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カルタータ  作者: 希矢
第七章 『日常は終わりを告げる』
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その229 『出口まで』

 イユは体に急ブレーキをかける。水のあるところにはあの悪魔がいる。それはよくよく承知している。

 なるべく音をたてないようにと、ゆっくりと踏み出し、げんなりした。待っていたのは、四方を水に囲まれた空間だった。イユたちを守る壁はなく、開けた路だけが続いている。その路の中央に、薄い壁がぽつんと立っている。そこから梯子が見えた。

「俺はあそこから来た」

 レパードの発言に、イユは呆れ果てた。

「よくもまぁ、こんな危険な場所を通ってきたものね……」

 路の左右からぼこぼこと泡が立ち始めている。最悪なことに、後方でぽんぽんはじける蝙蝠の音に反応しているらしい。

「俺が来たときはもう少し安全だった」

 水の中を通り過ぎた途端、襲われたんだ。それで戻るにも戻れなくなった。そう、レパードが溜息とともに解説する。イユにとっては、いらない補足説明だった。魔物は火に弱かったなどの弱点の話をしてくれた方が万倍役に立つ。

 会話の合間に、泡から触手が現れる。はじめのときは分からなかったが、兵士たちの最期を見た後ならば、目を凝らして注視できる。触手は土色の体を伸ばして、まっすぐに音のする方へと飛び掛かる。

 すぐに、リュイスが反応した。剣で飛んできた触手を一刀に斬り捨てる。魔物の悲鳴が上がり、触手の先端が地面に転がった。

 怖気が立った。斬られても尚、触手は動いていたのだ。獲物を求めるように、リュイスにゆっくり近づいていく。一部の部位だけになっても目的のものを求めて這おうとする動きに、魔物なりの未練や執着を感じて、ぞっとした。

 レパードが光を浴びせて、触手の先端を黙らせた。それでようやく、動きが止まる。

 その間、リュイスは何度か剣を払う仕草をしていた。少し困った顔をしている。イユの視線に気が付いたのか、答えた。

「この魔物の粘液、でしょうか。血糊と違って、落ちにくくて……」

 確かに、妙なぬめりが刀身に残っている。リュイスの苦戦が伝わった。

 仕方なしに、リュイスはすっと意識を集中させると撫でるように刃物に触れた。その途端、透明な粘液が剣から逃げるように、地面に飛び散る。

「……風を起こせばどうにかとれるみたいですけれど、それまでは切れ味が鈍りそうです」

 言いながらも、再び襲ってきた触手を斬り捨てる。

 リュイスの剣の腕は信じているだけに、切れ味が鈍られるのは困ると、切実にイユは思う。このまま立ち往生していては、イユたちも兵士の後に続くことになろう。リュイスの剣が鈍らないうちに、走り抜けるしかない。

 視界の先では、路を囲うように無数の水泡が、濁り水のなかではじけている。ここで待っていることで魔物が諦めてくれれば大変良かったが、むしろ先ほどより勢いが増してきているように思えた。

 イユたちは覚悟を決めて、走り出す。

 路に差し掛かった途端、水泡から触手がイユたちを食らおうと飛んできた。

 イユは足元にやってきたそれを跳んで避け、上空からやってきたそれを屈んで避けて進む。左手からやってきた触手を、リュイスが斬り捨てるのが視界の端に映る。反対側では、青い光が走っている。レパードが右手の魔物を蹴散らしているらしい。

「ちっ」

 右側にいたレパードが、触手に足を取られて転びかける。瞬間、リュイスの太刀が触手を斬り捨てた。

 地面に転がっている暇はない。イユは転びかけているレパードの腕をとると、すぐに立たせる。

 その場で踏みとどまってしまった一行に、触手が殺到する。リュイスが風の魔法で飛びかかってきたものをまとめて斬り伏せた。鉄格子を斬る魔法は、触手にも有効らしい。ばたばたと触手が斬られて、いくつかが地面でのたうち回る。

