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カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
251/992

その251 『傀儡』

 逃げ場のないイユにとって、なすすべはなかった。

 刀身が、イユを討とうと迫る。その死の瞬間まで、目を背けることすらできなかった。目を背けたら逃げることになると、イユの意識がどこかで判断していた。その余計な判断をする自分の心を、呪いたくなった。イユは、ただ目の前に迫る赤い剣が自分に振り下ろされる瞬間を、最後の最後までじっと見つめるしかなく――

「イユ!」

 剣と剣がぶつかり合う音とともに、誰かに突き飛ばされた。

「リュイス!」

 そう、リュイスだった。レパードより後方に控えていた彼が、イユの前へと駆け込んだのだ。けれど、リュイスは武器を持っていないはずだった。取り上げられてしまったはずなのだ。

「つっ」

 珍しく痛みに声をあげるリュイスの、その手もとをみてイユは気がついた。その手に、ナイフが握られていた。イユが先ほどまで首もとに向けていたナイフだ。それであの大剣とぶつかり合ったのだ。

 それはあまりにも無謀だ。イユの顔は真っ青になった。こんな小さなナイフでは大剣を相手に直接ぶつかり合って勝てるはずがない。今、刃を合わせられているのが奇跡だ。そして、その奇跡をリュイスは起こしている。両手で、かろうじて力を拮抗させて、今この場を凌いでみせている。

「邪魔をするな」

 サロウの目が細められた。更に力を込めたのだろう。

 リュイスのナイフが、おされていく。リュイスらしくない、悲鳴がこぼれた。

「リュイス!」

 レパードが駆けつけようとするが、今のレパードは抵抗する手段を何も持ち得ていない。魔法もなければ、武器もない。下手に分け入っても、やられるだけなのは明白だ。

 イユは今になって、シーゼリアの予言を思い出した。シーゼリアは確かにリュイスに向かって言ったのだ。『……あなたはこの女のせいで命を落とすかもしれないわよ?』と。シーゼリアには見えていたのだろうか。この瞬間、この場所で、イユを庇って、イユのせいで、リュイスが死んでしまう光景を。

「嫌」

 それだけは、絶対に嫌だ。

 稲妻が走ったように、そう思った。あってはならないことなのだ。イユは、リュイスにこれまで散々助けられてきた。これからも、強いリュイスのままに、助けてほしかった。リュイスまで失ってしまったら、心がどうにかなってしまいそうだった。

 張り裂けるように痛む胸に、それでもまだ、動けないままだ。ブライトの言葉に、心が逆らえない。

 その時、リュイスが悲鳴を圧し殺して、声を張り上げた。

「逃げられないなら、戦うんです。イユ!」

 雷に打たれた心地がした。今の今まで、イユは自身が無力だと思い込んでいたのに気づいた。確かにブライトは逃げるなとはいったが、戦うなとは言わなかった。

 すぐさま、イユはリュイスのもとへと駆けつけた。イユの異能は封じられていなかった。だから、力を使った最大限の早さでサロウのもとに現れることができた。

「ほぅ」

 遠くで、克望が感心した声を出した。

「リュイス!」

 叫びながら、イユはサロウへと蹴りをいれた。彼が父親かもしれないとか、そういう話は頭から抜け落ちていた。とにかく、リュイスを助けたい一心だったのだ。

「ふん」

 サロウは、そこで驚くべき動きをした。剣に力を込めると一気にリュイスの持つナイフを叩ききったのだ。

 ナイフが折れた瞬間、リュイスが驚いたように目を見開き、すぐに後方に身を引く。普通ならば、折れたナイフごと斬られるところだが、持ち前の驚異的な動きで、大剣を紙一重で避けきった。数秒遅れで、砕けたナイフが床に落ちる音が響く。

 サロウは、リュイスを追いかけようとはしなかった。もともと、イユから身を守るために、リュイスのナイフを叩き折ったのだ。すぐに剣を引くと、イユに向かって構え直そうとする。

