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カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
252/991

その252 『思い出して』

 その時、イユはブライトの声を聞いた。

「ねぇ、イユ」

 語りかけるような口調に、イユの耳が反応する。サロウの剣を避けている、今このときであっても、ブライトの言葉が優先的にイユの耳に届く。

「よせ、聞くな、イユ!」

 嫌な予感を感じたのだろう、レパードが叫んだ。

「イユ、聞いてはいけません!」

 リュイスも刹那の刃をいなしながら、叫んでいる。

 それでも、イユの耳にその声は届いてしまう。

「そろそろ全て思い出した方がいいよ」

「なにをいって……」

 ブライトの言うことが理解できない。否、分かってはいけない。

「分からない振りはよくないなぁ。ちゃんと思い出せるはずだよ」

 その間にも、「黙れ!」とレパードが声を奮う。

 レパードの怒鳴り声はブライトの言葉に重ねていて、そうであれば聞き取れるはずはない。それなのに、ブライトの言葉が鮮明に耳に届く。

「記憶を封じているのは、イユ自身の力でしょう?そろそろ、認めなよ」

 ブライトは一体何を言っているのだろう。記憶を封じているというのは、どういうことなのだろうか。サロウは、イユの戸惑いに気づいたように、剣を振りかざすのをやめている。そのせいで、イユに考える余裕が生まれてしまう。

「手始めにほら、あたしの暗示に掛かったときとかどうかな?」

 突然、脳裏に何かが浮かび上がった。見たことのないはずの光景。それが一瞬浮かんで消える。衝撃に思わずたじろいだ。

「な、何?」

 あまりにも早くて、理解はできなかった。けれど一瞬見えたそれは、医務室のようにも思えた。ブライトと一緒に医務室で過ごした入院生活。イユが暗示に掛けられたのは、そこでだ。それを意識した途端、頭の中で当時の光景が次から次へと湧き出てくる。

 気づいたとき、イユは片膝を地面についていた。

「イユ!」

 レパードの声に、慌てて後退する。大剣がすぐそこまで迫っていた。サロウに対等に戦うという精神はないのだ。イユが片膝をついた瞬間に、機会だと気づいて狙ってきた。

 かろうじて避けながらも、イユは頭を抑える。何とか浮かんできた景色を、整頓していく。そうしないと、頭をがつんと殴られたように、衝撃で意識が飛んでいきそうだった。この状態で意識が飛んだら、一緒に命も吹き飛ぶことになる。必死に、浮かんだ光景を手繰りよせる。

「そういうこと、刹那は……」

 できれば、落ち着ける時間が欲しかった。ゆっくり考えて頭の中を整理したかった。けれど、現実はそうはいかない。続けてくる攻撃を躱しながら、それでも自身の中に沸いた衝撃を感じる。イユはそう、初めから知っていたのだ。他でもない、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それなのに、忘れていた。記憶の片隅から追いやっていた。イユの異能は、イユ自身ですら謀ることができる。その恐ろしさに体が震えた。

 ブライトは、『手始めに』と言ったのだ。イユの記憶は、どうなっているのだろう。とうとう自分自身の心だけではなく記憶も疑わなくてはならないのかという思いが、胸を掠める。

「っ」

 動揺に反応が若干遅れ、切っ先が頬を割いた。

 サロウの形相は、変わらない。淡々と怒りを剣に込めて、何度も振り下ろす。その怒りに、覚えがなかった。そうだろうか。自問自答する。もし目の前の存在が、本当に実の父親だとしたのならば、イユは何をしでかしたのだろう。仇と、サロウは告げた。イユは、誰かを殺したのだろうか。

 その時、ナイフがからんと落ちる音が響いた。視線をサロウから外さずにはいられなかった。

 イユは、刹那に腕を突かれてナイフを取り落とすリュイスを見た。元々腕を痛めていたのだ。それなのに、あの刹那を相手に魔法もなしで防いでいたのが神業だったのだ。

 武器をなくしたリュイスの前で、刹那がナイフを突き出す。それが、リュイスの胸へと迫ったところで、レパードの影が覆いかぶさった。

「レパード!」

 事態を察して、イユは叫んだ。その瞬間、風圧を感じる。はっとして身をひるがえそうとして、間に合わなかった。肩を痛みが走り抜ける。それでも何とか衝撃を逃がすと、イユは更に後退した。その間に、レパードの様子を見る。

