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カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
241/992

その241 『死に急ぐ若者たちへ2』

 はじけ飛んだ扉の奥に、赤い瞳が鈍く光った。黒い毛が開いた部屋の中いっぱいに詰まっている。

「ジュリア!」

 危機を伝えるマシルの声に、ジュリアがはっと扉の方に向き直る。その手には既にナイフが握られていた。

 しかし、襲来した魔物の方が一足早い。部屋から一目散に飛び出すと、その大きな嘴をすぐさまジュリアに振り下ろす。

 それでもジュリアは何とか応戦した。嘴が自身の脳天に振り下ろされるその瞬間に、咄嗟にナイフで身を庇ったのだ。このわずかな時間にそんなことができる者は中々いない。ジュリアだからこそできた芸当だ。

 だが、ナイフ程度で嘴は防ぎきれない。ナイフにヒビが入った音が、響いた。次の瞬間、ナイフが粉々に砕け散る。鮮血が散った。

 助けようとマシルが走り出したが、その時には魔物は部屋の外に半分以上飛び出していた。羽で思いっきり弾き飛ばす。マシルが壁にぶつかる、鈍い音が響いた。

 ジュリアは何とか距離を稼ごうと、足を引きずりながら後方に一歩下がったところだった。幸い、生きてはいた。ただ、右足に加えて、腕もやられたらしい。その細腕からぽたぽたと赤いものが滴っている。使い物にならないらしく、利き手ではない左手でナイフを握っている。しかも、そのナイフは真っ二つに折れていた。まだ抜いていない予備のナイフはあるはずだが、利き手でない手がどこまで通用するかは分からない。だから、ジュリアはそれを抜く時間よりも距離をとる方を選んだのだ。そこにはきっと、魔物に対して気が退けていたのもあるだろう。

 魔物を前に逃げようとした。その行動が、明暗を分けたのかもしれない。

 魔物は、血の匂いに飢えていた。手と足から滴る鮮血がその本能を揺さぶった。それは、レイファが羽を斬りつけようとも気にならないほどだ。本能のままに床から抜き取った嘴を持ち上げて、目的の相手へと向ける。

 せめて、あと一歩早かったらレパードの魔法が間に合った。せめて、あと少し早く動けたら、ミンドールがジュリアの元に駆け付けることができた。

 全てが、間に合わなかった。

 ジュリアが痛々しい悲鳴をあげる。地面にのたうつその姿に、魔物が更に興奮しだしたようだった。仕留めるべく、その頭上へ嘴を振り下ろそうとする。

 そこに、レパードの放った青い光が、今になってーー、はじけた。

 目をやられた魔物が、大きく仰け反る。ジュリアの元に駆け付けたミンドールは、すぐさま魔物の喉仏に斬りつけた。

 魔物が、白目を剥いた。床へとその首が崩れ落ちる。倒したとはわかっていた。それでも、ミンドールは魔物の目に、自身のナイフを突き刺した。魔物は一瞬ぴくっとしたが、すぐに反応を示さなくなった。

「ジュリア、大丈夫?!」

 後方で、レイファの駆けつける音がする。

「ジュリア、しっかりしろ!ジュリア!」

 レパードの動揺した声が、痛々しい。それは、レイファが驚いて立ち竦むほどだった。

 レパードは、ジュリアの体をゆすって、何度もジュリアの名前を呼んでいる。

 人の死を多く見てきたはずだが、そうであるからこそだろうか、数を重ねる度に必死さが増していく。ミンドールはラダのことを危ういと思っているが、レパードもまた諸刃の剣のようだと、感じている。最も、人のことは言えまい。

 皆がジュリアを助けようと、彼女を取り囲む。

 ジュリアは、右手と右足のほかに、左の顔をやられていた。目のあった部分を抑えて、呻いている。編み込まれた前髪はほどけて、血に染まっていた。頬にも傷が入り、あまりにも痛ましかった。

 すぐに、止血の作業に入る。携帯している応急セットを取り出す。一番ひどい目をどうにかしようと、包帯を巻こうとするが、みるみるうちに赤く染まっていく。

「待っていて、すぐにセーレに戻って治療するから!」

 レイファの声を聞いたジュリアが、呻きながらも彼女の腕をつかんだ。

「レイファ、待って。音が、したの」

 その音は、魔物がやってきた音だろう。そう思っていた。しかし、彼女はそんな皆の表情を読んだように、続ける。

「部屋を探して、みて。ひょっとする、かな……」

 ことりとレイファを握る手が落ちる。

 レイファが真っ青になった。

「ジュリア!ちょっと、ジュリア!」

 揺さぶろうとするレイファに、止血をしようとしていたミンドールが止める。

「大丈夫、気を失っただけだ」

 マシルが、レイファの肩に手をのせた。

「マシル……」

 いつも強気なレイファが、落ち込んだ表情を見せている。それもそうだろう。ジュリアがこんな状態になるなんて、思いもしなかった。

 ミンドールは歯を食いしばる。こんなことなら、救難信号が出ていようがこの船に乗らなければよかったのだ。ギルドの風習だろうがなんだろうが、知ったことではない。もし未来を知っていたら、こんな失態は絶対に避けただろう。

