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カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
237/991

その237 『任務達成』

 刹那は、間髪入れず走りだすとナイフを一閃させた。その途端、悲鳴が上がり、ぽしゃんと水の中に落ちる音がする。魔物がやってきたのだということがすぐに分かった。

「リュイス、動けるかしら?」

 イユの質問に答えるように、リュイスが立ち上がる。脱臼は治しても、背中から壁に叩きつけられた痛みは残っているのだろう。痛そうに顔を顰めるが、動けないほどではないらしい。

 イユもまた、立ち上がった。肋骨は完治しているとはいえない。けれど、異能で痛みを鈍らせてしまえば、イユならば動けてしまう。イユはすぐにレパードを見やった。

「悪いけど、抱えていくわ」

 刹那が応戦しているものの、魔物に見つかってしまったからには、なるべく離れた方がいい。刹那がいくら応急処置を施したといっても、一度ついてしまった人間の血の臭いは、この場から消えていない。その臭いに気付かれたのであれば、すぐに退散するに限る。

 レパードの答えを聞かずに、イユはレパードを背負う。麻痺しているせいで、抵抗のできないレパードはされるがままだ。女子供に背負われたくないと言っていたが、文句は怒鳴ることができるようになってから聞くことにする。

「イユ、大丈夫なのですか」

 リュイスが、心配そうに声を掛ける。それに、イユは頷いた。

「私はどのみち素手だから、ここの魔物を蹴散らすには向いていないもの」

 リュイスの腕も痺れていて使い物にならないといっても、リュイスにはまだ魔法がある。レパードを背負うのはイユに任せて、リュイスが刹那とともに魔物を蹴散らしてくれればいい。

 リュイスは、渋々ながらも頷いている。視線が、イユの体を気遣うように向いていた。

 肋骨にひびが入っているなどといったら、断固として反対されそうなので、黙っておく。それに何もイユは一人で苦労を背負おうとしているつもりはない。ここは適材適所だ。

「魔物の数、増えてきた」

 戻ってきた刹那のすぐ後ろで、蝙蝠が膨れ上がる。見もせずに、ナイフを一閃させる手際は、相変わらずの神業だ。

「行きましょう」

「うん」

 刹那が先導するように、貴族区域の扉を超えた。刹那の背を追って、イユたちも歩き出す。

 刹那は道を熟知しているのか、迷う素振りを見せない。時折飛びかかってくる魔物も、リュイスの魔法で取り逃したものについては、走りざまにナイフで斬りつけていく。

 おかげで、イユは殆ど背負うことだけに専念できる。

 いつまでそうしていたのだろう。刹那は一時間と言ったが、イユの体感では何時間も歩いている気がした。実際、刹那の速度で一時間だろうと思う。人を抱えながらのイユたちではもっと時間がかかってもおかしくない。

 曲がり角を何度も曲がる。昇り階段に下り階段。魔物のいない場所はなく、したがって休める場所もなかった。

 刹那は汗一つ掻く様子も見せず、今も左手から現れた触手を斬り捨てている。一方のリュイスは風の魔法で右手から現れた蝙蝠を葬る。レパードを抱えて真ん中を走るイユは、二人が討ち漏らした触手を横に避けた。すぐにリュイスの風の魔法が触手を切り刻む。リュイスの魔法が触手に向かった分、上空が手薄になったのだろう。蝙蝠が飛んでくる。そこに光が走り、一匹残らず水の中へ沈んだ。

「レパード、魔法が?」

 青白い光はレパードの魔法に違いない。イユの言葉に、背後から声が返る。

「なんとかな」

 掠れていたはずの声が、今はしっかりと出ている。どうも麻痺毒がだいぶ取れてきたらしい。だが、まだ歩けるほどには回復していないのだろう。歩けるなら、すぐに歩くと言い出すはずだ。

「僕も右腕はどうにか動かせそうです」

 イユたちの会話を聞いていたのだろう、リュイスが会話に混ざった。

「皆、少しずつ回復してきたわね」

 肩の荷が少し下りた気がした。イユは背負っているだけだが、イユが襲われるということはレパードも友連れになるということだ。背負っている命が一つでないと思うと、自然と気が張った。それに、イユ自身はずっと痛みを感じないようにして歩いてきた。だが背負うという行為が間違いなく肋骨に負担になっているのは、痛みを無視しても、わかる。だからか、どうしても気を張るのだ。

「レパードは、今の態勢できつくないかしら」

「あぁ。悪いな、重いだろう」

 素直に謝るあたり、レパードの調子はまだ戻っていないようだ。

「重さは別に感じないわ」

 言いながら、イユは速度を上げる。レパードを抱えるイユの速度に合わせて、刹那もリュイスも立ち回っている。だからイユが速度を上げれば、その分皆も早く出口に向かえるのだ。

「……お前は、リュイスのがうつってないか」

 レパードが、ぼそっとそんなことを呟いた。

「いつものお前は、もう少し他人を気に掛けないところがあった気がしたんだが」

 失礼なと怒るべきか、イユは悩んだ。レパードの言葉に毒はない。純粋な疑問のようにも思えた。

 イユの代わりに答えたのは、リュイスだった。

「イユは、もともとです。『生きる』という暗示の強制力がなくなったから、隠れていた部分が見えてきただけだと思います。本当は、他人を優先できる優しさを持っているのです」

