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カルタータ  作者: 希矢
間章 『そして、底から』
262/992

その262 『心砕いて』

 ふいに、刹那がイユから距離を取った。

「行ってくる」

 彼女はおまけをして、イユの体をベッドの近くに横たえた。いつも持っているといっていた布を取り出して、イユをベッドにくくりつけていく。

 容赦のなさがここにもでていた。布がかなりきつく縛られていく。呼吸するだけで、体が軋むほどだ。

 イユは改めて逃げ場がないことを意識した。絶望に意識が遠退きかける。

「うん、頑張ってね」

 刹那がすぐに消え、そして部屋にブライトとアグル、イユの三人だけが残っても、その現状は揺らがない。

「嘘だ、刹那……」

 呻き続けるアグルにまず、ブライトは魔術を掛けだした。ベッドを中心に、髪の毛で法陣を描いていく。

 アグルの、ひきつった悲鳴が漏れた。アグルは、まだ石化の影響が残っていて、ろくに動ける状態ではなかった。抵抗どころか、殆ど体も動かせずに、魔術にかけられる恐怖を肌で感じたのだろう。そのために漏れた悲鳴だった。

 そんな怯えた様子のアグルに、ブライトは宥めるように笑いかける。

「大丈夫、大丈夫。記憶を少し封じて、眠ってもらうだけだから」

 そんなことを言われても全く安心などできるはずがない。むしろ、余計に恐怖を煽った。

「やめろ……!」

 叫びながらも、アグルの目が徐々にとろんとしてくるのが、イユのいる場所から垣間見えた。法陣が紫色に光って、アグルを包んでいく。その光に埋もれて、アグルの意識がどんどん薄れていくのが、分かった。きっと、そのうちに眠ってしまうのだろう。

 助けたかったが、イユも体を縛られてしまっている。異能を使えばすぐなのだが、頭がぼうっとしているせいで、うまく力が出せないでいた。ブライトは、イユの扱いを心得ていたのだ。

 アグルが眠りにつく時間も惜しむように、ブライトは彼の様子を見届けない。すぐにイユの元へと、やってくる。

 軽やかな足取りでイユの目の前に立ったブライトは、ことんと小首を傾げた。

「そんな怯えなくても」

 ブライトの目に、震えた子猫のようなイユの姿が映っていた。

 イユは、自覚していなかったその姿に、ぞっとした。『魔術師』を前に、見せてはいけない醜態を晒してしまっている。せめて強がらないと、何をされるかわかったものではなかった。

 けれども、「怯えてなんていないわ!」と、叫び返す余力は残っていなかった。

 せいぜい顔を引き攣らせるだけのイユに向かって、ブライトの手がその頬に触れる。くいっと顎を動かされて、視線を無理やりブライトの目へと、向けさせられる。冷たい手の感触は、刹那に負けず劣らずだった。

「記憶を視たのはごめん。でも、こうしないと知ることができないから」

 ブライトの赤い瞳がイユを覗いている。気のせいか、香りが強くなる。

 頭が更に、ぼぉっとしてくる気がした。恐怖の感情すら埋もれそうになる。それが、逆に恐ろしくて、鳥肌がたった。

「イユはさ、もっと信頼してくれていいんだよ」

 耳を閉じてしまいたかった。それなのに、体が言うことをきかない。ブライトの手から伝わってくる温度が、イユの五感すら操作している気がした。

「なにをいって」と言い返したつもりで、僅かに唇が動く。その唇のすぐ下に、そっと指が当てられている。優しくなぞるような指の動きに、ぞわっとする。まるで人形のように、なすすべもない自身を、自覚する。

「本当はひとりぼっちになりたくないんだよね。ひとりでずっと生きていくの、辛かったんだよね?」

 イユの心がざわめいた。確かに、今まで、ずっと一人で生きてきた。他者から奪い傷つけ、そして、奪われてーー、だ。今後も、それは変わらないと思っていた。イユは生きるために、強くあらねばならない。そう、信じてきた。ブライトが記憶を見たのは、間違いない。彼女は、確実に、イユの心に響く言葉を持ち出してきた。

 けれど、聞くなと、イユの理性が告げる。目的はわからないが、こうしてブライトが話す言葉を聞くことが何よりも危険だと本能が知っていた。

「ほら、目を背けないでよ。あたしは視たから知ってるよ。イユはずーっとひとりで生きてきた。施設を出て逃げ出したときも、助けてくれた人に裏切られてまた一人、同じ境遇の子達に会えてもまた一人。寂しかったんだよね?」