 水の中に蹴り飛ばしながらイユたちは再び走り出す。魔物にも思考があるのだろうか。通せんぼをするかのように触手が前方で待ち伏せをしだす。レパードが立て続けに撃ち、光を浴びせながら走った。それでも近づいてくる触手を跳びこえて、通路を突っ切る。

 目的地までは思った以上に遠い。ここまで走ってもまだ、半分以上はある。ただ走るだけならまだしも、触手の攻撃を避けながらのため、既に息が上がっている。

 走り続けていることによる疲労を意思の力で抑えつけて、ひたすらに走る。

「リュイス!」

 レパードの声にはっとする。左を見やれば、リュイスが宙に浮いていた。

 端正な顔が痛みに顰められている。左腕に触手が巻き付いていた。

 このままでは、水の中に引きずり込まれる。真っ青になったイユの目の前で、青い光が炸裂した。リュイスを思いっきり見ていたイユは、眩しさに一瞬目を閉じる。

 次に目を開けたとき、リュイスの体が地面へと着地する瞬間だった。

 思わずほっとした次の瞬間、腹部に圧迫を感じた。あっと思った時にはもう遅い。イユの体がすかさず上へと吊り上げられていく。ぬるりとした独特の感覚と、ちくりと針に刺されるような痛みを感じた。吸盤がイユの体に吸い付いて、そこから服越しに痛みが走っているのだと気づいたのは後からだ。それよりも水が腐ったような悪臭とぬるりとした気持ち悪さと、締め付ける圧迫感に、吐き気がした。

 大した抵抗もできずに、一気に体が引き摺り込まれる。

「イユ!」

 すぽっと何かが斬れる音がして、体にかかっていた圧迫感が消えた。体が重力に従って落ちる感覚に、慌ててイユは触手を振りほどく。なんとか抜けたものの、視界いっぱいに水面が迫ってきた。

(まずい!)

 慌てて体を捻って、少しでも地面へと近づこうとするが、到底間に合わない。水の中には、魔物がいるのだ。ぞっとしながらも、どうにもできない。次の瞬間水の中に飛び込んだ。

 目に飛び込んでくる水圧に目を閉じる。幸い口に空気を含む余裕はあった。沈んだ体をばたつかせて、汚い水を必死に払いのける。そうして、ようやく水面を突き抜ける。

「大丈夫か!」

 駆け付けたレパードに、手を借りる。体が濡れたせいで、重い。おまけに水は意外なほどに冷たかったせいで、歯ががちがちと鳴っていた。しかし寒さを感じている暇はない。レパードにしがみつくように陸へと上がろうとしたところで、足に痛みを感じる。ぬるりとした感触に、うめき声が漏れた。ちくりとする痛みが走り――、再び浮きそうになった体が、前へと倒れ込んだ。リュイスの魔法が触手を両断したのだ。レパードがイユを助け起こしている間に、リュイスが触手を全て引き受けていたらしい。レパードの背後にいたリュイスの額から、汗が伝ったのが見えた。

「ありがと」

 礼を言いつつも、イユは何とか一人で立ち上がる。途端に眩暈がして、よろめいた。その勢いで下を見たために、自分の足に一定間隔で針のような赤い痣ができているのに気が付いた。あの触手にやられたのだというのはすぐに分かった。

「動けるか?」

 レパードの質問に、「平気」とだけ答えて走り出す。すぐ後方にはリュイスもいて、ちょうど触手を斬り捨てるところだった。心なしかその動きに、先ほどまでのキレがない。

 イユの体が震えているのは、寒さだけのせいではないだろう。リュイスは左手を、イユは腹部と足を掴まれた。眩暈はきっと、あの魔物の持つ毒が原因だ。それが直感的に分かって、しかし毒の回りを抑えるために走らないという選択肢は絶対にない。

