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カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
232/991

その232 『溟海の悪魔』

 だから、イユたちは足を止めることなく走り続けた。

 レパードも、イユをずっと背負っていたからだろう。確認する限り、顔色がよろしくない。

 助けられたのだから、助け返したかった。イユのせいで誰かが死ぬような羽目になるのは、断じてごめんだ。顔色の悪いレパードを見て、不安が掻き立てられる。皆が生還するためには、一体どうすればいいのだろう。

「お前、本当に動いて大丈夫か」

 心配をしているイユに対して、気がかりと言わんばかりにレパードから声がかかる。

「平気よ。それを言ったらリュイスだって同じ毒にやられているわけだし、それどころじゃないわ」

 リュイスが、触手を斬り捨てながら、声を掛けてくる。

「けれど、イユはうわ言を言っていました。相当苦しそうでしたけれど」

 勝手に人の寝言を聞かないでほしい。恥ずかしさすら感じながら、イユは白状した。

「あまり覚えていないけれど、イクシウスの汽車にいた夢を視た気がするわ」

 赤いソファの感覚だけは、イユの体にまだぼんやりと残っている。

「それ、走馬燈じゃないよな」

「走馬燈?」

 理解できていないイユに対して、リュイスが答える。今度は蝙蝠を斬り捨てながらだ。

「死の間際に見るという、過去の記憶のことですよ。次から次へと過去の出来事が脳裏に現れるんです」

 そんなことを言われると、逆にイユが心配になってくる。

「イ、イクシウスの汽車しか見なかったと思うし、平気よ」

 次から次へとという感じではなかったはずだ。すっかり夢を忘れてしまったが、ソファしか覚えていないということは大丈夫だろうと自分に言い聞かせる。

「まぁ、無理はするなよ」

「……そうね」

 労わりの声を聞いて、イユは大人しく頷いた。治癒力を上げるように、意識を向けておく。多少の毒ならば、傷を癒すのと同じで効果があるだろうことは、ナイフにやられた頃の経験から学んでいる。

 暫く道なりに進むうちに、魔物の数が減ってきた。周囲は変わらず水続きで落ち着いて休憩できるところはないが、応戦する数が減ることは助かる。リュイスの剣も相当鈍くなっているし、イユは相変わらず蝙蝠相手でないと役に立てない。

「あれは、貴族区域への門ではありませんか?」

 一本道の先で、扉が見えてくる。石造りの壁の中央にある唯一の扉だ。その左右では水が満ちていて、そこに柵がしてあった。その隙間を通って、水だけが奥へと流れていく。

「第一市民区域には上へと上がる場所がなかったからな。貴族区域にあることを祈りたいが」

 レパードの呟きに、イユは最悪の想像をする。貴族区域にも上へと上がる場所がなかった場合、第二市民区域の二か所だけが出入口ということになる。そうなってしまったら、出入り口を兵士に封鎖されてしまったイユたちはどう外に出ればいいのだろう。

 或いはもう一つ想像できる。貴族区域に上へと上がる場所があった場合だ。貴族区域は、レパードの話では旅人であるイユたちの立ち入りは禁じられているらしい。つまり、『異能者』とばれずとも上へと上がった時点で薄汚れた格好のイユたちは不法侵入者だ。無事に上がれたとしても、一騒動あることは察せられた。

(ブライトなら……)

 イユの意識に、『魔術師』の少女が浮上した。ブライトは、貴族区域にいるはずだ。助けを求めてブライトの屋敷に入ることができたら、まだイユたちは助かる可能性があるかもしれない。せめて少し体を休める場所を提供してもらえたら、イユたちは逃げるだけの体力を回復させることができる。

 思考しつつも走り続けるイユたちのすぐ左で、突然白い閃光がはじけた。はっとしたイユの目に、水面から飛びかかる黒い魔物の姿が映る。口の先端から、髭のようなものが二つ、伸びているのを確認できた。

 触手や蝙蝠はどうにかなっても、この黒い魔物だけは対処のしようがない。近づけば焦げるのだから、逃げるしかないのだ。イユたちはすぐに、逃げようとした。

 その時、イユの目は、黒い魔物に巻き付こうとする触手の存在を捉えた。

 瞬間、飛び掛かろうとした黒い魔物の動きが固まる。触手に巻かれた魔物は、突如横なぎに薙ぎ払われた。慌てて屈んだ一行の真上を、滑空していく。白い閃光が散り散りになって飛び交い、イユたちの足元も焦げついた。当たらなかったのは運がよかった以外の何物でもない。

 その幸運に浸っている余裕はなかった。路の先、扉の真上に魔物がのめり込んだのだ。大きな音を立てて、地面へと落ちていく。ちょうど扉の開閉を邪魔する位置でだ。黒い魔物は投げつけられた勢いで失神したのか、ぴくりとも動かない。

 イユは視線を先ほどまで魔物がいた場所、触手が現れたところへと戻した。ぶくぶくとまるで沸騰でもしたかのように水が泡立っているが、その泡の大きさからして、何故だか今までと桁違いだ。濁った水越しにはっきりと影が見える。今まで地下水路であったどの魔物よりも大きな影だ。

 ごくりと誰かの喉が鳴る音がした。その音に反応するように、あの黒い魔物を容易に捉えられるほどの太さを持った触手が、風切り音とともに飛び出す。

 間一髪、イユはその触手を前方へと走ることで避け切った。水が飛び散り、それが背中へと当たる。まるで鞭でも打たれたように、イユたちは走り出した。

 おかしい、あり得ない。そんな声が頭の中を駆け巡る。今までは黒い魔物の光に触手はなすすべもなくやられて焦げていたはずだ。それが黒い魔物すらもあっという間に放り投げてしまうほどの大きなクラーケンもどきが、今ここに存在している。いやこれはもう、もどきでも何でもないだろう。溟海(めいかい)の悪魔、クラーケンそのものではないだろうか。

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