 耳元で囁かれる言葉を、聞くまいとした。耳を閉じれないかわりに目を閉じて、ブライトの赤い瞳から逃げようとした。

 それが、次の一言で終わった。

「全く、馬鹿みたいだよ」

 思いがけない一言のあと、ブライトがつらつらと思いをぶちまける。

「ずーっとひとりで生きていたなんて、今時どこの悲劇のヒロイン気取っているつもりかな?異能者施設でめそめそ泣いてばかりで、『助けて』なんて叫んじゃって、自分が殺したのが原因だよ?自業自得なのに、すっかり自分の罪を忘れて、『どうして助けてくれないの、お母様』なんて、すっごい身勝手。笑えるね」

 あまりな手のひら返しに、イユは目を丸くした。圧倒的過ぎて、怒ることも出来なかった。

 そもそも、イユはブライトの語るイユの半分も覚えていなかった。

「大体セーレにイユの味方がいっぱいいるのに、ひとりぼっちなわけないよね?それって、イユがひとりぼっちじゃなくて、イユが誰のことも信じてないせいだよ?」

 最後の言葉が、チクリと、イユの心をさした。

 イユの瞳の揺れを視たのだろう、ブライトの唇が不敵に笑った。

「ねぇ、イユはもっとあたしたちを信頼すべきだよ?」

 ブライトは今自分がしていることそっちのけで、そんなことを言った。

 理性がしっかりしていれば、反論することができただろう。

 しかし、チクリと針の穴のようにさしたその心を、ブライトは容赦なくえぐりだしていく。そうしてできた隙間を、甘い香りが入り込んで、イユから思考を奪った。

 なにより、そうかもしれないと思ってしまった。

 イユは、人を信頼していなかったかもしれない。だから、一人で生きていかないといけないと思い込んでいただけかもしれない。

 その言葉だけをきけば、とても正しく美しくて、イユの理性は否定しきれなかった。

「あたしを信頼して、イユ。そうすれば、ひとりぼっちじゃなくなるよ」

 ブライトの赤い瞳が爛々と光っている。その光に、イユはとうとう溺れた。

「私、は……」

 それまで紡げなかった言葉が、ブライトの望む言葉だけを許すように口から零れた。頭の芯が痺れている。視界にブライトの姿が映っている。甘い香りのせいで、指が震えた。

「そう、言ってごらん。イユは、あたしのことを?」

 言ってはいけない。かろうじてあった理性はしかし、止める力をもたなかった。

「ブライトを」

 言葉を呑み込もうとするイユに、ブライトが催促する。

「さぁ、言って。あと少しだよ」

 あと少し。あと少しで、イユの心は散り散りにーー、なった。

「……信頼するわ」

 その瞬間、ブライトの口の端が、にったりと持ち上がった。

「言霊っていうんだ」

 唐突なブライトの言葉に、我に返った心地がした。その一瞬だけは甘い香りも、夢心地の頭も冴えていた。

「言葉には不思議な力があって、こうして口にしたらそれは効力として使えるんだよ」

 ブライトの指先が何かを描いた。それが淡い光を放って、法陣だと意識する。

「つっ……!」

 その瞬間、沸き起こった痛みにイユの意識が途切れかける。心臓が締め付けられるような感じがした。苦しくて、息ができない。痛みに耐えかねて、体に巻かれた布を引きちぎっていた。それでも、止まらない。胸の痛さが突き抜けて、同時に頭痛までした。体中、釘を刺しているかのような痛みだった。がんがん鳴り響くそれは、トンカチで釘を押し込むあの感覚に似ている。

「ダメだ、イユ……!」

 絞り出すような懇願の声が、耳に届く。きっと、アグルはずっと叫んでいた。それが今になって、届くようになったのだ。

 ブライトが、振り返る気配がした。けれど、イユにその様子を探る余裕はない。

「もう遅いよ。それにしても、アグル、まだ起きていられるんだ。魔術が効きにくい体質なのかな?」

 立ち上がろうとしたブライトは、ちらっとイユを見やった。

「その痛みは、あたしを信頼していない証だよ。信頼してくれれば、痛いのはなくなるよ」

 ブライトの声だけが、頭のなかで木霊する。信じることができれば、痛みはとれるのだと。

 冗談ではなかった。そんな怪しい魔術に、心を奪われるわけにはいかない。イユはもう、自分が自分でなくなるような、あの感覚を味わいたくなかった。それが嫌で、記憶を確認するように頼んだのだ。もう一度、味わうためではない。

「くっ……」

 瞬間、心臓を抉り出すような痛みがイユのなかを駆け巡る。耐えきれずに、転がり込んだ体が、ベッドにぶつかる。涙で視界がぼやけているのか、魔術のせいなのか、さっぱり分からなかった。弾ける痛みに、イユの意識が薄らいでいく。けれど、意識を失うことができない。痛みに耐えられなくなる限界に近づくと、すっと痛みが遠退いてイユの意識を呼び覚ます。延々と続くそれは、まるで拷問のようだ。

