その250 『空虚な再会』
「お待たせ」
ブライトの声が暗闇に反響した。
中央に一際目を引く壇があった。透明感のある黒塗りの壇は美しい円形をしていた。大理石をくりぬいて作られたかのようだった。
壇上までは下り階段が続いている。そして数段の階段の間を、椅子と机が並べられていた。机と机の間には通路を除いて一切の隙間がない。そのうえ、椅子全てに人が座ったら、数百人には余裕で入れそうな広さがあった。机の列は階段を数段下りるたびに現れることになるので、壇上から見上げれば、腰から上の人間がずらりと並んでいるのが見えたことだろう。
しかし、今日はそこに観客はいない。この空間にいるのはイユたちと、そして中央にいる三人だけだ。
ブライトが階段を下りていく。
続いて下りれば、壇の天井にあるステンドグラスが、光を浴びてきらきらと光る様が、視界に入った。ステンドグラスの絵には、九つの首を持つ龍が描かれていた。それを三つの方角から、三人の騎士が剣を構えて討ちとろうとしている。背景は青く、そこが空なのか海なのかは判別がつかなかった。
更に下へと下りれば、レパードたちにも壇上にいる者たちの姿が目に入る。
「刹那!」
壇上にいる一人目は、刹那だった。レパードの声にも反応することなく、あらぬ方向を向いている。垣間見る限り、その顔はいつも通りの無表情で、イユには彼女が何を考えているか全く分からなかった。
刹那の隣には男が立っていた。きらきらと艶のある黒髪を後ろに撫でつけるようにした男だ。刹那と同じシェパング特有の衣装を身に着けている。腰から下げられた朱色の鞘に収まった刀が目に留まった。
そして、刹那たちとは少し離れた場所でもう一人の男が立っている。がっちりとした体型と腰の大剣を見れば、警戒するなという方が無理だ。イユは男にぎろっと睨まれた気がして、ぎょっとした。
二組の後ろには、イユたちが今下りているのと同じ階段上の通路があった。それを見れば、彼らがどこから来たのかわかるかのようだった。すなわち、刹那たちはシェパング。そして、もう一人の男は、イクシウスだ。
「おめでとう、イユ」
壇上に到着してから、振り返ったブライトは、そうイユに告げた。
「十二年ぶりの再会だよ」
何を言われているのか、イユにはさっぱりわからなかった。きょとんとした表情を返すので精一杯だ。
ブライトも詳しく説明する気はないらしい。何事もなかったかのように、壇上に向き直ってしまう。
「ご無沙汰している、ブライト・アイリオール氏」
壇上にいた中ではじめに口を開いたのは、シェパングの装いの男だった。こうして近づいてみると、ミンドールと同じぐらいの年齢だろうか。しかし、ミンドールとは違い神経質そうな顔が印象的だ。
「こちらこそ、ご無沙汰だね。克望」
レパードがはっとした顔をする。イユもその名前に心当たりがあった。
「円卓の朋の一人……」
刹那がそう言っていたはずだ。抗輝と敵対しているもう一人の人物が、克望と言っていた。
刹那の方を見やるが、彼女は何もその瞳に映していない。ただ、ぼんやりと突っ立っている。イユたちをみても、何も反応がないのだ。
「刹那を返してください」
リュイスが警戒の色を隠さずに克望に要求する。
その様子を見て、克望はおやっと声をあげた。
「どうやら、そなたの客は事情を知らないようだが」
「秘密にした方が面白いと思って」
にこやかにブライトが返す。しかしイユはなんとなくその言葉がいつもより固いことに気が付いていた。ブライトも警戒しているのだ。他でもない、ここに連れてきたのは彼女だというのにだ。
「それは、粋なことだな」
反対側から声を掛けたのは、大剣の男だ。こうしてみると、年は四十後半、下手をすると五十はいっているのかもしれない。この中では最も年長者の風格が漂っている。
「それで、目当ての人物は一人だと思っていたのだが」
ブライトは、イユたちを振り返った。
「うん、あとはおまけかな」
そして再び、背中を向ける。
「堕ちた島の姫の供物は、そこの翠の髪の少年だよ」
レパードがかばうようにリュイスの前へと出た。
その様子を見て、克望が鼻を鳴らす。
「ふん。約束を違えて、我々の獲物を釣ってきたか」
「手柄を横取りしたのは悪かったって。あんな偶然、中々ないことだから、ついね」
イユは、ブライトと克望のやり取りをみて、これが『魔術師』同士の会話なのだとぼんやりと思った。それならば、やはり大剣の男も『魔術師』なのだろうか。イユはなるべく視線を合わせないようにした。何故か、どんな顔をして相手をみればいいのかわからないでいた。
「それで、おまけの中身を聞かせてもらおうか」
大剣の男の発言に、ブライトはにこりと笑った。
「中身も何もあまりにも奥さんにそっくりだから、一目で分かったんじゃない」
大剣の男は、それに取り合わない。
「貴様が何を言いたいか露ほどにも分からないな」
ブライトは少し頭を掻いた。
「そう?サロウ・ハインベルタともあろう人が、ずっと探していたご息女を見て、わからない?」
ハインベルタ家。その単語に、ようやくイユは先ほどのブライトの発言と結びつけて、大剣の男をじっくりと見た。
白髪の混じった茶髪の髪、鋭く細い瞳は灰色をしていて、鷲鼻が目立つ。屈強な体つきには似合わない純白の制服。よく見れば、その制服にイクシウスの紋章が描かれている。アズリアたちと同じものだということに今更ながらに気が付いた。それでいて、どうしても腰の大剣に目が行く。豪奢な文様が細かく描かれた鞘に、そこから出た柄の装飾から、業物と思われる貫禄が滲み出ている。
(この男が、私の父親……?)
