その24 『二日目(後半)』
食堂は閑散としていた。
刹那やリュイス、レパードの姿もない。かちゃかちゃと食器の洗う音が聞こえてくる。厨房で片付けをしているのだろう。
「このあたりに座りましょうか」
リーサに近くのテーブルへと案内され、大人しく席に座る。誰かが使っていた後らしく、少し椅子に熱を感じた。
「あらあら、遅かったわねぇ」
声に顔を上げると、トレー片手にマーサがやってくるところだった。すぐにイユの前に食事が置かれる。つやつやと光った白米は皿いっぱいに盛られている。ぷっくらと黄身の部分が膨らんだ目玉焼きに、昨日の生ハムが添えられている。サラダもしゃきしゃきとした鮮やかな黄緑色の葉にトマトの瑞々しい赤色と、目に鮮やかで食欲を誘った。
「手伝います」
早速フォークを手に取り掛けたイユの前で、リーサが席から立ち上がる。そこに声が掛かった。
「いいのよ、リーサちゃん。折角なのだから座ってなさいな」
すとんとリーサが腰を下ろす。動いていないと落ち着かないのだろう。何か言いたそうな顔でマーサを見上げている。
そうした彼女のことをよく分かっているらしく、マーサは穏やかな顔で手を合わせた。
「私もこれから休憩なの。よければ一緒にご飯に混ぜてもらえるかしら?」
断る理由は当然ない。頷く二人に、マーサは三人分の食事を手早く用意する。最後に三人分のグラスに水を入れると、席に着いた。
「いただきます」
律儀に手を合わせて、食事会が始まった。驚くほどに和やかな食事だ。昨日の食堂のように周囲から鋭い視線で見られることもない。汽車のなかで鼠とともに隠れて食す必要もない。何事の脅威もなく、ゆっくりと自分の分の食事にありつくことができる。その平和がいまだに信じられなかった。
早速ライスを口に運びながらも、イユは二人の話に耳を澄ませる。
「……それで、イユが頑張ってくれたおかげでもう仕事が終わってしまって」
「そう。お裁縫が得意なのね」
グラスの水を飲みながら話を聞くマーサは楽しそうだ。リーサもはきはきと話していて、終始にこやかである。
「イユ。さっきから静かだけれど、どうかしたの」
心配されてか、リーサから声を掛けられる。確かにずっと二人の話を聞いていたイユは、まだ一言も発していない。
「いいえ、ただ食事がおいしくて」
受け答えが良かったのだろう。マーサに嬉しそうな顔をされた。
「ふふ。美味しいといってもらえると嬉しいわぁ」
「センさんもそれを聞いたら喜びそうね。イユ、遠慮しないでもっと食べてもいいのよ」
その提案に、イユは飛びつく。
「本当?」
なんて親切な人たちなのだろうと、一人感動する。
「もちろん。まだ余ってますよね? 持ってきますね」
出番が来たとばかりに席を立ったリーサは、厨房へと駆け込んでいく。
その様子を見守った後で、イユは皿に残っていたレタスをつついた。
「ここの食事は気に入ってくれたみたいねぇ」
マーサに声を掛けられ、イユは頷く。飛行船のなかにいるとは思えないぐらい新鮮なのだ。この際だと、気になっていたことを聞くことにする。
「食事って、どうやって調達しているの」
「ふふ、気になるの?」
食べ過ぎて不足してしまわないのか気になるといったら、笑われてしまうだろうか。
悩んだ末、イユは小さく呟いた。
「……少し」
「船員の皆が頑張って調達してくれているの。あと、少しだけならセンさんが育ててくれているお野菜もあるわ」
「育てる?」
聞き慣れない言葉に首を傾げると、マーサから補足があった。
「そう。お野菜は日の光とお水で育つから。この、きゅうりもそうなのよ」
イユは、きゅうりを食べてみる。みずみずしくて、サラダにかかったドレッシングのすっとした味と絶妙に合っている気がした。
「美味しいわ」
これを育てているというのが、イユにとっては驚きだ。
「イユ、おかわりをとってきたわ」
リーサが運んできたのは、お皿いっぱいのサラダだ。
新鮮な野菜たちが大皿の上で豪快に盛られている。テーブルの真ん中にどしりと乗せられた。
「素晴らしいわ!」
早速、フォークで野菜を突き刺す。これほど食べ物に溢れた光景を見られるなんて、まるで夢の中にいるかのようだ。
「ふふ。イユちゃんは元気でいいわねぇ」
マーサがそう感想を漏らす。
「作り甲斐がありますね」
リーサもそういって残りの食事を頬張った。