 今すぐにこの悪夢から解き放ってほしいと、心が叫ぶ。そこに、甘い誘惑が囁く。心の声が、受け入れろと言っている。何も悪いことをするわけではない。ブライトの言っていることは、方法はどうであれ、事実だ。イユは、人を信頼すべきだ。人を信じていないから、一人で頑張らないといけないと考える。そうではない。もう少し、頼ってもよいのだ。

 喉が枯れんばかりの悲鳴がイユの口から溢れた。叫びすぎて、喉がひりひりした。その声に誰かがやってくることを期待した。信頼しろというなら、まさに今がそのときだった。イユの悲鳴に、誰かが助けに来てくれれば、イユは人を信頼し他人を頼ったことになった。

 そして、とうとう、耳が扉のノック音を拾った。

「今、戻った」

 扉が開けられ、そこから刹那がやってくる気配がした。助けを求める声は、全く聞き届けられなかった。

「早かったね。さてはもう魔術書は手元に確保していたとか?」

 こくんと刹那が頷くのが、分かった。

「克望に渡すために取っておいた。クルトの管理倉庫、合鍵の位置知ってるから」

 刹那の手から魔術書が渡る。それを受け取るブライトの顔は珍しくひきつっている。

「魔術書を送る前にここに来てくれてよかったよ、本当に」

 本物かどうか確認するブライトに、刹那が首をかしげる。

「私だけ、入れるようにしてあった?」

 それは、イユたちからは確認できない、扉の反対側に描かれた法陣を指している。

「そうだね。人間は入れないようにしてあるね。ついでに、防音を完璧だよ」

 救いを求める声などはじめから届いていなかったのだ。自覚するとともに、胸の痛みが僅かに引いていく感じがした。イユを支配するこの感情の名は、諦めだった。

 一方でブライトの言葉に、刹那は淡々と応じている。

「それは便利」

 人ではないと言われても、動じるだけの心が刹那にはなかったのだ。

 しかし、それに驚く余裕は、イユたちにはなかった。

 本物であることを確認したブライトは、再びイユへと近づく。

「ねぇ、イユ。その痛みが一気に引く方法を教えてあげるよ」

 痛みに悶えることはなくなっても、消えたわけではない。頭痛だけではなく、吐き気もしてきた。これ以上、俯いていたらきっとどうにかなってしまう。

 見上げたイユの視線の先で、赤い瞳が三日月型に細められた。

「イユの宝物を出してごらん」

 ブライトはイユの記憶を視ている。だから、イユの宝物が何かを知っているのだ。

 イユの手は首に掛けられたペンダントへと延びた。ブライトの意図は読めなかった。しかし、ブライトの言葉に反論する理由もなかった。信頼している相手の言葉は、素直に頭に入れる。それだけのことだ。

 けれど、その手は一瞬躊躇うように止まった。途端に、胸に沸いた疑念が心臓を絞めつけた。苦しさに耐えている間に、イユの手が再び動き出す。まるで頭と体が別のことを考えているみたいだ。訳の分からない恐怖がイユを慄かせる。

 そして、とうとう首にかかっていたペンダントを目の前に取り出した。薄闇に溶け込むように、深緑の宝石が光っている。それを見ると、どうしてか心が落ち着いた。

 そこに、ブライトの宣告が入る。

「それじゃあ、イユ。それを粉々に割ってね」

 その言葉に、ブライトを見やる。赤い瞳は冗談を言っていない。

「そうすれば、あたしを信頼した証になるよ」

 そう言いながら、ブライトが髪を引き抜いて法陣を描き出す。この時は知る由もなかったが、魔術書をペンダントに化けさせる魔術を描いていたのだ。

 イユの視線がペンダントに映る。心臓がぎゅっと締め付けられる。この痛みが、心の痛みなのか物理的な痛みなのか、分からなかった。

 ただ、泣きそうになった。必要なことなのだ。絶対にこれを壊さないといけない。それでも、辛かった。歯を食いしばる。

 そして、イユはそれを地面に叩きつけた。鈍い音とともに、宝石に傷が入る。それはまるで、イユの心にヒビが入ったかのようだった。

 ブライトの注文は、粉々に割ることだった。

 イユの手は、何度も地面にペンダントをぶつけていく。誤って自分の手ごと地面に叩きつけてしまい、血が滲んだ。それでも、手の痛みを感じられないぐらい、心が痛かった。心の痛みが麻痺するまで、幾度となく機械的にペンダントを割っていく。そのうち、欠片が飛散し、宝石の形が崩れていく。むき出しになった宝石が、鈍い音を立てて割れる。宝石が、悲鳴をあげているかのようだった。

 ボロボロになるまで、ひたすら、割り続けた。

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