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カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
245/991

その245 『力なき者』

「ほら、ちゃんと皆で分け合いなさいよ。ヴァーナーだけで食べたら承知しないから」

「誰が食べるか」

 ヴァーナーは、リーサから籠を受け取ると、中身を確認する。中身は、下の階で食事を惜しんで仕事をしている船員たちの分全員の飴とクラッカーだ。

「あとこれね」

 追加で渡されたのは、水筒だ。中に半分ほど水が入っている。飴とクラッカーに比べて明らかに量が少ないが、これで全員分だろう。

「お前らの分はいいのか」

 気遣うヴァーナーのその言葉に、リーサは首を横に振った。

「私たちは平気よ。それより動いている人たちを優先させないと」

 この暑さでは熱中症になってしまうとリーサは言う。

 その通りだった。特に地面に近い船底は、外に出ている甲板員よりましとはいえ、暑い。

 しかし、ヴァーナーから見れば、リーサたちもいつも以上に働いている。ヴァーナーの視線の先では、余った布で繕われたと思われるテーブルクロスがある。ついこないだまでぼろぼろだった食堂をここまで直したのはほかならぬリーサたちだ。そして、今は食糧や水の問題に悩ませながら、少しでも満腹を感じるレシピを提案するなどして対応している。リーサなどは根気を詰めやすいので、頑張りすぎて倒れやしないかと不安になるぐらいだ。

「お前らに倒れられたら、それはそれで大変だろ」

 ただリーサのことが心配だと、それを口にできないのはヴァーナーらしいといえばらしかった。

 リーサもそれに対して、「分かっているわよ」と軽く返す。

 きっとわかっていないと思ったが、ヴァーナーは口に出さなかった。

「それより、そのカメラ。イユに貸していたものよね?」

 籠のなかに一緒にしまおうとしているカメラに目を留めたらしく、リーサが質問をする。

「あぁ。現像しておいてくれだと」

 言われたとおり現像をしたところだった。ついさきほど自身の部屋でその作業を行い、寄り道がてら食堂に行って、地下に戻る予定だったのだ。

「そう、なんだか意外。ちゃんと現像してあげているのね」

 ポケットに入れてあった写真を同じように籠の中に入れようとしたところで、ヴァーナーの手が止まる。折角ならとリーサに見せると、リーサも黙って受け取った。

 順番に写真をみていくリーサが微笑む。優しい笑みにヴァーナーの心臓が、びくっとはねた。いつも怒りっぽい彼女の不意打ちが、心に悪い。

「いい写真ね」

「あ、あぁ」

 声がどもらないようにするのに、精一杯だった。手汗を掻いている自分に気が付いて、慌てて見つからないようにズボンで手を拭く。

 そうしてから、リーサが一つの写真をじっと見たままなのに気が付いた。優しい笑みを浮かべる彼女の視線の先には笑顔の刹那が映っていた。こんな顔をするところを正直にいってヴァーナーは見たことがない。リーサも同様のことを思ったのだろう。まさに、ベストショットだった。

 その時だ。

 食堂に置かれた、伝声管から鈍い音が響いた。

「何?」

 小さな音だ。だから、よく聞いていないとそれとも分からない。耳を澄ませていると、再び鈍い音が響いた。

「何か、あったのか?」

 誰かが伝声管の蓋を外したままにしているのかもしれない。それで外の音を拾ったのだ。そう考えるのが妥当だった。けれど、言い様のない不安が自身の胸に沸きだすのも感じる。

 ヴァーナーは籠を置いた。

「ヴァーナー?」

「気のせいだったらいいが、念には念だ」

 無意識に腰のナイフに手をあてる。正直にいって、腕に覚えはない。ヴァーナーの仕事は機関室にある。機関室に武器は必要ない。

「リーサ、センさんを呼んできてくれ」

 こくんと頷いたリーサの目が、ふいに揺れる。ヴァーナーははっとして振り返る。

 隠してあった大穴のあて布が、ざっと破られた。刀を手に、四人の人間が駆け込んでくる。誰もが、顔を黒いあて布で覆っている。そのせいで、男か女かは判別がつかない。ただ体つきだけならば、非常に華奢だ。それどころか、ヴァーナーよりも頭一つ分以上小さい。子供にしか見えなかった。

「誰だ、お前ら」

 リーサを後ろ手にかばいながら、ヴァーナーは叫んだ。今、食堂にいるのはリーサとヴァーナー、奥の厨房にセンとマーサがいる。数だけならば四対四であるが、リーサとマーサは戦えない。そのうえでヴァーナーは腕に自信がない。あくまで機械をいじるのが趣味の少年に過ぎない。そして、センもこないだの魔物騒ぎでは活躍したそうだが、本職は料理長だ。戦力として期待してよいとは思えなかった。