 よどみない口調が、本当にそう思っていることを伝えてくる。あまりにも真っ直ぐな発言に、美化されすぎて恥ずかしい。それにしてもリュイスは本当に思い込みが激しい。いくらイユが違うと伝えても、こういうところは中々譲ろうとしない。

「そんなのじゃないわ」

 否定しておいて、イユは正面を向いた。こういう時に限って、魔物の襲撃がぽつりと途絶えるのだ。空気を読んでほしい。

「……あなたたちが怪我をすると、私が困るってだけよ」

 しんと黙られてしまって、余計に居心地が悪い。

 その重苦しい沈黙に反論しようと口を開けたところで、代わりに空気を読んだのは、刹那だった。

「あそこ」

 刹那が指を指して、一同に示した。水路の先に、壁が見える。四方を壁に囲われた部屋のようになっていた。

「あそこに行く」

 きっと、そこに出口があるのだろう。四方を壁に囲われていると言うことは、水もないかもしれない。水がないということは、水の中の魔物に気を付ける必要がないと言うことだ。

 イユはほっとして突き進んだ。

「刹那は、あそこから来たのか」

 進む間に、しゅるしゅると水路から出てきた触手をリュイスが右の剣で斬る。

 実際に斬れたことを確認して、イユはほっとした。動かせそうという発言は、強がりではなく本当のことらしい。

「うん」

 刹那が頷きながら、ナイフを一閃させる。その動きに無駄がない。一時間以上、ナイフを振り回し続けているが、疲れは見えなかった。相変わらず刹那は、ジェイクの言葉を借りるなら、ナイフに愛されている。

「どうして貴族区域から来たんですか。立ち入りはできないという話でしたよね」

 リュイスが疑問を口にする。その間、刹那は扉を押していた。ギギギという鈍い音とともに壁のある部屋の中が見えてくる。とはいえ、四方を壁に囲まれているせいで視界が悪く、見えづらい。その中でもうっすらと確認できたのは、梯子だった。数段しかない、短めの梯子だ。そして、地面にある不自然に深い溝。

「リュイス、イユ、これを」

 リュイスの質問に答えず、刹那が帯の間から何かを取り出して、リュイスに持たせた。イユも受け取る。

「イユはレパードにもあたるように握って」

 渡されたそれは、魔法石だった。何の効果がある魔法石だろう。目に意識をやったイユの目には、薄桃色の透明感のある石がうつる。これだけ暗いと、リュイスやレパードには見えていないだろう。

「握ったわ」

「この石は、何ですか」

 きょとんと首を傾げるイユたちは、刹那の行動を全く疑っていなかった。これまで散々助けられてきたのだ。この魔法石も意味のある行為だと解釈した。

 しかし、そこで、魔法石がうっすらと光った。

「刹、那……?」

「この石を使うように言われている」

 一体誰に。疑問の声を口にする余裕はなかった。

 驚いた声を挙げるリュイスを落ち着かせるためにか、刹那が振り返る。

 刹那の、耳飾りと同じ蒼色の瞳が、暗がりにいるからか、赤みを帯びているように感じられた。そして、その時には既に、イユの耳には刹那の声がどこか遠くで聞こえた。

「眠って」

 それは、人を眠らせる魔法石だったに違いない。急に、かくっとイユの膝から力が抜けた。目の前で、リュイスが崩れ落ちる音を聞く。

 その瞬間、青い光が飛び散った。体が衝撃を浴びて痙攣するのを感じる。床に触れた頬が、冷たい。いつの間にか倒れているらしい。

「悪いな、イユ。こうでもしないと、目を覚ますには……っておい?!」

 レパードの声が焦りを含んでいる。そんな声も、どこか遠くに聞こえる。

「見たところ、イユは痛みを感じないようにしているから、魔法も意味がないんじゃないかな」

 この中にいるはずのない、第三者の声が聞こえた。離れてからそれほど経っていないのに、イユにはなつかしさすら感じられる。

「お前……」

 レパードの警戒の声が聞こえてくる。

「刹那、よろしく」

 イユはかろうじて、視界に刹那の姿を目に入れた。次の瞬間、腰を低く落とした刹那がイユを飛び越えて掻き消える。ずさっという何かが落ちる音とともに、イユの背中に重みを感じた。

 レパードがイユの背にもたれかかる形で倒れたのだと、それだけはわかった。けれど、イユにはどうにもすることができなかった。

 それに、刹那が掻き消えたその先で、見慣れた姿が見えてくる。上の方で二つに結んだ髪が、この事態を愉しむかのように揺れていた。赤い瞳は、獲物を前にした獣のように細められる。艶のある薄紅色の唇は、にんまりと口の端が上がっている。

 ここにはいないはずの、ブライトが確かに目の前にいた。

「これで、任務達成」

 刹那の声が、後方で聞こえた。死を宣告するような、響きに満ちていた。

 一方のブライトは、拍手なんてしている。

「いやぁ、凄いね。いい具合に生かした状態で、連れてきてくれるなんて」

 確認できたのはそこまでだった。あっという間にイユの視界が白く染まった。頭の芯が痺れていくのを感じていた。

「よくやってくれたね、イユ」

 イユの意識は闇の中へと沈んでいった。

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