その242 『希望をください』
甲板の手すりに乗り出すようにして、外の景色を見ている少年少女たちがいた。
船の末端、甲板の一番奥で積み荷の状態を確認しているミンドールの耳に、彼らの話し声が聞こえてくる。
「……それでそれで?それからどうなったの?」
興味津々といった様子を隠そうとせず、身長の高いレイファを見上げる形で乗り出しているのは、最近入ったばかりの新入りの少女だ。ジュリアと違って、おっとりとはしていない。どちらかと言えば、明るくしっかりとした少女だ。これでジュリアと同い年らしい。耳につけたシンプルなイヤリングが陽光に当たってきらりと光っていた。
「どうってそんなに気になる?大体予想通りだと思うわ」
レイファは三つ編みをいじりながら、風を浴びている。その隣で、マシルが読書をしていた。彼らは今、休憩時間なのだ。
「結局、あの飛行船の生き残りは、シェルだけだったわ。後で聞いたところによると、それなりに有名なギルドだった。『世界樹の根』って、リアも聞いたことがあるんじゃない?」
レイファの確認に、リアが頷いている。
「知っているわ。それほど有名なギルドなのに、なんで魔物に易々とやられたのかしら」
レイファの代わりに答えたのは、読書をしていたマシルだった。
「シェルの話では、ギルド長、シェルのギルドでは首領っていうらしいが――、が判断を誤ったらしい。ありえないことに、見張りを置かないと言い出したんだ」
「は?」
それはあまりにも無謀なことではないのかと、リアの顔が物語っている。
「前からそうなんだと。事の発端は、魔物狩りの専門家たちとの金銭を巡っての諍いらしい。金額があまりに高いとかで、揉めた結果、見張りがいらないとかいう話になったと。結局一人は置いたらしいけれど、ギルド長がそんな話をしだすのは最近よくあることで、おかしなことを言いだすから、少しずつ離反者も出ていたと聞いている」
「大きいギルドなのだから、それなりの判断のできる人だと思っていたのだけれど」
マシルが嘆息した。
「ギルドに珍しいことに、……その、結構なご老体だったらしいから、影響しているんだろうな」
あぁ、とリアが溜息をついた。
面白くもなんともない、悲惨なだけの話題だ。ミンドールは一つ目の積み荷を確認し終わると、箱にしまいだす。積み荷の一部が、水に触れてダメになっていた。雨の類には気を付けていたというのに、全くどうしてか、この世の中は理不尽だ。
「それで、シェルは今も見張り台にいるから無事として、そのジュリアって子はどうなったの?今は、いないわよね」
がたっと無造作に置いた積み荷の一部が崩れた。ミンドールは嘆息しながら、積み立てだす。あそこで休憩している少年少女たちに手伝ってもらうのも手かもしれない。
「他でもない、あなたがジュリアの代わりだしね」
ジュリアの穴が埋まるまで時間がかかったの、ようやくだったわ。とレイファが話す。
ここまでの会話は、リアにセーレの環境に慣れてもらうための時間でもあった。リアは自身が『異能者』なせいで、どこか周囲に壁を感じている。確かに、いきなり飛竜になってみせたリアに皆驚いたものだが、うちは魔法に慣れているものばかりなので心配ないということをミンドールとしては伝えたかった。この休憩はそのために与えた意味のある時間なのだ。
そう呑み込むことで、再び積み荷を整えだす。再度崩れるのに時間はかからなかった。どうも今の場所が、安定していないらしい。
「ジュリアは命には別条はなかったわ。でも、片目は失明してしまって、顔半分は包帯で覆う生活が続くことになったの。御洒落好きなジュリアには、堪えたと思うわ」
「ジュリアは、利き腕に麻痺が残り、セーレを去った。それで終わりだ」
どこかばっさりとマシルが言い捨てる。
ミンドールは、彼らが暫くの間手紙をやり取りしていたのを知っている。けれど、それもある日を境にぽつりと途絶えた。
片目且つ利き腕が不自由になった人が生きていくにはどのような方法を取るだろう。