 そのうえで、目の前の四人は刀を手に持って、隙の無い構えでこちらに迫ってくる。その気迫で分かる。相手は子供であっても自分より腕の立つ人間だと。更に残念なことに、彼らはヴァーナーの質問に答える素振りを見せない。子供だというのに一言も声を出さず、まるで作業をこなすように着々と近づいてくる。その動きから分かる。彼らは決して言葉でどうにかできる類の人間ではないのだ。暗殺者かそれに類する類いの集団だろう。ヴァーナーの頭の中で、警鐘が鳴り続ける。

「ヴァーナー……」

 泣きそうなリーサの声に、気力を振り絞って腰のナイフを引き抜いた。不安は疑問になって、頭の隅でちらついている。今ここに四人が食堂に攻め入っているということは、甲板にいた見張りの二人はどうなったのか。食堂と甲板の間の通路に船員はいなかったか。甲板から最も近い医務室にはレヴァスたちがいたはずだ。彼らは果たして無事なのだろうか。

 四人がゆらりとヴァーナーを取り囲んでいく。その動きはまるで幽鬼のようにふわりとしていて、足音が聞こえなかった。

 ヴァーナーはナイフを構えながら、隙を見せないよう必死にその動きを目で追う。ナイフがかたかたと震えているのに気が付いて、両手で抑えた。せめてリーサだけは守らねばならない。

 その時、厨房から唸り声が響いた。

 四人と二人の視線が、自然と厨房にいく。そこにまっすぐに突き進んでくるのは、包丁を構えたままのセンだ。

 センは一番手前にいた一人目にぶつかっていく。唸り声とも喚き声ともつかない怒涛の声と気迫から、ヴァーナーは恐怖でナイフを落としそうになった。こんな形相のセンの姿を、過去に一度も見たことがない。四人の襲撃者が幽鬼ならば、こちらは悪鬼のようだった。いや、どちらかといえばセンの場合、狂戦士がしっくりとくる。そう思わせるほどに、センが怒り狂っているように見受けられた。

 襲撃者の一人が刀でセンの包丁を受けるが、勢いに押されたまま、テーブル一個分は後ろに引きずられる。子供なだけあって、力では押し負けるのだろう。壁にぶつかる音が鈍く響く。

 それでも、襲撃者は刀を離さない。包丁で押し込むようにセンが歯を食いしばっているが、これ以上は抑え込めないらしい。刀は折れやすい構造をしていると聞いたことがあったが、扱い方次第なのだろうか、折れる気配など一向になかった。

 決定打を与えられないということは、センに不利に運ぶということだ。仲間を助けようとしたもう一人が、センの背後から刀を振りかぶる。

「センさん!」

 リーサの叫び声に、センが反応した。ばっと横に飛びのいたのだ。その動きはあまりにも早くて、レンドやアグルにも匹敵しそうだ。料理長がここまで戦えるとは知らなかった。

 刀が空を切る。その間に、センが刃物を振り下ろした一人に向かって、包丁を突き立てようとした。

「リーサ、こっちだ」

 センに駆け寄ろうとしていたリーサを見て、ヴァーナーが慌てて下がらせる。その視線の先に、刀を構えてこちらを凝視している人物がいる。センの活躍を呆然と見ている時間はない。ヴァーナーが相手をするべきはこの人物だろう。

「来いよ」

 ヴァーナーの挑発の声に、相手が乗った。刀をすっと構えて、飛び込んでくる。

「ヴァーナー!」

 怖くなったのだろう、リーサの悲鳴が上がる。

 実際に襲撃者に飛びかかられると、その速度は桁違いだった。よくセンが対処できていると感心する、その時間もない。ヴァーナーは近くのテーブルからクロスを引き抜く。

 袈裟斬りにしようと構えた相手へと、そのクロスを上からかぶせてやった。

「いまだ!」

 クロスをかぶせた相手が一瞬ひるんだすきに、リーサの腕を引きながら、階段を駆け上がる。

 自身の腕では歯が立たないことを自覚しているヴァーナーは、ひるんだ隙を見てナイフで斬りつけるということはしない。きっと相手はクロスぐらいなんなく対処してくる。これぐらいのハンデがあったところで、適うはずがないことは重々承知だ。

 それに、わざわざ自分の苦手なナイフで戦う必要は皆無だ。ヴァーナーにはヴァーナーなりの戦い方がある。折角リーサたちが修繕したばかりのクロスだろうが、こうして延命の役に立ってくれるなら使う。それが、ヴァーナー流だ。

「ヴァーナー、マーサさんは!」

 縋るようなリーサの声に、ヴァーナーは首を横に振った。こんな時に人の身を心配できるリーサに感心する。ヴァーナーの頭の中は、逃げることでいっぱいだ。とにかくこの場を乗り切るには、少しでも戦力のいる部屋に駆け込む必要があると考えていた。甲板員が散らばっていると思われる今だと、確実なのは航海室だ。あそこには最低三人の船員がいて、ギルド員で構成されている。つまり、ヴァーナーたちよりよほど腕が立つ。