 だが、イユは、構えきるほどの時間を与えない。そのまま隙だらけの腹部に蹴りをいれる、はずだった。

 次の瞬間、弾き飛ばされたのはイユの方だった。体が空へと飛んだことに気づいて、慌てて受け身を取った。僅かに膝を擦りむいたが、大怪我には至っていない。ただ、今しがたの出来事が理解できなかった。

「何?」

「魔術だ」

 イユの考えを助けるように、レパードが答えた。レパードはいつの間にかリュイスのもとに駆けつけている。リュイスは斬られはしなかったものの、腕に衝撃がきたようで痛そうに顔を歪めている。痛めたのかもしれない。

「イユが蹴りをいれた瞬間、刀身が光って跳ね返した。剣を強化する類いの魔術だろう」

 確かに、今確認するかぎりでは、サロウの大剣に集っていた光が消えている。

「しかし、とんだ手練れだな。気を付けろ」

 忠告は受けたが、やることに変わりはなかった。

 再び刀身が淡い光に包まれるのを確認する。魔術は掛けるのに時間がかかるはずだし、サロウが特別何かをした様子はない。だから一回弾いたところで、刃に掛けられた魔術の効果が切れるわけではないのだろうと推測する。それに、リュイスと刃を交えていたとき、リュイスは弾き飛ばされなかった。つまり、魔術が効果を発揮するには、何か条件があるはずだ。

 考えたところで、解決策は出てこない。すぐにイユはサロウへと飛びかかった。サロウが大剣を構える。

 今度はイユにも発動の瞬間を捉えられた。蹴りが大刀に触れると同時に、そこから眩しい光が発せられる。あれよという間に、身体全体に逆向きの力を感じて、弾き飛ばされる。けれど、今回のは想定済みだ。イユはすぐに受け身をとると、再び飛びかかった。

 刀身が光を放つまで時間がかかる。その隙を狙ったのだ。

 しかし、その考えはお見通しのようで、サロウは隙をつくるべく飛びかかろうとしたイユに向かって、逃げるどころか攻め込んできた。

 イユは瞬時の判断で、迫る大剣を僅かに身体を反らせてやり過ごす。勢いは殺されていなかったので、そのまま突っ込もうとした。

 ところが、大振りのはずの大剣は、すぐに翻してイユの首を掻ききろうとする。こうなれば、逃げるよりなかった。イユは急ブレーキをかけると寸前のところで、後方に飛びすさる。

「随分粗末な異能だな。動きが早くなる程度か」

 遠くで観察していた克望が一人、イユを評価している。

「いや、それなら素手では突っ込んでいくまいか。そうだとすると、速度だけでなく脚力も増しているとみる哉」

 ブライトが、にこやかに克望に返事をしている声が聞こえてくる。

「お察しの通り。ちょっと変わった異能だから見せておこうと思って」

 イユは再び振りかざされた大剣を寸前のところで身を竦めて躱す。その間にも続く、二人の会話に耳が引きつけられてしまい、攻めきれずに再び薙ぎ払われた大剣を後方へ飛んで避ける。

 イユだけが手錠を外されていた理由。それが、今の会話から、ここにいる『魔術師』たちに見せるためだけが目的だと告げられた気がした。まるで、イユが見世物のようになってしまったようだった。

「興味はあるかな?」

「ない。この程度なら、式神で事足りる。サロウ殿に譲ろう」

 その言葉を聞いたサロウの口元が、僅かに動いた。はっとしたその時、再び踏み出してきたサロウによって、イユは慌てて距離をとる。相手は大剣だから間合いの内側に入りこんだほうがよさそうなのだが、想像以上の速さで剣を振ってくる。その速さだけなら、どちらが『異能者』なのかと言いたくなるほどだ。

「しかし、相変わらずお噂どおりの剣さばきだ。だが、惜しい哉、我々には時間が限られる」

 克望が、刹那を見やったのが見えていなくてもわかった。

 振り払われた大剣を避ける形で、イユの体が右側にうつる。大剣を目に留めたその先に、腕を抑えながら起き上がるリュイスに、折れたナイフを渡そうとするレパードが映る。更にその奥で、刹那の蒼い髪飾りと銀髪が見えた。