似ても似つかない。そうだと言われてもまるで実感がない。
男も男だった。イユの方をじっと見るが、その目は微かな揺れも見せず、ただ静観している。そこには親子の再会を感じさせる感動も、感涙も、何もなかった。ただ、空虚だった。
「何かの間違い、よね?」
そう言いたくなるイユの気持ちも、慮ってほしいぐらいだ。
しかし、その場に漂ったイユの言葉に、誰も答えはしなかった。まるでここにイユ本人などいないように、淡々と目の前で会話が繰り広げられていく。
「アイリオールの魔女は、何かを勘違いしているようだが」
男は顎髭に手をやって、掻いた。
「私の妻も娘も、『異能者』に殺られて、この世にはいないのだ」
男の言葉はどこまでいっても平たくて、まるで書物を淡々と読み上げているように響く。
「そう?じゃあ、このおまけは無駄だったってことかな」
「いいや」
男の手が、大剣の柄へと伸びた。
イユは反射的に、半歩下がった。何故だろう、男との出会いに感動も何もなかったはずなのに、男が構えた途端、足が震えるのを止められない。
「私が施設長の座についてから、この者をずっと探していたのは本当だ」
男の足がイユの方へ一歩進む。それを見たイユの足も一歩下がった。
「如何せん、施設長に成り上がるまでに時間を要してしまってだな」
男の灰色の瞳が、イユを見下ろしている。レパード以上に身長が高いせいで、まるで熊と遭遇したかのようだった。その男から伸びた影が忍び寄ってくるのに耐えられなくて、また半歩下がった。
「施設長になってから散々探したのだが、その時にはもう掃き溜めにいたのか、見つからなかった」
掃き溜め。それはきっと、異能者施設でイユがいたあの場所だ。何人もの女たちが、必死に少ない食べ物を取り合う光景が浮かぶ。イユを助けてくれたあの女の、無残な死が蘇る。あの地獄のような場所を指していることだけは、唯一理解できた。
「だが、これでようやく目の前に機会が転がってきた」
男が更に一歩迫る。男の歩幅は大きいのだ。イユは距離を保つために更に下がった。
歯ががちがち鳴っていた。何かが頭の中で警鐘を鳴らしていた。それなのに、ブライトがにこやかに声を掛けてくる。
「イユ、何を怯える必要があるのかな」
その言葉に、呆気に取られてみていたレパードたちの方が、初めてイユの様子に気付いた顔をした。
「違っ……、怯えてなんて」
そこは否定したかった。でも、イユの手のナイフがかたかたと鳴っているのだ。収まるように、何度も言い聞かせているのに、言うことをきかなかった。気を落ち着かせるには他のことを考えればよかった。それなのに、目の前の光景が、イユに思考の余裕を与えない。迫ってくる男の影から逃れようと、イユはまたしても一歩下がった。
「ナイフはいいよ、もう捨てちゃって」
ブライトの言うことを聞いたわけでもなかったと思う。ただ、ナイフがイユの手から零れ落ちた。その、かたんという音が、やけに響いた。
「代わりに、逃げないでね」
宣言されて、イユの足が止まった。
「あぁ、感謝するぞ。アイリオールの魔女よ」
男が腰の大剣を引き抜いた。赤い刀身をした、それは見事な剣だった。
「これで、妻と娘の仇が取れるというものだ」
刀身が淡い光を纏った。