ジュリアがあの年でいくつものギルドを経験してきたという事実と合わせて考える。ギルドで雑用の類いを選ばなかったあたり、お金には困窮しているのだろう。魔物狩りは危険だがその分給金は弾む。五体満足なら、続けていたことだろう。
しかし、それはもうできない。眼帯のレパードは『龍族』だからどうにかなっている部分がある。そのレパードも、利き腕は問題なく動くのだ。確かに相当な手練れであれば、魔物狩りをして生きることはできるかもしれない。けれど、ジュリアはあの年では下手な大人より強かったが、それだけだ。仲間のサポートがなければ、まずやっていけないだろう。
せめてみてくれが良ければ、魔物狩り以外の仕事で給金が弾むものもあった。しかし、左の顔が怪我だらけな有り様ではもう難しい。それに、ジュリアのような子たちは、大抵他の生き方を選ぼうとしない。大体が、ギルドに助けられた孤児たちなのだ。彼らはギルドに支えられている。そして、マドンナは最も重宝する魔物狩りを特に推奨している。結果として、彼らはそれ以外の生き方をよく知らない。ミンドールが提供できたら良かったが、彼自身カルタータからきた、この世界からみれば余所者だ。ツテもなければアテもなかった。
ギルドは、若者たちの犠牲の上に成り立っている。そのなかに、ジュリアも入った。そういうことなのだろう。
ミンドールは知らず歯噛みをしていた自身に気付いた。ジュリアがセーレにいたのは一年程度。気にならないはずがない。マシルやレイファも素っ気ないように見えて、一番気にしているのは知っていた。
だから、悔しい。ミンドールは、引き留めたのだ。セーレを去ると言い出したジュリアに、遠慮はいらないといった。その気になれば、中での仕事もある。だから、いてほしいと。
しかし、ジュリアは笑って言うのだ。片目の孤児がいても邪魔になるだけだと。そんな孤児を養えるほど、セーレは大きくないだろうと。
「それに気を遣われて生きることを選ぶつもりはないかな」
ジュリアの言葉が、昨日のことのように思い出される。
彼女曰く、その生き方を選んでしまったら、今までのレイファたちとの関係は崩壊する。そんな生き方はしたくないと。
ふいに、髪を弄っていたレイファが、体を手すりから起こした。
「あの子は猫みたいだったわ」
レイファの唐突な言葉に、リアが首をかしげている。
「猫?それは、自由奔放ということかしら?」
レイファはこくんと頷いた。
「それに、気ままで自分の生きたいように生きるわ。戦ったらすぐにぐしゃぐしゃになるのに、お洒落なんかに夢中になれるし、ほんと羨ましいくらい」
レイファの言葉を聞いて、思う。確かに、ここを去ることで、ジュリアはジュリアで居続けることにしたのだと。そうすることで、彼女は自身の矜持を守ったのだと。
それでも、やはり哀しかった。自分より若い者たちが、死地へと飛んでいくのが虚しかった。そこに、彼らなりの生き方があったとしても、もっと長生きしてほしいと思うのが人の性だ。
「それなら、私は犬だわ」
リアの言葉に、レイファが目を丸くする。
「何、自由奔放にはなれないってこと?」
「それもあるわね。レイファもどっちかっていうと、犬っぽいわ」
きっとミンドールは、こうしてたわいもない話をする彼女たちにもっと今の時間を堪能してほしかった。彼らがきらきらと笑うだけで、希望が見える気がした。
「あなた、面白いことを言うのね」
シェルが、上空から「おーい」と声を張り上げる。
ミンドールは、ふと、ラダの言葉を思い出した。グラスを仰いだラダが、「そうかい?てっきり娘と重ねたいのかと思ったさ」と告げた光景が蘇る。ぐりぐりと心を踏みにじられた気がした。
彼女たちの幸せを祈っているのは嘘ではない。しかし、ミンドールの頭にあるのは常に行方知れずの娘のことだった。ミンドールは彼女たちに娘を重ねながら、縋っている自身に気がついた。ラダの指摘は間違っていないのだ。彼女たちに生きていてもらわないと、行方不明の娘の安否が遠くなる気がしてしまっている。だから、生きてほしいという、自身のあまりにも身勝手なエゴが、確かに存在していた。