「まだマーサさんはあいつらに場所が割れていない、祈るしかねぇ」

「そんな……」

 そんな会話もしている余裕はなくなった。

「リーサ、先に行け!」

 階段を駆け上がっている最中に、後方から気配を感じたのだ。とにかくとリーサを追いやる。

 リーサはたたらを踏みながらも、振り返る。

「行け!」

 声の出る限りに、叫んだ。何が何でもリーサには生きていてほしかった。

 リーサの瞳が、見開かれている。その瞳に、ヴァーナー以外の人物の影が映っていた。

「早ぇよ!」

 反射的にナイフを構えたのは、なんだかんだでセーレでの生活が長い証だ。ミンドールは定期的に機関部員にも訓練をつけていたから、その経験が役に立った。

 初回は防いだ。続いてくる衝撃に、二回目も防いだと気づいた。

 そして、カンッという高い音とともに、刀の勢いをはじいたナイフが宙をとんでいった。

 そこではじめて、自分が襲撃者の振り下ろした刀を三回も防いだのだとはっきりと自覚した。実をいうと、相手の動きが全く追えていなかったのだ。そして、こんな偶然がもう続かないことも同時に悟っていた。再びこの手に武器が戻ろうと同じことだ。これほどの力量さのある相手を前にして、ヴァーナーに逃れる術はなかった。

「ヴァーナー、これ!」

 リーサの声とともに、ヴァーナーの後ろに何かが置かれる。それが何かも確認しないままに、思いっきり掴んで振りかざした。

「って、椅子かよ!」

 リーサが、武器になりそうなものを持ってきてくれたのはありがたかったが、せめてクロスの類だと思っていた。

 完全な鈍器を結果として振りかざしたヴァーナーは、椅子が襲撃者の頭にぶつかる瞬間を目撃する。相手もいきなり椅子をぶつけられるのは予想外だったのか、まともに食らったのだ。これは絶好の機会だった。よろめいた襲撃者にせめて椅子を投げつけることができたら、きっとこの幅広の階段から転げ落ちていってくれたに違いない。

 しかし、鈍器を振りかざした勢いで同じようにヴァーナーもよろめく。力任せに振りかざした結果が、ここにきてしまった。

 折角の機会は、リーサがもっていった。

「えい!」

 気の抜けるような、しかし本人には精一杯の掛け声で、テーブルクロスがばさっと襲撃者に掛かったのだ。二回目といっても、今の襲撃者に避ける余裕はない。思いっきり被ってしまい、白いお化けがもぞもぞと動いているようにしか見えなくなった。

 ここまでくると、子供なことも相まってかわいそうにも思えたが、今しがた命を狙われたのが事実だ。態勢の立て直したヴァーナーが、椅子を襲撃者に投げた。

 椅子が直撃する嫌な音が響く。まともに椅子を食らって後ろに倒れた襲撃者が、ころころと階段を転がり落ちていく。

 その動きがあまりにも軽くて、ぞっとした。人を階段から突き飛ばしてしまったという衝撃で、膝ががくがくと震えている。しかし同時に、人ではない何かを相手に戦ったような違和感がそこにあった。見た目は間違いなく子供だった。しかし人が落ちたら、こんな軽い音ではすまない気がしたのだ。

「センさん!」

 悲痛なリーサの声に、はっとする。視界の端に、センが力なく崩れていく瞬間が映った。刀の柄で頭部を殴られたらしい。一人が折れた刀の柄を握りしめていた。もう一人は、崩れるセンの隣で、ことんと首を傾げる。その動作が誰かを連想させた。それが分からないままに、ヴァーナーは暗い気持ちになる。いくらセンでも二人を相手にして戦うには、分が悪かったのだ。

 それから、今階下にいるのが三人だけなのに気が付いた。センを取り囲んでいる二人に、椅子をまともに食らって転がっている一人だ。けれど、襲撃者は全員で四人だったはずだ。

 背筋が冷えた。

「リーサ!」

 危機を感じてリーサを振り返ったヴァーナーの視界に、リーサと、その背後に迫る黒い影が映った。迫る刀を見て、走り出す。理性や思考など吹き飛んでいた。ただ本能のままに、リーサは斬らせまいと駆けつける。リーサをその背で庇った。

「くそっ!」

 間に合った。リーサは無傷だ。けれども、背中からくる痛みに、容赦なく刺されたことが分かった。

「ヴァーナー?嘘……。ヴァーナー、しっかりして!」

 悲鳴がリーサの口から洩れる。

 (何やっているんだよ、俺)

 そのリーサの声を聞いて、ヴァーナーは遠くなる意識の中、そう呟いた。イユのことなど何も言えない。改めて無力な自分を罵ってやりたくなった。

(俺がリーサを悲しませてどうするんだよ)

 絶対にこんな思いはさせたくないと思っていたのだ。それなのに、叶わなかった。リーサの悲痛なまでの叫びが、意識が闇に沈む最後の最後まで、ヴァーナーの心を抉った。

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