 リュイスの上に折り重なるように崩れるレパードの背中には、刹那のナイフが突き刺さっている。それにくっつくようにして、刹那が体を押し当てていた。

 イユの目には僅かに見て取れた。刹那の唇が動いている。

「ごめんね」

 イユの目が見開かれる。確かに今、彼女の口がそう告げた。謝るぐらいなら、今すぐ助けてほしかった。それでも、刹那に一塁の希望を託したくなる。つまりこの場にあって、刹那は本当はリュイスたちの味方なのだ。『魔術師』に従順になるしかないが、実は陰でこっそりとレパードたちを生かそうと画策している。

 そうだったら、どれだけよかったか。

 次の瞬間、刹那が体を離した。それに合わせて、ナイフが引き抜かれる。血の臭いが、あたりに漂った。

「レパード!しっかりしてください、レパード!」

 動揺したリュイスは、レパードに必死に語り掛ける。イユはここまで動転したリュイスを、過去に一度も見たことがなかった。ロック鳥に襲われて地面に落下した時も、アグルが瀕死の時ですら、こんな顔はしていない。知らなかった。信頼しているとは思っていたが、リュイスにとって、レパードはこんなにも、いなくてはならない人なのだ。

 だが、刹那はどこまでいっても薄情だった。何の表情も浮かべていない顔に、真っ白なその装束は改めてみると、死神の子供のようにも思えた。さきほど謝罪した少女の姿は影も形もない。

 刹那は、動揺のあまり隙だらけになったリュイスの背後に回ると、すぐに魔法石を当てた。桃色の光を浴びて、あのリュイスがなすすべもなく床に崩れ落ちていく。

「リュイス!」

 叫びながら、イユは助け起こすべく駆け出そうとし、全く間に合わなかった。

 イユが走り出すよりも遥かに早く、刹那が崩れ落ちるリュイスの体を抱えていた。自分よりもずっと大きい体型の人物を引っ張り上げると、克望の元へと歩いていく。その足取りはあくまでも軽い。

「刹那、待って!刹那!」

 刹那の足は、イユの呼び止める声如きでは止まらない。

 イユは全てを忘れて、今度こそレパードとリュイスの元へ走りだした。そこに、サロウの大剣が振りかざされる。

 今のイユにとって、それは、ただの邪魔な障害だ。異能の力を注ぎこんで横なぎに薙ぎ払われるその大剣の背に飛び乗る。反動でやってきた力は逆向きに働く。真上に乗ったイユの体は上空へと浮かび上がった。

 イユはそこからサロウの頭部を蹴りつけるようにして、サロウを跨ぎ越すつもりだった。

「イユ」

 そこに、ブライトの声がかかった。その声は、言うことを聞かない子供を言いつけるような言い方で、そしてそれだけでイユの今の行動をブライトが望んでいないことが判ってしまった。

 心の奥底で、躊躇いが生まれる。蹴りつける予定だった足の力が、自然弱まる。サロウの代わりに空を蹴ったイユの足は、思った以上の距離を稼げずに終わった。

 それでもかろうじてサロウを飛び越すと、レパードたちのもとへと向かおうとする。ブライトがレパードの安否を気にするなという意味で、止めたわけではないと思いたかった。ただきっと、ブライトは父親であるらしいサロウと向き合ってほしいのかもしれない。

 そんな思いが生まれた矢先、背中から衝撃がきた。

 まっすぐに、レパードたちの元へと駆けつけようとしていたイユは、前に倒される形で床にぶつかった。

 その勢いで、口に溜まったそれを吐き出す。床に飛び散ったその色は、赤かった。

 斬られたのだ。それだけはわかった。体が思うように動かない。耳が水の中に入ったかのようだ。痛みのせいだと分かって、必死に傷が治るようにと異能を駆使する。しかし、背中から大きく薙ぎ払われたらしいその傷は、思った以上に深い。まともに食らったせいで、イユの意識は朦朧とするばかりだ。満足に異能を使えているのかも怪しかった。

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