口に食べ物を放り込みながら、イユはそうした二人の様子に羨ましさを覚える。彼女たちはいつもこうした食事を当たり前のように取っているのだろう。だから、人に食事を与えることに抵抗がない。龍族の乗る船だ。一部は育てているとはいえ、町で調達が満足にできるとも思えない。想像以上の良い暮らしが出来ているのは、マーサの言うとおり船員たちの努力があるはずだ。
「あぁ、そうだわ。さっきクルトちゃんがイユちゃんの鞄を直したって……」
マーサが手を合わせて、思い出したと言わんばかりの仕草をしてみせる。
クルトと言えば、金髪のどこか腹の立つ少年だ。クルトは意外にも鞄を修理する程の腕があるらしい。
「そうね。お食事が終わったら取りに行くといいわ。大丈夫、お片付けはしておくから」
マーサの勧めで取りに行くことになった。
ここは、本当にクルトの部屋なのだろうか。
扉を開けると同時に、見たことのない無数の器具に出迎えられてイユは戸惑う。他の部屋より煩雑なせいか、イユの部屋より一回り広いはずなのに狭さを感じる。同時に鼻につく臭いと同時に熱気も肌に感じ、思わず顔をしかめた。
「イユ、来た」
声に見渡せばクルトだけでなく刹那もいた。小瓶を手に持っている。
「ん? あぁ、鞄なら直っているよ」
クルトは汗を拭う仕草をする。その手には、どういうわけか、おたまが握られていた。
「何をしているわけ?」
「クルトは小物を作ったり修理したりするのが得意なのよ」
一緒にきたリーサからそう説明がある。
「そう、そして今ボクは刹那に頼まれて薬を作っていたところさ」
クルトの答えに応じるように、刹那が小瓶を持ち上げてみせる。青い瓶に確かに何かの液体が入っている。言葉通りならば、その液体こそが薬らしい。
「これは、痛みを和らげる薬」
要するにイユの痛覚を鈍らせる異能をそのまま薬にしたものだろう。それは異能が使えない人間には便利なことだろうと考える。
「薬が足りていないの?」
リーサが質問をする。いつの間にかイユの鞄を手に持っている。クルトの部屋の奥から、勝手に取ってきたようだ。
リーサの質問には刹那が頷いて肯定し、クルトが補足する。
「こないだのイクシウスの白船のせいで怪我人が多くてね。薬が足りなくなったって」
リーサの顔が曇る。確かに、あまりよい話題ではない。
クルトが、ズボンのポケットから薬をもう一本取り出して、刹那に渡す。
「それで五人分にはなるはずだよ」
刹那は治療を中心に仕事をしているらしいと推測する。ただ彼女の力は傷を治すだけで痛みは止められそうにない。だからこうして薬を取ってきたのだろう。
「はい」
イユはリーサに声をかけられて、鞄を受け取る。鞄の状態を念入りに確認するが、見る限り何も不備はない。むしろこの短期間によくここまで綺麗に直したものだ。
「またね」
刹那が挨拶をして出ていく。
イユも続こうとしたところで呼び止められた。
「待ってよ。その靴、見せて」
鞄の次は靴である。断る理由も見つからず、大人しく片方を脱ぐ。こうして見ると靴も鞄同様あちこち傷だらけだ。目を付けられても仕方がない。
「うわぁ、ひどい靴だなぁ……」
感想を洩らされた。
「悪かったわね」
「これ、サイズも合っていないよね? 新しく作ろうか」
思わぬ提案だ。一瞬、この靴を手放すことになるかと考え、心の中で首を横に振った。もともと実用的な靴ではないのだ。新調できるならそれに越したことはない。
「いいの?」
それにしても、薬に鞄に靴ときた。意外とクルトという人物は有能だと評価を変える。ただの癪に障る少年ではないらしい。
「構わないよ。薬の仕事は終わったし。実はこれから暇だしね」
「なら、お願いするわ」
クルトがイユの足回りを測定する間、リーサが部屋の片づけをしている。癖なのだろう。常に動いていないと気が済まないタチのようで、その動きは忙しない。
「リーサ、助かるけれど頼むから壊さないでね」
煩雑な部屋を綺麗にしてもらえるのだから、喜べば良いものの、どこか不安な様子でクルトはちらちらと視線をやる。
「大丈夫よ。ちょっと埃を取り除くだけだから」
そう言っていたはずだが、イユたちが測り終えた頃にはどこからか箒まで用意して掃除に熱中しているリーサがいた。
「これで良し。今日中に作っちゃうから明日の朝にでも取りに来てよ」
頷くイユに、リーサが言う。
「ねぇ、折角だし船内中掃除しちゃいましょう?」
クルトの部屋の掃除をきっかけに熱が入ったようだ。
いきいきと仕事をしたがるリーサがイユには新鮮だった。だからだろう、軽い気持ちで頷いてしまった。
そのため、危うく夕食の時間を逃しそうになるぐらいまでずっと、掃除を続ける羽目になった。