 再び走りだしたイユたちの目の前に、ようやく梯子が見えてきた。

 一足早くレパードが梯子に飛びつく。

 イユも近づいて、見上げた。レパードの体に隠れて見にくいが、地下水路に入ったときと同じ蓋が、数十段上の梯子の先にあるのが分かった。蓋には隙間があるらしく、僅かに明かりが零れてきている。

 梯子を登り続けるレパードの元に、触手が飛び掛かっていくのを見て、イユの体が竦んだ。冷静に考えれば、レパードは梯子を登っていて触手から身を守る手段が少ない。イユが助けるべきだった。しかし、イユは素手なのだ。斬られた触手の一部を蹴り落とすぐらいはできるが、絡まってくる触手を手で払おうとしたところで、逆に掴まれる未来しか見えない。せめて何か投げるものが必要だった。見渡しても石の破片一つ落ちていない現状が悔しい。

 イユの代わりに動いたのはリュイスだ。梯子に手を掛けて数段を上がる。レパードに触手が伸びるその瞬間に向かって、梯子から跳んだリュイスの剣が斬りつけた。

 斬られた一部が、イユのすぐ近くまで飛ばされて、転がる。イユの方へと這いずってくる光景に、鳥肌が立った。すぐに水の中へ蹴り落とす。

 再び見上げると、レパードが、蓋を押し上げようとしているところだった。これで、ようやく外に出られる。イユも梯子を登ろうとして、しかし、何かにつっかえたような音に戸惑う。

「ん、おかしいな」

 あてにならないとはこのことだ。どうもレパードの力ではうまく蓋が持ち上がらないらしい。誰かが蓋の上に物でも置いたのかもしれない。迷惑にもほどがある。

「私が異能で開けるわ」

 イユはレパードにすぐに下りるように指示すると、代わりに梯子を登ることにした。触手に対して無防備になるのだ。全く気が進まないが、イユの異能であれば開けられるという自信はある。

 梯子を登ろうとする間にも、触手がイユの足を掴もうとやってきたが、それは間髪入れず気が付いたリュイスによって横なぎに斬り倒される。

 それでも、リュイスたちが触手を取りこぼすともしれないと思うと、身のすくむ思いがする。こんな思いを早く絶つには、一刻も早く外に出るしかない。必死に濡れた梯子を掴んだ。

 蓋に近づいたイユは、蓋の向こう側から零れる熱気に気が付いた。零れてくる明かりといい、朝を迎えたようだ。

 地下水路から出ても問題はある。外が明るければ、床を這って出てくるイユたちはたいへん目立つことだろう。そうなればまた兵士が押し寄せてくるかもしれない。そんな思いが頭を掠める。だが、この魔物だらけの場所にいたら、さすがのイユたちでも命がない。

 イユは、蓋を開けるべく思いっきり右手に力を込める。梯子を握っているせいで片腕になるため、力が入りにくい。それでも異能を使えば、嘘のように重い蓋が――、

「え、なんで」

 驚きが口から零れる。

 蓋は、開かなかった。ガシャという音がして、踏みとどまる。相当重たいものが乗っているらしい。イユは再び、力をいれて押し込んだ。

 ガタンという音とともに、蓋が持ち上がる。それに合わせて、陽の光が射し込んだ。

 良かった、開いた。安堵の声が、イユの口から洩れた。外の世界が待ちきれなかったイユは、眩しさに目を細めつつ、視力を調整しながら、顔を外へと出す。


 恋しい外は、熱気のあまりに歪んで見えた。

 そこは噴水広場の一角のようだ。ヤシの木が頭上からイユを見下ろしている。風に揺られると若干影になって、そのおかげで周りの様子をよく確認できた。

 イユの目の前には槍の穂先があった。目だけで右をみると、そこにも穂先が、左を見ても変わらず穂先がある。

 蓋の周りをずらりと囲った兵士たちが、槍を持って待機していたのだ。それが何の躊躇もなく、真っ直ぐにイユを突き刺そうと迫った。

 あっという間にやってくる死の瞬間に、イユは驚いて手を梯子から離したのだった。

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