も、どうしても気持ちに整理がつかない。鞭の音が聞こえなくなっても、イユの心は落ち着かない。また聞こえてくるのではないかと常に耳をそばだててしまっている。

 ふと、シーゼリアの笑い声が甦る。彼女は確かに、宣言していた。

『あなたは『過去に襲われる』』と。

 つくづく、シーゼリアの言ったとおりだった。イユは異能者施設から逃げたつもりで、こんなところにきてしまった。異能者施設にいた頃の記憶が、牙をむいてイユの体に爪を立てている。過去という影の化け物に体を千切られて、なすすべもないイユはあまりにも無力だ。

 もう嫌だった。逃げた先で、どうして同じ場所に戻ってきてしまうのか。ずっとついてくる影のように、それは忍び寄ってきたのだ。そして、今こうしてイユを襲っている。どうしても振り払えない。どうして、逃がしてくれないのだろう。

(違う!)

 心の中で、必死に否定する。

 ここは、あくまで特別区域だ。異能者施設ではない。確かに労働力としてこき使う部分は同じだが、逆に言えば類似点はそれだけだ。仕事もあの時のような死体を埋める仕事ではない。水車で、人々に水を運ぶものだ。

 何度も、心に言い聞かせる。

 イユは、断じて()()()に戻ったわけではない。あの悪夢は、やってこない。だから、大丈夫だと。

 そうしなければ、自分を保てそうになかった。

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