  畜生、とレパードが拳を握りしめて床を叩いた。その手が異様に白くなっていた。

「ジュリアの願いだ。見てみよう」

 マシルの言葉に、レイファが唇を引き結んで、頷いた。覚悟を決めたレイファの行動は早い。

「ミンドール。お前も部屋を見てこい。ここは俺一人でいい」

 レパードの言葉に、ミンドールは頷いた。レイファたちは今、感傷的になっている。魔物がまた現れた場合に、どうなるか分からないのだ。年長者がついていくべきだった。

 最も、誰よりも仲間の死に敏感になっているレパードのことも気にはなる。だが、彼はまだ、正常な判断ができている。目の前で何が起きたとしても、注意力が散漫になることはない。だから、船長なのだ。

 ミンドールたちが部屋に入ると、そこには血に染まったテーブルが置かれていた。ミンドールは一度この部屋に入ったから知っている。テーブルには血だらけの死体があった。今、その死体は奥にあったベッドまで飛ばされている。代わりに、その近くに大きな穴があいていた。ミンドールたちと入れ違いになる形で魔物が移動したのだろう。はじめに部屋を見たときには、この穴はなかった。

 他にあるのは、戸棚に、椅子。キャビネット。シンプルな部屋だが、セーレの部屋と比べてもシャワーの類がないだけで遜色はない。ただ、血にまみれてさえいなければ。

「この戸棚……」

 マシルが何かに気付いたように、戸棚に近づいた。それで、ミンドールもようやく違和感に気付く。戸棚の中から、一筋の血が流れていたのだ。他は全て血が飛び散っているにもかかわらず、ここだけが中から流れてくる。

 マシルが戸棚を開けようとする。しかし、ガタッという音が聞こえただけで、開かない。中に何かつかえているのかもしれない。もう一度、マシルが力を込めて引っ張る。それでもだめだ。

 マシルは刀を構えた。戸棚の隙間に小指程度の深さですっと刀をいれると、かたんと、中で何かが落ちた音がした。

 今度、マシルが扉を開くと、嘘のようにその扉が開いた。あっと、その場にいた全員が声を挙げる。

 マシルにもたれかかるようにして崩れた影があった。血にまみれているが、間違いない人間だ。それも少年だった。

「嘘?!」

 人が倒れてくると思わなかったのだろう、レイファが声を挙げる。

 マシルが抱えると、少年はぐたりとしたまま反応を示さなかった。だから死んでいると思ったのだ。

「こいつ、生きているみたいだ」

 マシルの言葉に、ただただ驚くしかなかった。少年もまた、酷い状態だったのだ。あちこちが血にまみれているだけではない。背に引っかけられたような生生しい傷があり、衣服ごと破られている。頭もぶつけたらしく血が流れ、腕や足も傷だらけなうえ、あらぬ方向に曲がっている。五体満足な死体はここでは珍しいとはいえ、土気色の顔からはまるで生気は感じられなかった。それに、その少年はレイファたちより遥かに幼い。まだ十二歳ぐらいではないだろうか。この傷で、生きていられるとは思えなかった。

「マシル。彼を運ぶから、先導を頼む」

 ミンドールはすぐに指示を出すと、その少年を背負った。廊下に出れば、止血をすませたレパードがジュリアを抱えようとしていたところだった。

 ミンドールの背に少年がいるのを見たレパードの目が、一瞬驚きに見張る。それもすぐに引っ込むと、ジュリアを労るようにしかし、急いで抱えきる。

「行くぞ」

 レパードの声に頷いて、マシルが先頭を切って走り出す。レパード、ミンドールと続き、しんがりはレイファだった。

 レパードの腕のなかで、ジュリアが揺られている。包帯で止血された手足がだらりと伸びている。応急手当てがすんでも、こうして揺らしたくはなかった。せめて、担架があればよかった。いつも思う。必要なときに必要なものが用意できない。そのせいで手遅れになることだけは、絶対に避けたかった。

 ぎゅっと、レパードの腕に力がこもる。ミンドールはレパードの僅か後ろを走っているから、表情は見えない。けれど、その背中はどこか寂しくて、まるで大の大人が泣いているように思えた。

 外に出ると、船員たちが騒然としながら待っていた。甲板に、先ほどまではなかった黒い羽が舞っている。魔物の死骸が切り刻まれているのを見つけて、リュイスの魔法だと悟った。あんな切り方は、他の船員では絶対にできない。

「怪我人、早く連れてきて」

 刹那が待てずにセーレの甲板から声を張る。

 ミンドールたちは、必死に怪我人を受け渡した。すぐに船員たちが奥へと運んでいく。

 レヴァスによる治療が始まった。

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