「刹那、やれ」

 克望の言葉に、こくんと刹那が頷いている。そこには、イユたちを相手にすることへの抵抗がまるで感じられない。少しぐらい動揺してくれればよかった。けれどそんな仕草は全くしない。いつものポーカーフェイスで、魔物を倒してくれと言われたときと同じ態度で、普段と全く変わらない刹那がそこにいた。

 そして、刹那の姿がその場から掻き消えた。

 刹那とリュイスがナイフをぶつけ合う音が響く。

 イユの意識は完全にリュイスへと向いた。リュイスは腕を痛めたようだったのに、何故レパードが代わりに受けてたたないのかと口を大きくして訴えたくなった。

 最も少し考えればわかる。相手はジェイクの言うところのナイフに愛された少女、刹那だ。レパードは普段銃を使っているから、きっとナイフの扱いはそこまで得意ではない。レパードがリュイスに渡したということは、まだそちらの方が勝算があると判断したのだろう。

 けれど、立ち向かっているリュイスは腕を痛めている可能性があるだけでなく、そのナイフは折られたのだ。ぶつかった音からして、僅かに刀身が残っている部分があるのだろうが、不利なのは言うまでもない。

「気を取られている場合か!」

 レパードの叱咤で、イユの反応が間に合った。目の前に踏み込んできたサロウの大振りの剣を右に避ける。髪を数本持っていかれたが、リュイスに気を取られて反応が遅れたのは、ほかならぬイユの失態だ。再び翻る大剣に、イユはその場で高く跳ぶことで避け切った。相手の頭上をも超え、相手の背後へと下り立つ。

 しかし、体を翻したサロウの怒りの目がそこでイユを射抜く。背後を取られたにもかかわらず瞬時に立ち直ったサロウから、再び剣が振りかざされた。

「くっ」

 背後ではくぐもったリュイスの声が漏れ聞こえる。気にならないと言えば嘘だ。それでも、今のイユに気を取られている余裕はない。続けて振り続けられる一太刀を躱す。

(絶対に、おかしい)

 相手は『魔術師』なのだ。本来のイユならば、サロウの動きを超えて、持ち前の速度で止めを刺している。それがいつもの、兵士を相手にしたイユの動きだ。

 それなのに、今はイユの方がサロウの速度についていくのがやっとだ。異能を発揮できていないわけではない。サロウが他の人間より頭一つ分抜き出て、速いのだ。

(こいつ、何者よ)

 理由は、魔術にあると言うことはわかる。イユが異能で常人にない速度を出せるように、サロウも魔術でもって常人の枠を外れているのだと。けれど、分かったところで対処ができない。むしろ、状況はイユに極めて不利だ。同じ速度の者同士がぶつかれば、有利なのはリーチの長い武器を持った者に決まっている。

「刹那、目を覚ませ!」

「目を覚ましてください!」

 レパードとリュイスが、必死に呼び掛けている。けれど、刹那からの答えはない。

 代わりに答えたのは、否、思わず漏れた嘲笑を隠せないでいたのは、克望だった。

「いや、失礼。無知とはここまで憐れに映るもの哉」

 サロウの大剣が迫ってくる。その刀身に、レパードの背中が一瞬映る。その背中だけで、レパードが怒りの視線を克望に向けているのが分かった。

 刀を再び避けて、あえて刀身に蹴りつける。左から蹴りを入れたことにより、イユの体全体は右からの力を受けてはじけ飛んだ。

 飛ばされている間も、その耳は、レパードと克望のやりとりを拾う。

「刹那を返せ」

「返せとは、おかしなことをいう。刹那は元々我の式神だ」

「式神?」

 イユの体が地面を転がる。それを追いかけるようにすぐ近くに大剣が突き刺さる。間一髪だったイユの体は再び転がって、飛び上がる。そこに、呆然と突っ立っているレパードと、幾千もの剣戟をぶつけあうリュイスと刹那の応酬が目に入る。

 式神。克望は確かに今、そう言った。それはレパードたちには、初めて聞く単語だった。

「そのとおり。其奴は我の傀儡よ。我の意のままに動き、従う。セーレに忍び込ませるのには苦労したぞ」

 イユはぐっと歯を噛みしめた。

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